熊野古道中辺路その2(滝尻〜野中一方杉)

−中辺路2日目。いよいよ熊野の神域へ。−

   

山行概要

日 程
2015年12月31日(水)
山 域
熊野古道中辺路
天 気
曇り後晴れ
メンバー
単独
コースタイム
滝尻王子社=0:15=乳岩=0:05=不寝王子跡=0:20=剣ノ山=0:10=飯盛山=0:15=針地蔵尊=0:20=高原熊野神社・高原霧の里休憩所=0:35=大門王子跡=0:25=十丈王子跡=0:10=悪四郎屋敷跡=0:15=悪四郎山=0:10=悪四郎屋敷跡=0:40=逢坂峠=0:15=大坂本王子跡=0:25=箸折峠=0:15=近露王子跡=0:45=比曽原王子跡=0:20=継桜王子跡=0:05=野中の清水【5:45】

記録文(写真はクリックで拡大)

 昨日の紀伊田辺〜滝尻に続く、年末年始の中辺路2日目。
 車中泊した田辺のスーパー銭湯「弁慶のさと湯」を5時に出発。市内の好き屋で牛丼をかっ喰らい、車で中辺路へ戻る。昨日のゴールかつ、本日のスタート地点となる滝尻王子をいったん通り過ぎ、さらにR311を熊野本宮方面へ進む。
 野中一方杉のバス停で、細い車道に入り、しばらく登ると、本日のゴールに予定している継桜王子跡の直下にある、野中の清水に到着するが、適当な駐車スペースが暗闇のせいもあって良く分からず、何度か行っては戻るを繰り返し、何とか、清水から少し車道を下った辺りの路側帯に車を止めた。
 気が付けば、野中一方杉6時35分発のバスの時間まで、あと30分弱となっていた。これに乗れないと計画が崩壊してしまう。慌てて身づくろいをし、先ほど車で登った車道を駆け下り、何とかバスに間に合うことができた。
 さすがに大晦日なので、ハイカーは誰もいないかと思っていたら、私の他にもう一組がバスに乗車しており、私と同じく、滝尻のバス停に下車した。
 まだ薄暗かったので、超美麗なトイレで歯磨きをしながら、のんびり準備を整え、7時25分、滝尻王子社でお参りし、ようやく歩き出す。

滝尻王子社を出発 7:25

 いよいよ熊野の神域へ分け入る時が来た。天満橋から延べ12日間かかったので、感慨はひとしおである。その感慨も束の間、王子から一気の急登で幕を開ける。ここまでの急坂は、天満橋からの200キロ以上の道のりでは一度も無かったので、さすがに神域に入ったと実感する。スローペースでじっくり登っていくと、胎内くぐりと乳岩に出た。

乳岩 7:41

 案内板によると、胎内くぐりは、「熊野への道が潮見峠超えに改まって、室町時代から、この剣ノ山を登る熊野参詣者はなくなった。しかし、土地の者は、春秋の彼岸に滝尻王子社に参り、そこで竹杖を持って山路を登り、ここの岩穴をくぐって、山の上にあった亀石という石塔に参ってきたといわれる。この岩穴を抜けるのを胎内くぐりといい、女性がここをくぐれば、安産するという俗信がある」らしい。
 くぐろうとしたら、ザックが引っかかって断念。乳岩にいったん迂回路で登ってから、ザックをデポして、再度、チャレンジし、ごく細の岩穴をかいくぐって、見事、突破に成功した。

 そして、再び乳岩に登り、傍らで休憩。乳岩については、「藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た時、ここで夫人が急に産気づき、この岩屋で出産したという伝説がある。夫妻は赤子をここに残して熊野に向かったが、その子は、岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったので、奥州へ連れ帰ったと伝えられている。その子が成長して、秀衡の三男の和泉三郎忠衡になったという話まである」とホンマかいなっていう話である。

不寝王子跡 7:50

 乳岩から少し登ると、不寝王子の標識が立つ。
 不寝王子(ねずおうじ)の名は、中世の記録には登場しない。江戸後期の地誌「郷導記」(元禄年間)での記述が史料上の初出で、ネジないしネズ王子と呼ばれる小祠址についての記述があり、「不寝」の字を充てるとしているが、その存在は不明確であるともしている。「続風土記」でははっきり廃址と断じており、滝尻王子に合祀されていると述べている。
 さらに急登が続く。朝一いきなりでこれは辛い。ひとしきり登った小平地に「剣ノ山経塚跡」の看板が立ち、ここが標高371mの剣ノ山山頂であるが、展望は無い。

飯盛山山頂 8:20

 完全に尾根道となった古道をさらに進むと、展望台があり、ここが飯盛山341mの山頂である。どんよりとした曇り空で、小雨もぱらつくあいにくの時雨模様である。先を急ぐ。

針地蔵尊 8:20

 飯盛山から、ゆるやかに下り続け、いったん車道をまたいで、さらに山道を進むと、針地蔵尊。
 糸を通した針2本を立てて祈願すると歯痛が治ると伝えられている。
 さらにきつい登りをこなすと、テレビアンテナの立つピークが現れ、ここから下ると、舗装路に飛び出し、民家も現れる中を進むと、高原地区の産土神である高原熊野神社に到着。

高原熊野神社 8:58

 春日造の本殿は、室町時代前期の様式を伝え、熊野参詣道中辺路における最古の神社建築である。
 境内は、地元の人たちが新年を迎える準備中だった。

高原霧の里休憩所からの果無山脈 9:03

 集落を少し進むと、高原霧の里休憩所があり、休憩所の駐車場からは、正面に果無山脈の展望が全開!
 休憩所から細い路地で民家の間を抜けていく。「旧旅籠通り」であり、民家には昔の屋号が表示されている。

大門王子跡 9:40

 再び山道となり、高原池の畔を通過すると、大門王子跡に到着。朱塗りの社殿が祀られている。
 この王子は、いつも出てくる、後鳥羽院の熊野御幸に随行した歌人、藤原定家が書き残した日記「熊野道之間愚記」や藤原宗忠(藤原北家中御門流の権大納言藤原宗俊の長男。従一位・右大臣)が摂関政治から院政への過渡期の政治上の要事を克明に書き留めた「中右記」に記載なく、鳥居源之丞の「熊野道中記」(享保7年(1722年))に「社殿なし」としてこの王子の名が登場するのが史料上の初出であることから、中世熊野詣以後の時代に建てられた王子と見られている。大門の名の由来は、この付近に熊野本宮の大鳥居があったことによるという。

十丈王子跡は休憩に最適 10:06

 再び上り下りを果てしなく繰り返していく。林道等の人工物に出合わないので、熊野古道でこの辺りが、一番山深さを感じるところだ。
 そして、十丈王子に到着。トイレもあり、休憩にはもってこいの場所だ。
 中世の参詣記には重點(じゅうてん)の地名および重點王子の社名で登場し、「中右記」天仁2年(1109年)10月24日条に雨中に重點を通過したとあり、王子の名は「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月14日条に初見する。

 重點の名が十丈に転じた理由は明らかではないが、時期としては江戸時代以降のことで、「紀伊続風土記」に「十丈王子」の記載がある。江戸期には茶店などを営む小集落が近辺にあり、王子神社として祀られていた。明治時代以後は村社とされたが、明治41年(1908年)春日神社(田辺市大塔村)に合祀され社殿は撤去されたという。

悪四郎山山頂からの展望 10:06

 さらに登っていく。この辺りが、熊野古道で一番標高の上がる区間で、700m近い稜線北側をトラヴァースしていく。
 標識のみが建つ、悪四郎屋敷跡に到着。十丈の悪四郎は伝説上の有名な人物で、力が強く、頓智にたけていたといわれる。悪四郎の「悪」は、悪者のことではなく、勇猛で強いというような意味であるようだ。
 この標識の背後から、悪四郎山(782m)に登る踏み跡が延びている。ピークハンターの私としては、パスする訳にいかず、急坂を一気に登る。
 悪四郎山山頂は、南側だけが伐採されて、展望良好。はるか、大塔、法師の山並みが見渡せた。

三体月伝説の説明版が立つ辺り 11:27

 屋敷跡に戻り、さらに古道を辿る。だいぶ天気が回復してきて、青空が輝くようになってきた。
 急な下りを繰り返していくと、三体月伝説の説明版が立つポイントが現れる。
 三体月伝説…今は昔、熊野三山を巡って野中近露の里に姿を見せた一人の修験者が、里人に「わしは11月23日の月の出たとき、高尾山の頂きで神変不可思議の法力を得た。村の衆も毎年その日時に高尾山に登って月の出を拝むがよい。月は三体現れる。」半信半疑で村の庄屋を中心の若衆達が、陰暦の11月23日の夜、高尾山に登って月の出を待った。やがて、時刻は到来、東伊勢路の方から一体の月が顔をのぞかせ、あっというまにその左右に二体の月が出たという。
 ふーん…

大坂本王子跡 11:45

 さらに大きく下ると、久方ぶりに林道と交差する。ここが逢坂峠。峠から谷沿いの湿った道を下ると、大坂本王子跡。
 この王子は、大阪峠(逢坂峠)の麓にあることから名づけられたと見られる。逢坂峠は近露側から登るには相当の急坂であることから、古くから大坂と呼ばれており、「中右記」10月14日条に「大坂本王子」の地名が登場している。
 江戸時代には「大坂王子」「相坂王子」とも記され、「続風土記」には社殿はなく碑のみとし、1909年(明治42年)に近露の近野神社に合祀され、廃絶した。
 明るい疎林の道を下って行くと、道の駅「熊野古道中辺路」が現れ、牛馬童子口バス停もあるので、エスケイプ可能。

箸折峠 12:10

 さらに遊歩道を登っていくと、箸折峠に到着。宝篋印塔と牛馬童子像二体が立つ。
 箸折峠のこの丘は、花山法皇が御経を埋めた所と伝えられ、またお食事の際カヤの軸を折って箸にしたので、ここが箸折峠、カヤの軸の赤い部分に露がつたうのを見て、「これは血か露か」と尋ねられたので、この土地が近露という地名になったという。
 ここの宝篋印塔は鎌倉時代のものと推定され、県指定の文化財である。石仏の牛馬童子は、花山法皇の旅姿だとも言われ、その珍 しいかたちと可憐な顔立ちで、近年有名になった。そばの石仏は役ノ行者像である。

近露の郷へ 12:15

 ここまで来ると近露の郷は近い。峠から少し下った辺りで、目の前がパッと開け、近露の長閑な風景が眼前に広がった。
 近露に降り立ち、日置川を北野橋で渡り、集落内へ。

近露王子跡 12:25

 近露王子跡は、橋を渡ってすぐの畔にあった。
 近露王子は、九十九王子の中でも最も早い時期から現れたものの一つであり、藤原為房の日記「為房卿記」に永保元年(1081年)の参詣記があり、その中で「近湯」の地名が初見され、「中右記」天仁2年(1109年)10月14日条には、川で禊ぎをした後、「近津湯王子」に奉幣したとの記述がある。
 王子碑は、大本教の教祖、出口王仁三郎が、当時の村長・横矢球男の依頼に応じて筆をとったものを彫りつけて建立したもの。

近露の雑貨屋 13:05

 王子跡のすぐ近くには、レトロな雑貨屋があり、ここでスナック菓子とコーヒーを購入し、しばし休憩。空はすっかり晴れ渡り、今日も最高のハイク日和となった。
 歩行を再開。野長瀬一族(大和十津川郷野長瀬組の出身で、13世紀初頭近露荘の下司職となり、元弘の変以後、楠木正成を助け、一方で南都から吉野に向かった護良親王の危急を救ったと太平記にも記されている。その功績で「横矢氏」を賜った。以後一族は、野長瀬或いは横矢と称し、南朝・後南朝を助けたが、時に利あらず近露に帰荘し、勢力を張ったと言われている)の墓に立ち寄ってから、舗装路をのんびりと登っていく。

乙女の寝顔 13:18

 振り返ると、スカイラインが、「乙女の寝顔」と呼ばれる、大塔山地の名峰、半作嶺の姿が…
 楠山坂登り口と呼ばれるポイントで、車道を離れ、再び山道へ。しかし、すぐに旧国道の舗装路に飛び出し、こんな高台に… と思えるほど高地にある大畑の集落に入る。

野中集落 13:44

 次は野中集落。それにしても眺めが抜群。谷を挟んで、狼乢山から三日森山が素晴らしい。この辺りは日本オオカミ最後の生息地と言われている。

比曽原王子跡 13:50

 比曽原王子跡は、野中の集落を過ぎた車道の傍らにひっそりと佇んでいた。
 比曽原王子の名は「熊野道之間愚記」や「熊野権現垂迹縁起」に見られるが、早い時期に退転したようである。
 元文4年(1739年)の参詣記「熊野めぐり」には、近隣の住人に尋ねてもその由来を知る者がいなかった、と述べられている。

継桜王子跡 14:10

 くねくねと曲がる旧国道を進むと、ついに継桜王子跡に出た。
 継桜王子は、「中右記」天仁2年(1109年)10月24日条に「続桜」の名で、根元が檜で上部が桜という稀有な木の報告があり、次いで、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条には「継桜」の文字が見られるように王子社が成立しており、以後も「熊野縁起」(正中元年(1326年)、仁和寺蔵)に「続桜」、「九十九王子記」(文明5年(1474年))には「次桜」の名で知られていたことが分かる。
 そして、社地を囲む鎮守の森の巨木群は、どの木もみな一様に南東方向の那智山の方角にのみ枝を伸ばしていることから野中の一方杉と言われている。

秀衡桜 14:17

 継桜には秀衡桜ともよばれ、藤原秀衡にちなむ伝説が伝えられている。
 ここで、本日の熊野古道歩きは終了。急な階段を下ると、野中の清水に降り立ち、車を回収した。

湯の峰温泉 17:08

 大晦日のねぐらは、湯の峰温泉に決めたが、時間は余りまくっているので、まずは渡瀬温泉の「クアハウス熊野本宮」へ。正直なところ、設備、泉質ともに、普通の温泉とあまり変わらなかった…
 気を取り直して、湯の峰温泉へ。公衆浴場は一般湯と、くすり湯に分かれており、くすり湯はソープが使えない代わりに、源泉掛け流しである。先程、渡瀬温泉に浸かったばかりの私は、当然ながら、くすり湯へ。
 ここは当たりだった。濃厚なお湯にご満悦の私であった。

 そして、公衆浴場前の食堂で、一杯ひっかけてから、車中泊へ。大晦日の晩を一人で過ごすという、悲惨な年越しが始まる…
 明日はついに熊野本宮大社への最終章だ!

参考タイム

12/31滝尻王子社 7:257:40 乳岩 7:457:50 不寝王子跡 7:508:10 剣ノ山 8:108:20 飯盛山 8:208:35 針地蔵尊 8:358:55 高原熊野神社・高原霧の里休憩所 9:059:40 大門王子跡 9:4010:05 十丈王子跡 10:1510:25 悪四郎屋敷跡 10:2510:40 悪四郎山 10:4010:50 悪四郎屋敷跡 10:5011:30 逢坂峠 11:3011:45 大坂本王子跡 11:4512:10 箸折峠 12:1012:25 近露王子跡 13:0513:50 比曽原王子跡 13:5014:10 継桜王子跡 14:2014:25 野中の清水

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