−聖徳太子の通勤ルートをたどる−
山行概要
2007年2月11日(日) | |
太子道 | |
曇り時々晴れ | |
単独 | |
近鉄ファミリー公園前駅=0:30=油掛地蔵=0:25=白山神社=0:30=法楽寺=0:10=近鉄田原本駅【1:35】 |
記録文
太子道と言えば、我が京都にも広隆寺の参道としてのものが知られてはいるが、やはり本家は筋違道とも呼ばれ、聖徳太子が都を遷都した斑鳩と飛鳥を斜行して結ぶ道の方だろう。
今回は手軽な半日ハイクとして、この太子道の一番濃いところを歩もうと思う。
無人で閑散としている近鉄ファミリー公園前駅を後に、初瀬川沿いの堤防を歩く。吹き付ける寒風に抗いながらの単独歩行は、体力的にも気分的にも辛いものがある。 板尾ヶ瀬橋で堤防と別れ、南側に進むと、耕作地の中、ぽつんと立つお堂が目に入る。
高さ約61センチの地蔵立像が祀られているが、もともと泥田の中に埋もれていたのを引き上げたもの。この付近に水害が多いため、油を掛けて水を弾くようにと云うことから、「油掛地蔵」と呼ばれているらしい。
油掛地蔵のすぐ西に立つ。濠に囲まれた静かな社でした。
広々とした畑の中を南下。なかなかの開放感。
寺川を渡りさらに南へ進むと島の山古墳。濠の水が抜かれ、調査中のようで、雰囲気はもう一つ。
全長200m弱の大型墳。蘇我入鹿の墓と伝承されているが、真偽は…
住宅地の中を抜け、屏風地区に入る。道は東に約20度傾いて村の中を貫いている。今まで大和の色んな所を歩き巡ったが、南北の通りがほとんどで、けっこう違和感を感じる。いよいよ太子道の核心部へ。
白山神社の境内にある。聖徳太子が斑鳩から飛鳥への通勤?の途中、ここで駒を止めて柳につなぎ、腰を下ろして休憩したらしい。
太子道を挟んで白山神社の反対側に鎮座。伊勢神宮への「おかげ参り」を描いた絵馬が奉納されている。
この先も特に古い家並みが残っている訳ではないのだが、何か歴史の風情というか匂いが薫り立つ渋い町歩きが続く。
近鉄黒田駅横を通過し、線路を渡ると、こんもりした黒田大塚古墳。すぐ西が法楽寺。
孝霊大明神を祀っているが、桃太郎のモデル、吉備津彦の父親ということで、境内には「桃太郎伝説発祥の地」の看板が立っていた。少々無理があるような…
法楽寺からさらに南南東に斜行し、保津の環濠集落を過ぎ、保津の交差点から、西に少し寄り道すると、巨大な樟が立つ八幡神社である。
樹齢約500年、高さ約30mで堂々たる姿であった。
八幡神社から東へ一直線で田原本駅に出る。
まだ時間があったので、田原本駅東側の旧いまちなみを見て回る。楽田寺、浄照寺のほか、津島神社など、なかなか見所が多い。
この津島神社は、祇園社と云われ、毎年7月の第3金曜日から3日間、「祇園祭」が行われるらしい。
参考タイム
2/11 | 近鉄ファミリー公園前駅 10:15 ⇒ 10:45 油掛地蔵 10:50 ⇒ 11:10 島の山古墳 11:15 ⇒ 11:20 白山神社 11:25 ⇒ 11:50 法楽寺 11:55 ⇒ 12:30 八幡神社 12:35 ⇒ 12:45 近鉄田原本駅 |
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