−カニが目当ての100名城の旅1日目−
山行概要
2019年12月14日(土) | |
鳥取城跡 | |
曇り時々雨 | |
単独 | |
JR鳥取駅=0:25=鳥取城跡入口(北ノ御門跡)=0:25=山上の丸本丸(久松山)=0:15=天球丸=0:10=仁風閣=0:30=味暦あんべ=0:10=JR鳥取駅【1:55】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
約2箇月しか漁の時期がない「親がに」(鳥取では、ズワイの雌ガニ(せこがに)のことを親がにと呼ぶ)を15杯前後も使う「親がに丼」を前日の金曜日に急に食べたくなった(店は後述)。
確実に食べるには予約必須とのことで、何度か電話するが、多忙のようで、なかなか繋がらない。何度もかけ直して、ようやく電話がつながり、「14時からなら、何とかいける」とのこと。中途半端な時間だったが、予約が取れただけでもラッキー。慌てて、往復の電車や宿を確保し、どうせ鳥取まで行くので、城巡りの行程も急造ながら組み立て、翌日へ…
大阪駅を9時25分に出る「スーパーはくと3号」に乗り込む。カニシーズン真っ盛りのため、車内は団体客が多い。最悪にも座席を回転させて宴会する気満々のオッサングループが真横におり、やかましくて仕方がない。昨晩も遅くまで宴会だったので、せっかく車内で爆睡しようと思っていたのに(涙)…
地獄のような2時間半が過ぎ、定刻通り、鳥取駅に到着。食事の時間まで2時間あるので、この間に鳥取城跡を巡ろうという算段である。
天気予報では昼から雨だったが、ピロシパワーが炸裂し、何故か晴れ間も見える。まずは、城跡方面へ真っ直ぐに伸びる「駅前通り」を、ひたすら北東に進む。
県庁の西側を抜けると、いよいよ鳥取城跡である久松公園ゾーンに入ってくる。鳥取市武道館の前には吉川経家(つねいえ)像が立つ。背後の山は、鳥取城跡のある久松山。
天正9年(1581年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉率いる中国討伐軍が因幡国まで侵攻し、毛利氏に従属していた鳥取城主・山名豊国は信長に降伏しようとしたため、家臣の森下道誉・中村春続に追放され、森下らは吉川元春に支援を要請する。この要請を受け、吉川一門で文武両道に優れた経家を鳥取城に派遣し、約4千の兵で秀吉に対峙させた。
同年6月に秀吉率いる2万の軍勢が因幡に侵攻し、7月には鳥取城を包囲するが無闇に手を出さず、黒田孝高の献策により包囲し続けた。包囲後約2箇月で兵糧は尽き、城内の家畜や植物も食べ尽くし、3箇月目には餓死者が続出し始め、城内は「餓死した人の肉を切り食い合った。子は親を食し、弟は兄を食した」という地獄絵図となった(「鳥取城渇え殺し」)。それでも4箇月の籠城に耐えたが、10月、経家は森下、中村らと相談し、自らの切腹を条件に城兵の助命を申し入れ、降伏した。
秀吉は経家の奮戦を称え、帰還させるとの意思を伝えたが、経家はそれを拒否し、見事に自害した… 秀吉は経家の首を見て、男泣きしたと伝わる。
宝珠橋で壕を渡り、北ノ御門跡から城内へ。
北ノ御門跡は、慶長の大改築前は大手門だったが、改築後に搦手門とされた。町人が丸の内に出入りする場合は、この門を使用したという。
鳥取城は、標高263mの久松山頂の山上の丸を中心とした山城部と、山麓の天球丸、二の丸、三の丸、右膳の丸などからなる山下の丸からなる梯郭式の城郭である。
標高6mほどの北の御門から入城し、真っ直ぐ進んで行くと、仁風閣(じんぷうかく)を右に見ながら、石段を登ると、右膳の丸という、二の丸の一段下にある郭に入る。
ここで標高26m。右膳の丸の名の由来は、城代高木右膳の屋敷があったことによる。
さらに一段上がって二の丸へ。ようやくここで標高37m。だいぶ展望が広がってきた。
二の丸の奥に八幡神社が建っており、この脇から、山下の丸の本丸に当たる天球丸(標高51m)と、山上の丸に登る中坂に向かう登路が伸びている。
天球丸は後に回すことにし、まずは、山上の丸に登ることとし、中坂へ取り付く。
標高僅か263mであり、完全に舐めていたが、急登続きで、基本は石段だが、岩が露出した険しい箇所もあり、なかなかに厳しい登りである。しかも、丁寧に合目標識が付けられており、逆にウザい(笑)
それでも20分ほど黙々と急登を登れば、山上の丸の本丸と二の丸の間に登り着き、山上の丸の一角に到達。
本丸へ侵入すると、北西隅にさらに高台があり、これが最高所の天守台である。
天守台上は、烈風が吹きすさんでいたが、眺望は最高! 北の日本海方面を望む。鳥取砂丘も見えている。
登って来た方向である南東方向の市街地中心部を見下ろす。
鳥取城の天守は、「因幡民談記」によると天正元年(1573年)に山名豊国が、因幡守護所を布勢天神山城(湖南町の辺り)から鳥取城に移した際に、布勢天神山城の3層の天守を移築したとされている。
関ヶ原の後、池田長吉が鳥取城主となった際、強風によるゆがみを避けるために2層に改築された。天守台は南北10間5尺×東西10間2尺のほぼ正方形で、2層天守の台としては非常に大規模なものであり、現存天守では犬山城天守とほぼ同じ大きさである。
残念ながら、天守は元禄5年(1692年)に落雷で焼失し、以後再建されなかった。
ついに雨が降り出して来たので、すぐに下る。本降りではないので、樹林帯に逃げ込めば、濡れることはない。
それにしても急だ。慎重に下る。
五合目は平らなスペースになっており、一息つける。ここは戦国期の砦跡らしく、北側の隅には桂蔵坊という狐を祀った中坂神社が建っている。
ちなみに桂蔵坊とは、池田の殿様に仕え、「桂蔵坊」と名乗った狐のことで、若侍に化けるのがうまく、江戸まで3日で行き帰りできるすぐれた術を持っているため、殿様に大変かわいがられていた。ある時、桂蔵坊は殿様から言いつかった仕事で江戸に出向いた。お城からほど近い村にさしかかったところ、香ばしいよい匂いがしてくる。ふと見ると道の脇で焼きねずみを罠に仕掛けている百姓がいたので、侍に化けてわけを聞いてみたところ、『畑を荒らす狐を退治するために罠を仕掛けている』とのことだった。江戸で用事を済ませた桂蔵坊が帰路にその村を通りかかると、あの焼きねずみがよい匂いを放っている。罠が仕掛けられていると知りつつも、匂いに釣られ我慢ができなくなった桂蔵坊は焼きねずみに飛びつき、挟まれて死んでしまった。池田の殿様は桂蔵坊をたいそう哀れがり、お城に中坂神社を造り桂蔵坊を祀ってやったということである。
一気に下り切り、山下の丸の本丸格で最高所にある天球丸へ。
天球丸とは、鳥取藩初代藩主、池田長吉の姉で若桜鬼ヶ城主・山崎家盛の夫人だった天球院が山崎家を去った後に居住していたことから、この名が付いた。
江戸時代後期には石垣のたわみを防ぐために球面を持つ巻石垣によって石垣下部が補強されたことが明らかになり、巻石垣が復元された。こうした巻石垣は港や河川の工事に用いられるのが主で、城郭の補強に用いられるのは、きわめて珍しい。
二の丸に下る。南西隅には、かつて3層3階の隅櫓が建っていた櫓台が残っている。
山上の丸の天守が焼失してからは鳥取城を象徴する建物であり、古写真によれば、黒の下見板張り・瓦葺きで、飾り破風は一切ない。櫓台の東側に入り口が設けられ、階段を上ると1階中央に達するようにできていた。
古写真から高さを推計すると、櫓台からの高さは約18mであり、その規模は約16mの宇和島城天守や、約15mの丸亀城天守をしのぐほどである。
城跡から、仁風閣に直接降りる。
仁風閣は、中国地方屈指の明治洋風建築で、国指定重要文化財である。
鳥取城の扇御殿跡に、片山東熊の設計、橋本平蔵の監督によって建設され、明治40年(1907年)に完成した。木造2階建て白亜塗りのフレンチルネッサンス様式で、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸という名目だったが、最初から皇族の宿泊を意図して設計・建築されたといわれる。完成同年に行われた皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の御宿所として利用され、館名は、これに随行した東郷平八郎元帥が命名したもので、同人の筆による額も現存している。
いよいよ今旅の本命である「味暦あんべ」さんの予約時間が近づいてきた。
JR鳥取駅からは10分ほど離れたところにある「味暦あんべ」に14時少し前に到着するが、既に20名ほどが店の前に立っている…
全員予約している模様で、14時過ぎから順番に名前を呼ばれ入店し、小生も無事呼ばれて、2階席に案内された。
親がに丼の説明書きを見て興奮。生の内子なんて食べたことありません…
親がに丼は2種類あり、並が4500円!!だが、せっかくわざわざ鳥取まで来たので、私はカニが増量された、極(きわみ)6000円!!!をチョイス。
10分ほどで運ばれてきた。ビジュアルに圧倒されながら、順番に食べていくが、やはり生内子の醤油漬けが最高! ねっとりとした食感も溜まらん…
カニ身も普通に旨いし、プチプチの生外子も素晴らしい! あっという間に完食してしまった…
鳥取駅方向に戻り、宿にチェックインし、温泉に入ったり、軽く転寝してたら、夕方になった。15時前まで食べてたのに、何故か腹が減ってきたので、また街に繰り出す。
「海鮮問屋 村上水産 鮮魚部」さんの始業時間に合わせて突入。スムーズに入店し、甘えびでスタート!
注文は全てタッチパネルというスマートなお店である。
続いてハタハタ一夜干し。頭から丸ごといただきました…
焼き鳥盛り合わせ…
勢い余って、カニの天婦羅を発注してしまった…
大満足で店を後にする。
駅前のパチンコ屋にフラフラと吸い込まれ、「北斗」を回したら、何と北斗揃いで収支5万円オーバー! 旅費の回収に成功!(笑)
鳥取は、駅前に源泉掛け流しの湯が沸く、素晴らしい街である。いくつかある温泉銭湯の中で「元湯温泉」さんをチョイスし、ここで沈没。
源泉掛け流しの温泉が400円で楽しめる(笑)パラダイスである。大満足の鳥取の旅1日目が終わった…
2日目へ(若桜鬼ヶ城跡・若桜宿)。
参考タイム
12/14 | JR鳥取駅 12:05 ⇒ 12:30 鳥取城跡入口(北ノ御門跡) 12:30 ⇒ 12:55 山上の丸本丸(久松山) 13:00 ⇒ 13:15 天球丸 13:15 ⇒ 13:25 仁風閣 13:25 ⇒13:55 味暦あんべ 14:50 ⇒ 15:00 JR鳥取駅 |
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