長老ヶ岳

−山は林道から瞬殺 ほぼ史跡めぐりと化したおちゃらけ山行−

   
  

山行概要

日 程
2017年9月3日(日)
山 域
丹波山地
天 気
曇り後晴れ
メンバー
単独
コースタイム
仏主=0:05=森林公園分岐=1:15=長老ヶ岳=0:45=森林公園=0:20=七色の木=0:10=仏主【2:35】

記録文(写真はクリックで拡大)

 何でか分からないが、急に秋が来た。30度は超えるが、不快な蒸し暑さはさっぱりなくなり、上空はすっかり秋の空である。
 土曜日は仕事があったのだが、日曜日もそこそこ天気が良いらしい。これは居ても立っても居られないと、土曜の夜は枚方の実家に泊めてもらう。
 いつものように、電撃戦を仕掛ける。3時起床ですぐに車を走らせる。
 ターゲットは、関西百名山の未踏峰の中から、丹波の最高峰、長老ヶ岳をチョイス。この時間なので、ずっと下道で亀岡、園部を経由する。
 途中、我慢できず、亀岡の吉野家で牛丼をかっ喰らうという中断もあったが、5時過ぎには登山口である、京丹波町の最北端の仏主(ほどす)という珍しい名の山深い集落にやってきた。

仏主集落の端に車を駐車 6:01

 上和知川支流の大松谷が合流する橋のたもとにスペースがあったので、ここに車を止めさせてもらう。これからたどる大松谷沿いにも車道が延びているが、かなり狭そうだったので、ここで自重した。

 だいぶ日が短くなってきた。まだ薄暗いので良く分からないが、何か天気悪そう…(涙) 着替えようかなと思ったところに、ザザーッと雨が降って来た… 眠かったので、これ幸いとしばらく車内で仮眠する。
 6時前に目が覚めると、何とか雨は止んでおり、雲の間から青空も垣間見えたので、すぐに着替えて、6時ちゅうどに出発。大松谷沿いの林道をゆっくり登っていく。早朝かつ谷沿いのせいもあり、ひんやりと肌寒いくらいだ。
 5分ほどで、権現谷の出合に着く。ここで森林公園経由で長老ヶ岳に向かうルートが分岐するが、まだ雨が降りそうだし、安直にこのまま大松谷沿いの林道を山頂直下まで進むことにし、直進する。
 すぐにゲートが現れ、数台は止められる駐車スペースも発見。ここに止めるのが長老ヶ岳への最短距離のようです。

林道横の巨木 6:16

 林道横の谷筋には目を引く巨木が立っていたが、車道歩きは味気ない。自ら選んだことなので、車道を延々と歩く。
 谷筋を離れてから、九十九折れで一気に標高を上げる。天候は時折雨が落ちてくることもあるが、全体的には回復に向かっているようだ。
 あっという間に、長老ヶ岳北側の肩に当たるところまで登り着く。ここから林道を離れ、稜線沿いにピークまで進むこともできるが、私は手を抜く時はとことん手(足)を抜く性格なので、さらに車道を進み、登山道の歩行は最短となる西の肩まで進むことにする。
 車道の最高到達地点である、西の肩に到着。スマホの地図で標高870mを指しており、あと僅か標高差40m(笑) 近くには無線中継所が立ち並んでいる。これらを建設するための車道なんだろう。

長老ヶ岳山頂 7:22

 これから登山道と言っても、階段が綺麗に整備された遊歩道を5分もかからず、長老ヶ岳のピークに到着。周囲はあずま屋が建つほか、木々が伐採されて草原状に整備されており、この辺りの最高峰ということもあり、展望は雄大。

長老ヶ岳山頂から北方面の展望 7:23

 帰路はそのまま往路を戻ろうと思っていたが、森林公園に下る、「森林ふれあいロード」が幅広の良い道ぽかったので、あっけなく方針転換…

「森林ふれあいロード」を下る 7:36

 なだらかな遊歩道をぶっ飛ばしていく。このルート、上部の整備具合は完璧だったが、何故か森林公園に出る手前の箇所が整備不良で、ブッシュがルートを覆っている箇所が所々あった。「クマに注意!」の看板があちこちに立っていたことから、笛を吹きならしながら、駈け下りる。
 森林公園の管理棟に出る。ここからは車道歩きだ。まだ標高的には500mを超えているので、300m弱の仏主集落まで、まだ相当下らなければならない。大きくジグザグを切りながら、ゆるやかに下っていくので、なかなか高度が下がらず、ヤキモキする。

仏主集落を見下ろせるポイント 8:21

 それでも、車道の途中からは、仏主の集落を一望できる展望台があったりと、楽しみながら下り、大松谷に着陸し、往路に合流した。
 ここで権現谷に沿って伸びる道に入り、100mほど進むと、森の中に「七色の木」が建つ。

七色の木 8:39

 七色の木は、一本のカツラの木に、スギ、ケヤキ、イロハモミジ、フジ、カヤ、イタヤカエデの6種類が共生している、不思議な木で、幹の大きさ7m、樹高18m。京丹波町の指定文化財である。
 出合に戻り、車の待つ上和知川出合までは5分ほどの下り。サクッと一山終了。まだ9時前(笑)

 さあ、どうしようかな〜
 ネットで調べると、大福光寺が同じ京丹波町にあるので、立ち寄ることに。

大福光寺本堂と多宝塔 9:19

 大福光寺は、寺伝によれば、延暦年間(782年から806年)に鞍馬寺の中興峯延上人が建立したとされる。元は現在地の北方の空山中腹にあったが、嘉暦2年(1327年)に足利尊氏により現在地へと移されたという。以後は足利家の祈祷所として栄えた。
 本尊に毘沙門天を祀るところから“蕨(わらび)の毘沙門さん”とも呼ばれる。
 本堂と多宝塔は、移築当時の姿を伝え、国の重要文化財に指定されている。
 続いて、今度は隣町の園部町へ移動する。

園部城楼門 10:45

 町の真ん中に園部城が建つ。園部城は、日本の城郭史で最後の建築物である。
 何と、明治維新後に「帝都御守衛」の為として、慶応4年(1868年)1月から普請が始まり、明治2年(1869年)8月に上棟式が挙行されているのである。櫓門が3ヵ所、巽櫓や小麦山の三層櫓などの櫓が5ヵ所、堀も造成された。
 しかし、明治4年(1871年)7月に廃藩置県が断行され園部藩は廃止され園部県となり、園部城はそのまま園部県庁が置かれた。しかし園部県はすぐに廃止され京都府園部支庁となり、明治5年(1872年)に、現在まで残る建物以外は官有地や民間に払い下げ、政治機能としては役割を終える。
 城の中心地は小学校となり、現在は京都府立園部高等学校の敷地となり、隅櫓や櫓門など一部の建物が現存している。
 いやあ〜 何とも凄い歴史である。迂闊にも全く知りませんでした。園部高校の生徒さんたちが羨ましいです。

谷性寺の明智光秀の首塚 11:05

 次は亀岡市内へ。明智光秀の首塚がある谷性寺(こくしょうじ)に向かう。
 谷性寺は、平安時代には既に創建されていたとのこと。天正10年(1582年)、明智光秀没後、家臣・溝尾庄兵衛が、戦に敗れ、晒されていた光秀の首を縁のある谷性寺に持ち帰り、その後、嘉永7年(1855年)に首塚が建立された。
 6月中旬頃には、境内に供養のききょうが咲き乱れ、見ごろには周辺に「ききょうの里」が開園する。

 谷性寺から湯の花温泉は車で5分ほどである。何度か入浴したことのある勝手知った「渓山閣」さんに行き、自慢の露天風呂でのんびり沈没…
 さっぱりしたが、まだ12時。帰るには惜しい。
 なので、同じ亀岡市内の出雲大神宮へ。JR千代川駅を過ぎ、大堰川を渡って、ご神体の御蔭山の山麓へ。

出雲大神宮本殿 12:55

 出雲大神宮は、古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、社殿は和銅2年(709年)に創建されたと伝える。丹波圀の一宮。
 社伝では、出雲大社が出雲大神宮から勧請を受けたとし、「元出雲」の通称がある(ホンマかいな?)。
 本殿は室町時代前期、足利尊氏による改修と伝える。三間社流造で、太い木割を使用した豪壮な社殿で、国の重要文化財。

出雲大神宮拝殿 12:55

 拝殿は入母屋造妻入の檜皮葺で舞殿形式。明治11年(1878年)の造営と、こちらは新しい。
 御蔭山の中腹には、パワースポットの磐座が鎮座している。
 境内には「真名井の水」と呼ばれる湧き水があり、ペットボトルを持った人がひっきりなしに水汲みに来ていた。
 最後は鍬山神社へ。国道9号下矢田の交差点から南へ進む。

鍬山神社(左が鍬山宮) 13:32

 鍬山神社は、太古は湖であったという亀岡盆地において、祭神の大己貴命(大国主命)が国作りの1つとして保津峡を開削して盆地を開拓、そして開削に使った鍬を当地に山積みしたという伝説に基づく神社である。
 本殿の鍬山宮と八幡宮は同じ垣内に鎮座し、鍬山宮は向かって左、八幡宮は右に位置する。両宮は同一の一間社流造で屋根は柿葺。造営時期も江戸時代の文化11年(1814年)と同じである。両社殿とも京都府登録文化財。
 鍬山宮と八幡宮は不仲であるという伝承に基づき、両宮の間には小池が設けられている。

 帰路も行きと同様、下道で枚方へ戻る。
 山より文化財探索がメインの1日だった。

参考タイム

9/3仏主 6:006:05 森林公園分岐 ⇒ 6:057:20 長老ヶ岳 7:308:15 森林公園 8:158:35 七色の木 8:408:50 仏主

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