銀の馬車道その2(鶴居〜姫路)

−明治の殖産興業の象徴! 銀の馬車道を行く! ゴールの飾磨港へは日没寸前に到着。長かった…−

   

山行概要

日 程
2018年10月20日(土)
山 域
銀の馬車道
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
JR鶴居駅=0:55=市川町役場=0:55=鈴ノ森神社・柳田圀男生家=0:05=辻川山=0:05=北野天満神社=0:45=神崎酒造(人参役所跡)=0:45=光洋製瓦=0:55=生野橋=0:15=砥堀=0:25=JR野里駅=1:10=JR姫路駅=0:40=亀山本徳寺=0:15=山陽電鉄飾磨駅=0:05=恵美酒宮天満神社=0:15=浜の宮天満宮=0:15=飾磨港【7:45】

記録文(写真はクリックで拡大)

 昨日に続く2日目。
 5時に起床し、姫路市内の吉野家で朝食を取ってから、播但線で姫路から2つ先の野里駅に向かう。
 なぜここに向かったかと言うと、野里駅前のタイムズが駐車後24時間の最大料金が何と400円という超激安かつ、駅前にスーパー銭湯もあるという、まさに車中泊向けの駅だからである(笑)
 野里駅5時56分発の始発に乗り込み、鶴居駅に戻る。

JR鶴居駅を出発 6:38

 6時22分に到着。当然ながら早朝の無人駅には人っ子一人いない(笑)
 駅前で歯を磨いたりしたので、出発は40分となった。

屋形橋 6:40

 駅から真東に進むと、すぐに屋形橋で市川を渡る。
 屋形橋は、昭和8年(1933年)の建設で、全長139m、流心部の2径間が下路式(アーチやトラスなどの構造の下側に路面がある橋梁)の鉄筋コンクリートアーチ橋で、当時においても大変珍しい形式らしく、近代化遺産に登録されている。
 橋を渡り、「銀の馬車道」(県道214号線)に再合流し、南下を開始する。

屋形集落の街並み 6:45

 屋形の集落を縦断していく。この辺り古い街並みが残っている。
 屋形南の交差点で、R312に合流し、以降、単調な国道脇の歩道歩きが延々と続く。

なぜか、ヒマワリが… 7:11

 単調な歩行が続く中、市川町浅野集落で、ヒマワリとコスモス畑が出現する。
 何でこんな時期に咲いているのか?…

市川の流れ 7:22

 小さな峠を越え、市川町の中心部(JR甘地駅や市川町役場のある辺り)を見下ろすことのできる見晴らしの良いところに出た。多少は気が紛れるものの、やはり単調…

ワインレッドの播但線列車が行く 7:42

 ワインレッドの103系電車は、播但線が一部電化された平成10年(1998年)3月に投入され、今や播但線のラインカラーとされている。
 103系は、国鉄の汎用的通勤形電車として、3400両以上も製造されたが、老朽化が進み、現在は、JR西日本と九州のみで100両ほどが運用されるだけとなっているとのこと。
 さらに南下し、ようやく市川町を抜け、福崎町に入る。辻川北の交差点を左折、東へ向かう。この辺りも昔からの集落のようで、趣ある街並みが続いている。
 辻川山公園の案内に従い、少し北に向かうと、一帯が整備された園地に出た。

鈴ノ森神社 8:33

 園地の一角に鈴ノ森神社が建つ。福ア町出身の民俗学者・柳田國男が子供の頃によく遊びに来ていた場所の一つで、拝殿前に國男が乗って遊んだという狛犬が鎮座するほか、圀男の著書「故郷七十年」にも登場し、「村人は赤ん坊が生まれると、鈴ノ森神社に詣でて小豆飯を供え、その余りを一箸ずつ、集まって来た子供たちのさし出す掌の上にのせるのがならわしであり、村の童たちの楽しみでもあった」と記されている。
 創建は不詳だが、社号の「すず」は神々の集まる聖地を意味する事から、境内自体が神聖視されており、古くから辻川の産土神として篤く信仰されてきた。

柳田圀男生家 8:35

 鈴ノ森神社の隣には、柳田圀男の生家が建つ。
 元々は辻川の街道に面して建っていたが、昭和49年(1974年)に國男のゆかりの地、鈴ノ森神社の傍に移築された。兵庫県指定の重要民俗文化財である。
 國男は著書「故郷七十年」に「私の家は日本一小さい家だ。じつは、この家の小ささという運命から私の民俗学への志も源を発したといってよいのである」と書いており、間口5間、奥行き4間、土間、3畳間と4畳半の座敷、4畳半の納戸、3畳の台所からなる、いわゆる「田の字型」民家で日本民家の原初形態と言われている。

辻川山の眺望 8:43

 鈴ノ森神社、柳田圀男の生家がある北側の裏山、辻川山に向けて登路が整備されており、國男をはじめ、その生家である松岡家の兄弟(鼎、泰蔵、國男、静雄、輝夫)皆がそれぞれの道で大成した超優秀な一家であったことから、「学問成就の道」と名付けられ、兄弟の銅像が建っている。
 辻川山は僅か126.8mだが展望は雄大。写真は南方の眺望。

北野天満神社 8:50

 辻川山から「学問成就の道」を東側にゆるやかに下っていくと、北野天満神社の境内に出る。
 天満神社は、菅原道真を祀る北野区の氏神で、本家の北野天満宮と同様、頭を撫でると頭が良くなるという「撫で牛」もあった。
 東に坂を下り、集落に出、南に進むと田尻と言う交差点に出る。さらに南下し、播但道と中国道の高架下を次々にくぐりながら進む。

福崎町西田原の辺り 9:05

 写真は播但道と中国道の辺り。県道218号線を進むが、車の通行はほとんどなく、長閑な光景が延々と広がっている。

西光寺野台地のため池群の一つ、長池 9:29

 変化の乏しい平坦路が延々と続き、さすがにダレてきた… そうした時に大きな池が左手に現れたので、堤に寄ってみる。
 案内板があったので、見てみると、この池は長池と言うため池で、この辺りの河岸段丘上の平地である西光寺野台地(さいこうじのだいち)は、地形的に農業用水の確保が困難だったところ、明治、大正期に北部の山をぶち抜いた先の岡部川から取水する工事を着工し、大正3年(1914年)、まずは長池を整備したとのこと。この長池は堤長2500mを誇り、兵庫県で2番目に大きいため池らしい。
 その後、周辺に、ため池が次々と整備され、苦労の末に台地を豊かな農業用水で満たすことに成功したとのことで、長池を含むため池群は、「西光寺野台地のため池群」として、農林水産省の「ため池百選」に選定されているとのこと。

神崎酒造(人参役所跡) 9:35

 長池から少し南に、いかにも歴史のありそうな酒蔵が佇む。この辺りで神崎町から、ついに姫路市に入ったようだ。
 この酒蔵は「真名井乃鶴」「龍王の舞」が代表的な銘柄の神崎酒造さんである。元々は、江戸時代後期の財政難の頃、姫路藩が何か手を打たねばと、家来の岡庭家に命じて始めた、高麗人参の栽培と薬作りの場であり、人参役所跡と呼ばれている。
 人参役所は明治4年(1871年)に大きな百姓一揆が起こって焼失。その後、岡庭家は、明治8年(1875年)に播磨地域の酒米を利用して、この辺りでは初めて、酒造業をスタートさせた。現在も稼働している蔵のうち、一番古いものはこの時に建てられたものであるらしい。
 当時は「岡庭酒造店」として看板をあげていたが、戦後すぐ、食糧難による行政指導でいったん廃業し、同じ地区にあった3蔵を統合し、「神崎酒造」として再スタートし、現在に至っているとのこと。

焼野池 10:13

 さらに南へ。あらためてであるが、この辺り、ホンマにため池だらけです。
 写真の焼野池には、平成28年(2016年)7月から、水上メガソーラーが稼働しており、6720枚のパネルが設置されている。

光洋製瓦 10:20

 焼野池から少し南には、光洋製瓦の煙突が聳え立つ。
 光洋製瓦は、日本の伝統的な瓦である「いぶし瓦」(瓦を焼き締める最後の工程で瓦をいぶし、その表面に炭素の粘膜をつくることで、雨や雪、霜などによる瓦の劣化や色落ちを防ぐ瓦、また、「いぶし銀」の語源にもなった、色つやの美しさでも有名)を製造している姫路を代表する企業である。
 姫路城の「平成の大修理」では、大天守の瓦制作を任され、大天守のシャチ瓦、鬼瓦をはじめ、光洋の瓦が使用されている。

横山古墳を正面に見ながら南下する 11:02

 さらに南へ。太尾の趣ある集落を過ぎ、豊富球場や白鷺霊園のある山裾を進む。姫路市に入ったとは思えない田舎だ…
 豊富集落の中心地らしき、金竹の交差点を過ぎると、市川支流の神谷(こたに)川に沿って進むようになる。
 正面には横山古墳のこんもりした姿が印象的だ。5世紀前半頃の円墳であるらしい。播但道をくぐり、横山古墳の東側を通り過ぎると、神谷川が市川に合流し、市川本流に沿って進むようになり、生野橋で市川の右岸に渡る。

生野橋東詰 11:25

 市川に沿って、延々と続く「銀の馬車道」だが、市川本流は2回しか渡らない。生野の集落を出口(入口)にあった盛明橋と、この生野橋だけだ。
 馬車道は平坦な市川左岸を南下するルートが大部分だが、最後、飾磨港に出るためには市川を渡る必要があり、最適な地を検討した結果、この場所が選ばれたらしいが、川幅は100mを越え、橋脚も補強する必要があったことから、馬車道最大の難工事であったと言われている。
 このため、馬車道の完成を記念する修築の碑が、関係者の中で一番印象に深かったこの地に建てられ、橋の名も、馬車道の起点である「生野橋」と命名されたという。

「ステーキガスト姫路砥堀店」で昼呑み! 12:05

 馬車道は市川を渡ってすぐに左折(馬車道修築の碑もここに建つ)し、南西に進んでいくが、私は腹が減って仕方がなかったので、そのまま西に直進し、ロードサイド店の立ち並ぶR312に合流、「ステーキガスト姫路砥堀店」に吸い込まれる…
 よりによって「MEGA4」という、牛・豚・鶏の3種ステーキとハンバーグが乗ったプレートを注文してしまい、ハイボール4杯で、昼から昇天してしまった…
 ヨロヨロと歩き出し、車の置いてある野里駅に立ち寄り、姫路市街に入るからと、今までのCW−X+半パンから、何故かジーパンに履き替える。この辺り完全に酔っぱらっていたと思われる…

姫路駅に到達 15:17

 野里駅から姫路駅は、酔っぱらっていたので、正直よく覚えていない(笑) 街中でごちゃごちゃしてるし、適当に歩いてしまった…
 姫路城の天守をはじめは北から見ていたが、それが東から、そしてついに真南に見るようになると、姫路駅に到着。
 さすがに、どっぷりと陽が傾いてきた。駅南口からの大通りをひたすら南下する。

亀山本徳寺本堂 16:07

 途中、だいぶ疲れてきたが、亀山本徳寺の近くを通るので、立ち寄ることにする。
 亀山本徳寺は、永正12年(1515年)、蓮如の門弟空善が飾磨郡英賀の英賀城下に本堂(英賀御堂)を開山したのを始まりとする。その後、在地の播磨三木氏の庇護のもと発展したが、天正8年(1580年)、秀吉の英賀城攻めに先立ち、戦火を避けるために秀吉に寄進された亀山へ移された。
 慶長7年(1602年)、浄土真宗本願寺派は東西に分裂したが、本徳寺は当時の姫路城主池田輝政の意向を受け、本願寺派(西本願寺)に属した。その後亀山は、播磨国における本願寺派の根本道場として発展し、江戸時代には西国総録所として傘下に380余の寺院を擁したという。
 播州地域で最大級とされる本堂は、約200畳もあり、明治元年(1868年)に旧本堂が火災で焼失した際、西本願寺から北集会所の建物を移築したもので、不動村の屯所へ移る前の新撰組が屯所として一時使用したと言われており、(2004年)の大河ドラマ「新選組!」の撮影にも使用されたとのこと。
 夕暮れの中、聳え立つ巨大な木造建築物(しかも妻入りで、この手の建物にしては珍しい)は、ひたすら壮観だった。

恵美酒宮天満神社 16:30

 何とか飾磨駅前を通過し、フィニッシュが目前に迫ってきた。
 飾磨駅の南西には、恵美酒宮天満神社が建つ。恵美酒宮天満神社は、飾磨津(港)が発祥した頃は「戎宮」と称し、事代主命を守護神として祀り、魚場の神として信仰を集めていたが、菅原道真がこの地に立ち寄った事で、人々は道真公を慕い、後に天満宮を勧請したといわれている。なので、御祭神は、事代主命と菅原道真の両者になっている。
 この社の毎年10月8日、9日両日に行われる秋季例祭における「恵美酒宮天満神社秋季例祭台場練り(えびすのみやてんまんじんじゃしゅうきれいさいだいばねり) という風流が有名である。
 台場練りとは、江戸期より飾磨津の橋東と呼ばれた地域を中心とする氏子8地区の繰り出す風流で、屋台巡行時や宮入時などに舁き手約80人のうち24人が屋台の台場下に入り肩で屋台泥台を舁く力技で、飾磨津の生業に関わる郷土の生み出した独特の風流で、姫路市の無形民俗文化財に指定されている。

浜の宮天満宮 16:45

 「銀の馬車道」としては、恵美酒宮天満神社の少し南にある宮堀橋をさらに南に入った「飾磨津物揚場」が終点らしいが、今は浅田化学工業鰍フ本社工場敷地となっていて、立ち入ることができない。
 それもあったので、それよりさらに500mほど南へ進んだ、飾磨港まで行った方がキリが良いので、そこまで頑張ることにしたが、その途中に浜の宮天満宮が鎮座している。
 こちらの天満宮も恵美酒宮と同様、10月8日、9日両日に行われる秋季例祭における風流「浜の宮天満宮秋季例祭屋台練り台場差し」(はまのみやてんまんぐうしゅうきれいさいやたいねりだいばさし)が有名であり、台場差しとは、乗り子と舁き棒を担ぐ練り子と台場の下に入った差し手が心を一にし、「サイテバチョーサー」の掛け声とともに、屋台を差し上げるもので、県内でも人力で屋台を最も高く差し上げる風流であると言われており、恵比寿宮のものと同様、こちらも姫路市の無形民俗文化財に指定されている。

飾磨港についに到着! 17:07

 すっかり薄暗くなった中、先を急ぐ。この飾磨のまちも古い建物が多く、またじっくりと見物したいところだ。
 最後は姫路港に到着!「銀の馬車道」コンプリート! 夕暮れの埠頭に立ち、じっと感慨に耽る私…
 姫路港ターミナルビルの2階が展示スペースになっており、今年の2月に家島諸島の坊勢島を訪れた際に、ここに立ち寄り、その時初めて「銀の馬車道」を認識したのが、今日のこの日に繋がっているのだ。

「酒饌亭 灘菊かっぱ亭」で姫路おでんを堪能!@ 19:00

 1日中歩き詰めで、だいぶ疲れました… 姫路駅までのバスは爆睡でワープ(笑)
 姫路駅前にある、明治43年(1910年)創業で、創業100年を超える灘菊酒造樺シ営「酒饌亭 灘菊かっぱ亭」さんに、何とか潜り込み、姫路おでんを堪能する。

「酒饌亭 灘菊かっぱ亭」で姫路おでんを堪能!A 19:04

 サンマ刺しも旨い!
 疲れもあって、あっと言う間に酔っ払い、播但線でマイカーの待つ野里駅に戻り、目論見通り、駅前のスーパー銭湯に入ろうかと思ったら、まさかの機器点検による休業…(涙)
 ふて腐れて、車内で飲み直して、そのまま寝ました…
 次の日は姫路市街をのんびり探索した…

参考タイム

10/20JR鶴居駅 6:407:35 市川町役場 7:358:30 鈴ノ森神社・柳田圀男生家 8:358:40 辻川山 8:458:50 北野天満神社 8:509:35 神崎酒造(人参役所跡) 9:3510:20 光洋製瓦 10:2011:25 生野橋 11:2511:40 砥堀(昼食) 13:2013:45 JR野里駅 14:0515:15 JR姫路駅 15:2516:05 亀山本徳寺 16:1016:25 山陽電鉄飾磨駅 16:2516:30 恵美酒宮天満神社 16:3016:45 浜の宮天満宮 16:5017:05 飾磨港

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