−雄大な金剛・葛城をバックにのどかな棚田を行く−
山行概要
2005年10月30日(日) | |
金剛山麓 | |
晴れ | |
単独 | |
近鉄滝谷不動駅=0:20=滝谷不動=0:35=龍泉寺=0:35=楠妣庵観音寺=0:25=赤阪城跡=0:15=森屋バス停【2:10】 |
記録文
北海道で遊びすぎたツケが回ったか、それ以降、全く休みが取れないまま、10月も終わろうとしていた。ホントはこの日も出勤しないと明日の月曜日は悲惨な事態が予想されたのだが、体の疲れはともかく、精神崩壊が近づきつつあったため、とにかくどこか野の空気を吸いに家を飛び出す…
近鉄のてくてくマップのページ(最近行き先探しに重宝してます)で前から気になっていた「河内ふるさとのみち」へ。この辺りはあまり馴染みがないので、見知らぬ土地への期待が高まる。
京都から橿原神宮、古市乗換えで滝谷不動駅へ。2時間以上かかった。大阪経由で来た方が早かったかなと少し後悔。
駅から東へ。滝谷不動への標識に従い、石川を渡り、ゆるやかに山手の方に登っていく。道が下りになると不動は近い。
日本三不動の一つで、「眼の神様」。ここを再建した盲僧の眼が見えるようになったらしい。VDT作業の連続でドライアイのひどい私の眼も少しはマシになったか。
不動前の民家の間の細い路地を抜け、のんびりとした耕作地の中を進む。
大阪とは思えません。のんびり進む。道はゆるやかな登り基調。少々気温が高いかな。蒸し暑さを感じる。
初芝富田林中高の校舎横に出て、学校から登ってくるルートと合流し、さらに登っていく。両サイドはみかん園となる。ここだけみかん狩りの人ですごく賑わっている。
みかん園の最上部まで登ったところで、パッと視界が広がり、金剛・葛城の山並みが目に飛び込んできた。
あー来て良かった。心が仕事で病んでるせいか、いつもよりダイレクトに景色が心に飛び込んでくる感じがします。
みかん園の中を下っていくと、すぐに龍泉寺。蘇我馬子が創建した薬師如来を本尊とする古刹で、少々荒れ気味だが、鎌倉期の庭園も残されている。
鎌倉中期のもので、大阪府下で最古唯一の八脚の門。金剛力士像も同時期のもので、なかなかいい表情をしていました。
このお寺も結構高台にあるため、金剛の眺望は秀逸。しばらくの間、境内でほっこりとしてしまいました。
急な坂を下る。入り組んだ古い集落の間を抜けるが、要所には「河内ふるさとのみち」の道標があるので、スムーズに龍泉バス停へ。バス道を渡り、ゆるやかな登り降りをこなすと、だだ広い平坦地に出る。
山間の地に突如出現した広大な景色に驚く。このコース、地味ですが、時々ハッとする光景に出くわすので、なかなかお勧めです。
この平坦な台地をひたすら南に直進。平坦地が尽きると佐備川に沿った谷間を進むようになり、道標のある民家のところで、川を渡り、登り返したところが楠妣庵観音寺の登り口。
楠公の夫人が、夫の戦死後に出家し、草庵を結んで一族の冥福を祈ったところ。
紅葉の時期は特に素晴らしいそうです。登り返しは少々きつく感じたが、緑に埋もれる境内が気持ち良過ぎます。
山門から急な石段を下り、甘南備のバス停に降り立つ。またしても登り返しとなる。重機の並ぶ資材置き場が連続する何の面白みのない車道を黙々と登る。
見晴らしの良い場所で発見。その名も『超宗派万国戦争犠牲者慰霊 大平和祈念塔』! 人種・民族・国境の区別なく、宗教的信条の違いも超えて、有史以来のあらゆる戦争による犠牲者の霊を奉祀(ほうし)してお慰めしているらしい。ふーん。
千早赤阪村の村民グラウンドのところで、細い車道に入る。道はさらに細くなり、今日初めて山道となる。みかん畑に囲まれた尾根道でゆるやかに下っていく。
気持ちの良いひとときが、一気に暗転する。オオスズメバチがどこからかやって来てうるさくまとわりつく。怖くて仕方が無いので、走って逃走。何とかやり過ごす。
気が付くと、下赤阪城跡に来ていた。楠木正成が最初に挙兵したとされる場所に来れたのはもちろん嬉しかったが、それ以上にここから見下ろす棚田が素晴らしい。大阪もなかなか懐広いですね。
みかん山の中をのんびり下り、住宅地に着陸すると、すぐに森屋のバス停に到着。久しぶりに体を動かしたので、結構疲れてしまった。ちょうどバスが来たので、富田林へ。楠木公の生誕地はまたの機会にと言うことで…
参考タイム
10/30 | 近鉄滝谷不動駅 10:05 ⇒ 10:25 滝谷不動 10:30 ⇒ 11:05 龍泉寺 11:15 ⇒ 11:50 楠妣庵観音寺 12:00 ⇒ 12:25 赤阪城跡 12:30 ⇒ 12:45 森屋バス停 |
山行データへ
諸国名山探訪
Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved