玄蕃尾城跡・敦賀市街散策

−長年の宿願だった「こばせ」さんカニツアーの2日目に敦賀を散策−

   
  

山行概要

日 程
2018年12月2日(日)
山 域
玄蕃尾城跡・敦賀市街
天 気
快晴
メンバー
F、私
コースタイム
玄蕃尾城跡駐車場=0:05=刀根坂峠=0:10=玄蕃尾城跡=0:10=刀根坂峠=0:05=玄蕃尾城跡駐車場【0:30】
JR敦賀駅=0:10=越前そば むぎや=0:05=気比神宮=0:15=敦賀赤レンガ倉庫=0:15=金崎宮=0:15=金ヶ崎城跡=0:45=敦賀市立博物館=0:05=晴明神社=0:35=JR敦賀駅【2:25】

記録文(写真はクリックで拡大)

 なかなか予約が取れず、長年の宿願となっていた越前海岸の「こばせ」さんの開高丼。
 丼だけの昼食予約は、10月以降の受付開始で、いつも出遅れて予約が取れなかったのだが、25000円の開高丼付きのカニフルコースならそれ以前でも予約可というのを、今年になってようやく知ったのだ(笑)
 もう一つの難点は、車でないと非常に不便な場所であること。酒呑みたいしな〜 と思っていたら、何と、12月〜2月の間は、地元越前町の観光連盟が、敦賀駅発着のツアーバスを往復2000円で運行しているのだ!
 と言う訳で、9月中に「こばせ」さんの予約を完了し、その時を心待ちにしたのであった。

 12/1 曇り

 敦賀駅発のツアーバスは10時40分発。このため京都駅を8時半の電車で出て、米原乗り換えで、敦賀には10時20分着。
 予定通りバスに乗り込み、「こばせ」さんには12時前に到着〜

「こばせ」さんに到着 11:55

 建物は古い(失礼)ですが…

ロビーの水槽 11:57

 玄関前のロビーには、黄色いタグを付けた越前かにが大量に…
 早速、部屋に通され、スタート!

今旅1食目、「こばせ」さんのカニフルコーススタート! 12:01

 カニみそ突き出し(左)とセイコがにみぞれ合えでスタート!

月見がに! 12:10

 初めて食べました…

茹でがに! 12:14

 一人で一杯! 私はこの時点で最後まで食べきれるか不安になってきた(笑)…

カニのアライ! 12:18

 冷凍ものではここまで花が咲かない… 甘い…

つぶ貝刺し! 12:22

 このタイミングで、つぶ貝刺しが何故かやって来た(笑)

解体後の茹でがに! 12:27

 何と茹でがには2杯とも全て身をほぐしてくれた。自分らでホジっていたら、時間切れになったかもしれない…
 しかも、結局、2人とも茹でがには食べきれず、パックに入れてもらってのお持ち帰りとなった(笑)…

焼きがに! 12:29

 次々と押し寄せる波状攻撃に、もうフラフラ(笑)…

ついに開高丼降臨! 13:17

 そして、最後のトドメがやって来た。たっぷり2合のご飯の上に、セイコガ二の身と内子・外子が8杯分敷き詰められた、超贅沢丼である。

開高丼の断面 13:25

 かに身の厚みも凄い! ご飯にはかにの旨味がたっぷりとしみ込んでおり、ご飯だけでも旨い!
 開高丼を完食したのは、帰りのバスの発車時間である14時近くになっていた… デザートもいただき、至極のランチが終了した。
 左手でお腹をさすりながら、右手には茹でがにのむき身がぎっしり詰まったパックをぶら下げながら、バスに乗車し、敦賀駅へ。越前海岸での滞在時間わずか2時間のロケットツアーであった。ちょっと慌ただしかったな…

佐渡酒造! 15:22

 前から知っていたが、敦賀駅前から気比神宮へ続くシンボルロードには、松本零士氏の「宇宙戦艦ヤマト」の像が12体、「銀河鉄道999」の像が16体、計28体の像が並んでいるのだ。
 松本零士氏は、敦賀市に縁もゆかりもないのだが、平成11年(1999年)に敦賀港が開港100周年を迎えた際に、開港を記念して、当時の敦賀市のイメージであった「科学都市」と歴史を引き継いだ「港」と「鉄道」に将来ビジョンを重ね合わせ、「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」の像を設置することになったという。何じゃそら… 無理やり感満載…
 しかし、ヤマトフリークの私は喜々としてヤマトのキャラクターの像を撮影しまくるのであった…

今旅2食目は「居酒屋五味」さん!@ 18:12

 敦賀駅前のホテルにチェックインし、温泉&仮眠して、18時に予約していた「居酒屋五味」さんへ向かう。しかし、お昼喰い過ぎて、お腹が全然減ってない…
 それでもカワハギ刺しは外せない(笑)

今旅2食目は「居酒屋五味」さん!A 18:19

 そして、つぶ貝刺し!
 しかし、何とこれでギブアップ(涙) せっかく人気店の予約が取れたのに… 残念…
 しかも、ホテルには茹でがにむき身満載のパックが残っている。駅前のアルプラザでかに酢を調達し(笑)、ホテルで部屋飲み(笑)

今旅3食目は「池田屋ごんちゃん」さん! 23:07

 すっかり呑み過ぎて、満腹感が麻痺してきて、〆が欲しくなってきた(笑)
 そうなると、敦賀の屋台ラーメンがは外せない! と言う訳で、またしても街に繰り出し、敦賀ラーメン屋台の代表格である「池田屋ごんちゃん」さんへ。
 豚骨醤油系のこってりラーメンを堪能し、大満足の暴飲暴食の旅の1日目が終わった…

 
   

 12/2 快晴

 胃が重い(笑)… 超快晴だが、なかなか出発できず、宿を出たのは9時。
 この日の午前中のターゲットは、なかなかマイナーな場所である、玄蕃尾城跡。敦賀市と長浜市の境の山奥にあり、車でしか行く手段がない。と言う訳で、いつものようにタイムズカーシェアを利用することに。
 R8から県道140号線へ快調に進む。玄蕃尾城跡へは、柳ヶ瀬隧道トンネルの手前にある標識に従い、左折して林道に入るのだが、何故か見落としてしまい、6分半間隔の交互通行トンネルを往復する羽目になってしまった。
 ちなみにこの柳ヶ瀬隧道トンネル線は、かつての国鉄北陸本線の旧ルートであり、鉄道路線時代のトンネルを現在もそのまま使用しているのだ。単線トンネルであったため幅員は車1台分ほどしかなく、灯火も少ない。このため、交互通行になっているのである。
 駐車場にはトイレが設置されていた。

駐車場をスタート! 10:00

 北国街道の脇道である刀根坂越えのルートに入り、まずは刀根坂峠を目指して登って行く。
 ちなみに刀根坂峠は、信長が浅井長政の救援にやってきた朝倉義景をフルボッコにしたところで、一乗谷に敗走した義景は、信長に追撃され、朝倉氏は滅亡することになる。
 刀根坂峠で左折し街道を離れ、急登を登って行く。すると程なく城跡の案内板が現れ、城内の一角にたどり着く。
 郭1、虎口郭、馬出郭と順に巡り、本郭(本丸)跡に到着。けっこうな山上にあるのだが、かなりはっきりと郭や空堀、土塁の形状が残っており、縄張りが良く分かる。

本郭(本丸)跡 10:24

 玄蕃尾城は、北国街道を見下ろせる交通の要衝に位置することから、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた山城であり、郭の配置など、全体として完成度が高く、山城の最高水準の到達点の一つであるといわれている。
 築城時期は、朝倉氏の山城を柴田勝家が整備、又は賤ヶ岳の戦いの時期に初めて勝家が築城という、主に2説ある。
 結局、賤ヶ岳の戦いでは、勝家は玄蕃尾城で戦うことなく撤退したので、城跡が良好に残っているらしい。
  写真のように郭は、高土塁で囲まれており、2つの馬出郭と1つの張出郭が備わっている様子も明瞭である。きちんと刈り払いもされているので、こんな分かりやすい山城跡を見るのは初めてである。

郭2跡 10:32

 郭2は、本郭の北側にあり、搦手側を守備する郭。城内の郭では最大の規模を誇る。駐屯地や兵糧の備蓄場所として使用されたらしい。
 麓の刀根集落の気比神宮には、「天気よければ 玄蕃尾様(城を整備したとされる勝家の家臣である佐久間玄蕃允盛政)の 城の太鼓の 音がする 霞はれてくれ わしらの主の 玄蕃尾様 山見えぬ」という餅搗き唄が伝わっており、城名のルーツになったと言われている。
 満足して城探索を終了し、来た道を戻る。

今旅4食目は「越前そば むぎや」さん! 12:14

 敦賀駅に戻ると、ちょうど昼時。超有名店の「地魚料理まるさん屋」も潜り込めそうだったが、この夜は長浜でごちそうを予約していたので、本町にある「越前そば むぎや」さんへ。
 それでも、天ざるとビールを堪能…
 腹ごなしに敦賀市内探索をスタート!

気比神宮大鳥居 12:35

 あまりに有名な、越前国一ノ宮。
 「気比宮社記」によれば、仲哀天皇の時に神功皇后が三韓征伐出兵にあたって気比神に祈願をすると、海神を祀るように神託があり、皇后は穴門に向かう途中で海神から干・満の珠を得た。そして仲哀天皇8年(199年)3月に神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比神を祀らせたという。またこの時、気比大神は玉姫命に神憑りして三韓征伐の成功を再び神託したとも伝える。その後大宝2年(702年)に文武天皇の勅によって社殿を造営し、本宮に仲哀天皇・神功皇后を合祀したという。
 写真の大鳥居は、気比神宮の主要社殿が第二次大戦でほとんど焼失した中で、空襲を免れており、「日本三大鳥居」にも数えられ、国の重要文化財に指定されている。

気比神宮外拝殿 12:40

 焼失した本殿は国宝だったが、戦災で焼失。この拝殿は、本殿とともに昭和25年(1950年)の再建。
 本殿の周囲には東殿宮(本殿の東)・総社宮(東北)・平殿宮(西北)・西殿宮(西)の4社殿が建てられており、「四社の宮(ししゃのみや)」と総称される。

角鹿神社 12:53

 角鹿(つぬが)神社は、気比神宮の摂社筆頭であり、境内東側の裏参道に鎮座する。気比神宮は、正安2年(1300年)まで東口が境内表口であったことから、「門神(かどのかみ)」とも称されていた。
 祭神の都怒我阿羅斯等は、「日本書紀」では垂仁天皇の時に渡来したと記されている任那国の王子で、神宮の伝承では、その後天皇は阿羅斯等に当地の統治を任じたといい、この角鹿神社はその政所跡に阿羅斯等を祀ったことに始まるとして、「敦賀(つるが)」の地名は当地を「角鹿(つぬが)」と称したことに始まるとしている。
 社殿は流造銅板葺で、嘉永4年(1851年)の改築で、神宮の境内社では唯一戦災を免れている。

敦賀赤レンガ倉庫 13:10

 気比神宮の境内を抜け、海岸方面へ。目の前に非常に目立つ赤レンガが2棟見えてきた。
 これらは、明治38年(1905年)、紐育スタンダード石油会社によって建設された石油貯蔵用の倉庫で、欧亜国際連絡列車が発着する敦賀港駅からロシアを経てヨーロッパに繋がる国際都市として敦賀が繁栄した時代を象徴する施設の一つであり、平成21年(2009年)1月、国の登録有形文化財に登録された。
 南棟がレストラン館、北棟がジオラマ館として再整備されており、多くの人で賑わっていた。
 東側から回り込み、廃線となった敦賀港駅に向かう線路をまたいで山裾に取り付き、金崎宮へ。

金崎宮 13:30

 金崎宮(かねがさきぐう)は、この地で北朝方と奮戦した恒良親王と尊良親王を祭神としており、明治23年(1890年)、まずは尊良親王を祀って創立され、2年後には恒良親王が合祀された。
 毎年4月に行われる神事「花換まつり」が男女の出会いのきっかけになるものであったことから「恋の宮」として知られており、この日も若い女性が多数参拝していた…
 境内奥から遊歩道が続いており、金ヶ崎城跡へ登る。頂上部(金ヶ崎山)に月見御殿跡があり、本丸跡となっていた。

月見御殿跡からの敦賀湾 13:51

 金ヶ崎城は、源平合戦の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられ、何度か激戦地の舞台となっている。
 延元元年/建武3年(1336年)10月13日、足利尊氏に京を追われ、恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城し、直後、足利方の越前守護斯波高経らの軍勢に包囲され兵糧攻めにされる。翌年2月5日に義貞らは、闇夜に密かに脱出、杣山城(福井県南条郡南越前町)で体勢を立て直し、2月16日、義貞は金ヶ崎城を救援しようとするも足利方に阻まれるうちに。3月3日、足利方が城内に攻め込むと、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られ、尊良親王、新田義顕(義貞嫡男)をはじめ、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛(京都に護送後、殺害)され、3月6日、落城した。
 元亀元年(1570年)4月26日には、越前に侵攻してきた信長軍が、浅井長政の裏切りで挟撃にあったため、木下藤吉郎(秀吉)らに殿を任せ、近江朽木越えで命からがら京に撤退した、金ヶ崎の戦いがあった。

敦賀市立博物館 15:05

 城跡を下り、遊歩道を一周すると、再び金崎宮の境内に戻ってきた。西側に進み、かつての中心街であったと思われる古い街並みがのこっている通り(「博物館通り」)に入ると、立派な白亜のビルが目に入ってきた。
 これが市立博物館で、旧大和田銀行本店として利用されていた建物が市に寄贈され、博物館に転用されているのだ。
 大和田銀行本店として大正14年(1925年)に着工し、2年後の昭和2年(1927年)に竣工した。鉄筋コンクリート(一部石造)、地上3階地下1階建で、当時の北陸地方では珍しかったエレベーターも設置されていた。
 銀行としての業務スペースのほか、公共スペースも併せ持っており、地下はレストラン、屋上部はビアガーデンとして開放されていた。また3階には舞台を備えた集会場があり、公会堂としても利用されていた。これには、地域の経済発展とともに文化的な充実・発展を目指した銀行創業者大和田荘七の思想が反映されていると言われている。
 敦賀大空襲においても戦災を免れ、大和田銀行が三和銀行に吸収されると三和銀行敦賀支店となり、次いで福井銀行敦賀港支店として使われた後、昭和52年(1977年)に敦賀市に寄贈され、翌年より敦賀市立歴史民俗資料館(平成6年(1994年)、敦賀市立博物館に改称)として利用されている。
 建物は、平成29年(2017年)、国の重要文化財に指定された。

晴明神社 15:10

 博物館通りをぐるっと一巡してから、博物館のすぐ南に建つ、晴明神社へ。
 「何で敦賀にもあるの?」と思ってたら、晴明は敦賀で天文学・地文学の研究を重ねたといわれていることかららしい。また、拝殿には晴明が陰陽道の研究に使ったとされる「祈念石」が鎮座している。
 敦賀が研究の地に選ばれたことについては、当時、敦賀は大陸との交易の玄関口として栄えていたため、古代中国の「陰陽五行説」を基礎にした学問である陰陽道の研究に適していたからというのが有力な説らしいですが…

アナライザー!(笑) 15:24

 帰路はヤマトのモニュメントを眺めながらシンボルロードで敦賀駅までのんびり歩き。
 好天に恵まれた、寒さを全く感じない敦賀散歩でした〜
 そして、16時4分発の電車で長浜へ。

今旅5食目は「住茂登」さん!@ 17:07

 17時に予約していた「住茂登」さんへ。シベリアから飛んでくる天然の真鴨と鮒ずしがお目当てである。1年前にも行ったのだが、余りの旨さに早期のリピートとなったのだ。
 写真は鍋の鴨肉。ロースと抱き身(胸肉)、そして首の肉を骨ごと砕いたつくねの3種類である。

今旅5食目は「住茂登」さん!A 17:14

 そして、この鍋で鴨肉を煮るのだ。ネギとのコンビが最高!
 この他に、鮒の子をまぶした鮒の刺身や、鴨の肝と砂ずりの焼き物!

今旅5食目は「住茂登」さん!B 17:50

 そして、鮒ずしへ黄金リレー!(笑) 日本酒が止まりません…
 追加でもう一つ頼んでしまいました…
 最後は鍋の〆でうどんをチョイスし、完食! 最高!
 この後、完全に酔っぱらって、駅前の焼き鳥屋に飛び込んだようですが、覚えていません(笑)…
 新快速で何とか乗り過ごすことなく京都までワープし、暴飲暴食の2日間が終わった…

参考タイム

12/2玄蕃尾城跡駐車場 10:0010:05 刀根坂峠 10:0510:15 玄蕃尾城跡 10:4010:50 刀根坂峠 10:5010:55 玄蕃尾城跡駐車場
JR敦賀駅 11:2011:30 越前そば むぎや 12:3012:35 気比神宮 12:5513:10 敦賀赤レンガ倉庫 13:1513:30 金崎宮 13:3513:50 金ヶ崎城跡 14:0014:45 敦賀市立博物館 15:0515:10 晴明神社 15:1015:45 JR敦賀駅

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