高岡市街散策

−加越能の日本100名城巡りの初日。はっきりしない天候のもと、高岡市街を回遊−

  

山行概要

日 程
2020年10月24日(土)
山 域
高岡市街
天 気
曇り時々雨
メンバー
F、私
コースタイム
JR高岡駅=0:05=高岡大仏=0:05=高岡城跡=0:20=菅野家住宅(山町筋)=0:20=JR高岡駅【0:50】

記録文(写真はクリックで拡大)

 コロナ禍で繁忙が続く中、久しぶりに業務が一時的に落ち着く見込みになったので、早速遠出を企てる。
 狙ったのは、日本100名城の高岡城と七尾城。どちらも過去に1度訪れてはいるが、あまり覚えていない。特に七尾城は、山上まで車で登ったので、中途半端感が否めず、だいぶ前から再登城したいと思っていたのだ。

 連れを強制連行し、サンダーバード5号で京都を出発。金沢で初めて乗車する、北陸新幹線つるぎに乗り込み、ひと駅先の新高岡へ。

新高岡から高岡へ 10:54

 新高岡で城端線に乗り換え、これまたひと駅先の高岡に到着。18年振りの再訪だが、駅前は再開発で大きく変貌していた。
 まずは、腹ごしらえと、駅から少し離れた富山ブラックの店を目指すため、ホテルニューオータニ高岡の地下駐車場から、タイムズカーシェアで発進し、「らーめん 誠や」さんへ。

「らーめん 誠や」さんのしょうゆラーメン 11:41

 11時半前の入店だったが、既に店はほぼ満員だった。
 スープ含めいろいろと種類はあったが、やはりここは定番の富山ブラックの一択ということで、しょうゆラーメンをチョイス。白ネギと煮卵をトッピングし、ノンアルビールとのセットで、昼からご満悦である。
 車に戻り、まずは北郊外の伏木にある勝興寺を目指す。高岡に着く頃は晴れ間も見えていたのだが、急に崩れ、大雨にに… ヒー…
 伏木駅前の駐車場でしばらく様子を見ていたが、雨脚が弱くなってきたので、勝興寺へ歩き出す。

高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所) 12:24

 勝興寺への途中、高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所)が建っている。
 高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所)は、北前船による交易で栄えていた伏木港をより発展させるため、伏木在住の廻船問屋藤井能三氏らによって明治16年(1883年)に建設された、全国初の私立測候所である。
 明治42年(1909年)に現地に移転し、以降現在まで、全国に日々気象データを供給しており、実に100年以上にわたり、日々欠かすことなく気象情報を記録し続けているのだ。
 明治期に建設された近代化遺産の一つとして、伏木地区における象徴的な建造物であり、国登録有形文化財に登録された。

勝興寺唐門 12:31

 約3万uの広大な境内を誇る勝興寺に総門から立ち入る。北陸地方屈指の大寺であり、本堂をはじめ、12棟の建造物が重要文化財に指定されている。
 平成10年(1998年)から、大規模復元保存修理が開始され、今年7月に総門の修理完了によって20年以上にわたった工事がすべて完了した。
 この唐門は、前後の軒に唐破風が付く間口6mの門で、明和6年(1769年)、京都の興正寺に建築され、明治26年(1893年)、2艘の北前船を利用し移建された。

デカ過ぎる勝興寺本堂 12:31

 唐門をくぐると、目の前に巨大な本堂が現れる。寛政7年(1795年)の建立で、間口39.3m、奥行き37.4m、高さ23.5mという超大型の仏堂で、全国の国宝・重要文化財の建造物の中でも屈指の規模を誇る。
 本堂から、回廊で繋がれた、書院、台所、大広間等(すべて重文)を巡り、再び屋外へ。

鼓堂 12:58

 櫓に似た外観の鼓堂。享保18年(1733年)の建立。2総の入母屋造りの建物であるが、現在、鐘は吊るされていない。
 勝興寺は、本願寺八世蓮如上人が、文明3年(1471年)、越中の布教の拠点として、砺波郡蟹谷庄土山(現在の南砺市福光土山)に土山御坊を開き、蓮如の子孫が代々住職を務めるなど、真宗王国越中における代表的寺院であった。
 永正14年(1517年)、佐渡にあって廃絶していた順徳上皇勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続して、勝興寺と称することを認められ、その後、戦国時代には、越中一向一揆の旗頭として活躍し、朝倉氏、武田氏をはじめとする戦国大名や、本願寺、京都公家などと関係を深めていくようになる。  戦国の複雑な情勢の中で、2度の移転を経た後、天正12年(1584年)に現地に移り、藩政時代に入ると加賀藩前田家と関係を深めるようになり、越中における浄土真宗の拠点として、現在に至るまで繁栄した。

 車に戻り、高岡市街に戻る。後は徒歩で散策しようと思っていたが、また雨が激しく振ってきたので、富山県唯一の国宝である瑞龍寺には車で向かうことにする。
 瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長が、織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594年)、金沢に創建した宝円寺が前身であり、利長が隠居の地とした高岡に慶長18年(1613年)移転した。
 利長の死去後、後を継いだ3代藩主前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を瑞龍院、さらに瑞龍寺と改めた。
 利常は、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広に伽藍の本格的整備を命じ、山門、仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊をめぐらして諸堂を対称的に配置する伽藍配置は中国の径山万寿寺にならったものといい、伽藍整備が完成したのは利長の五十回忌に当たる寛文3年(1663年)頃という。

瑞龍寺山門 13:43

 重文の総門から境内へ。まずは巨大な山門が目に入る。
 現在の門は、延享3年(1746年)の火災で焼失後、文政3年(1820年)に再建したもので、柿葺き、入母屋造の2階建ての二重門で、高さ約18m。国宝である。
 二重門では下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、ガイドさんに聞くと、「この門は上層と下層の大きさがほぼ同じであり、積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐため」と言っていた。

瑞龍寺仏殿 13:45

 山門をくぐると、鮮やかの緑の芝生の中に仏殿が建つ。
 仏殿は、万治2年(1659年)の建立。入母屋造、一重裳階付きの総欅造り。
 屋根は当初柿葺きであったが、現在は総重量約47tの鉛瓦葺きである。鉛製の瓦を用いる理由は、ガイドさんによると非常時に鉄砲の弾として供出するためともいうが、実際は?葺きより軽いので、冬季の積雪対策のためだという。
 柱、扉、窓などの細部様式は典型的な禅宗様式で、国宝である。

高岡大仏 14:30

 車を返却し、街中を北に進んでいくと、高岡大仏が現れる。
 高岡大仏は、高岡市と氷見市に跨る二上山に当初建立されたが、慶長14年(1609年)、前田利長によって現地に移転された後、何度か大火で焼失し、現在の像は、昭和8年(1933年)に再建されたものである。
 銅製の阿弥陀如来坐像で、奈良、鎌倉に並ぶ日本三大仏と称している。与謝野晶子が「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏と言われている。高岡市の有形文化財に指定されている。

城跡らしい撮影スポットが皆無な高岡城跡(笑) 14:35

 高岡大仏から北東に進むと、高岡城跡である高岡古城公園に到着。壕を渡ると二ノ丸だが、蔦類等、植物が鬱蒼としており、石垣は全く確認できず、写真もご覧のように、全く城跡には見えず、古墳にしか見えない(笑)
 城内は、市民会館や博物館、射水神社等が立ち並び、本丸跡はガランとした広場であるなど、何でここが100名城に選ばれたのか、はなはだ疑問の残る城跡だった…

ただの広場な高岡城本丸跡 14:38

 初代加賀藩主、前田利長は隠居後、富山城に入っていたが、城が焼失したため、当時、「関野」と呼ばれていたこの地に新たに築城する許可を徳川秀忠から貰い、慶長14年(1609年)9月、利長は「関野」を「高岡」と改めるとともに、未完成の高岡城に入城した。
 しかし5年後の慶長19年(1614年)5月に利長は死去し、また、翌年には一国一城令により、高岡城は廃城となった。
 しかしながら、廃城後も高岡町奉行所の管理下で、加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれ、軍事拠点としての機能は密かに維持されたという。

土倉造りの建築物が立ち並ぶ山町筋 14:51

 高岡大仏まで戻り、坂下町通りを北西に進み、万葉線を渡り、山町(やまちょう)筋で左折する。
 山町とは、高岡城下の旧北陸道沿いに発展した商人町で、高岡御車山(みくるまや)祭の「御車山」を保有する10箇町を指し、御車山とは、豊臣秀吉の使用した御所車が前田利長から町民に与えられ、各町が手を加えたものである。
 明治に入り大火で町の大部分が被災した後、富山県の法令に基づき、土蔵造りの防火建築が建てられ、現在も数多く残る町であり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

菅野家住宅 15:00

 山町筋の真ん中にひときわ立派な土蔵造りの家が現れる。菅野家住宅である。
 菅野家は、高岡の政財界をリードしてきた名家で、この住宅は、明治33年(1900年)の高岡大火以降に、当時のお金で約10万円の巨費を投じて建てられたもので、山町筋にある土蔵造りの家を代表する家として国の重要文化財に指定されている。
 現在も住居として使用されているらしい。

赤レンガの銀行(旧富山銀行本店) 15:07

 山町筋の西端に、立派な赤レンガの建物が建っている。
 旧富山銀行本店で、もともとは大正3年(1914年)に高岡共立銀行本店として建てられたもので、富山県内唯一の本格西洋建築らしい。
 東京駅の設計にあたった辰野金吾の監修を受けて、清水組の田辺淳吉が設計したものといわれている。
 富山銀行本店は、1年前に移転したとのこと。

金沢ナイトは、「炭魚酒菜 わなか」さんで@ 17:34

 高岡駅に戻り、あいの風とやま鉄道で金沢へ。チェックインの後、街に繰り出し、「炭魚酒菜 わなか」さんに突入!
 能登もずくでスタート!

金沢ナイトは、「炭魚酒菜 わなか」さんでA 17:39

 石川県が誇る珍味、ふぐ子の糠漬けが登場。濃厚な旨味と塩気に酒が進みまくる。
 フグの卵巣には、肝と同様に毒が多く含まれているため、そのままでは食用にできないが、日本全国で石川県白山市の美川地域、金沢市の金石、大野地区のみ、卵巣を2年以上にもわたって塩漬けおよび糠漬けにする事で、毒素を消失させ珍味として販売しているのだ。

金沢ナイトは、「炭魚酒菜 わなか」さんでB 17:48

 続いて、日本海おさしみ盃盛り2人前が登場! 鮮度抜群の10種以上の刺身が盛られていた。

金沢ナイトは、「炭魚酒菜 わなか」さんでC 17:54

 そして、富山湾の宝石、白えびの天婦羅が登場! 酒がますます止まらない…

金沢ナイトは、「炭魚酒菜 わなか」さんでD 18:19

 ラスボス登場! のどぐろの塩焼きが降臨! 旨過ぎる! 一瞬にして骨だけの姿に変わった…
 2人で散々飲み食いして、お会計14000円ほどで、コスパも最強。ご馳走様でした。
 へべれけでホテルに戻り、部屋で呑み直して1日目終了! 明日は七尾城跡を目指す。

参考タイム

10/24JR高岡駅 14:2014:30 高岡大仏 14:3014:35 高岡城跡 14:4015:00 菅野家住宅(山町筋) 15:0015:20 JR高岡駅

山行データへ

諸国名山探訪

Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved

inserted by FC2 system