馬見丘陵散策

−桜、チューリップ等満開の馬見丘陵を古墳探索−

   

山行概要

日 程
2023年3月26日(日)
山 域
馬見丘陵
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
近鉄池部駅=0:25=池上古墳=0:20=ナガレ山古墳=0:10=巣山古墳=0:20=三吉石塚古墳=0:45=築山古墳=0:05=近鉄築山駅【2:05】

記録文(写真はクリックで拡大)

 晴れの天気予報に居ても立っても居られず、始発で枚方を出発。行き先は、桜が満開で未だ未踏の馬見丘陵に決めていた。馬見丘陵は、奈良盆地西部の南北約7km×東西約3kmにわたって広がる標高70〜80mの丘陵地帯で、ここに古墳群が丘陵一帯に分布しており、その総数は250基以上を数え、佐紀盾列古墳群と大和・柳本古墳群とともに「大和3大古墳群」と呼ばれているのだ。
 スタート地点の近鉄池部駅へは、田原本駅で田原本線に乗り換える必要があるが、大和八木駅まで寝過ごす失態… 慌てて戻るも田原本線の本数は1時間に2本しかなく、予定では池部駅に7時19分に着くはずが、7時40分着になってしまった…

県営馬見丘陵公園@ 7:45

 池部駅のすぐ南が河合町役場で、敷地内には、旧豆山荘(大和鉄道(現:近鉄田原本線)の敷設を行った森本千吉が、大正12年(1923年)に建てた邸宅で、後の昭和23年(1948年)に河合村(当時)役場に転用された。昭和46年(1971年)に河合町が発足すると、新庁舎建設のため一部取り壊しが決定し、往時の半分以下の規模に縮小された)の日本庭園や一部邸宅が残されている。
 役場の前から南に進んですぐに、県営馬見丘陵公園の緑道北口があり、公園の「緑道エリア」と呼ばれるゾーンに侵入。チューリップが出迎えてくれた。4月8日から16日までチューリップフェアが開催され、約65万株のチューリップが咲くらしい。

県営馬見丘陵公園A 7:57

 県営馬見丘陵公園は、南北に細長く広がっており、南へ進んで行くと、県道14号線を渡る陸橋があり、渡ると「北エリア」で、チューリップに加えて、桜も満開である。

池上古墳 8:05

 「北エリア」の東端に池上古墳があるので、立ち寄る。
 池上古墳は、帆立貝式古墳(前方後円墳の一種だが方墳部分が極端に小さく、帆立貝のような形状をしている)では同じ馬見古墳群にある我が国最大の大きさを誇る、乙女山古墳に次ぐ大きさで、外堤を含むと130mの規模を誇る。墳丘長は92m、後円部径80m、前方部幅32mとのこと。
 近くまで進もうと思ったが、「ナラ枯れのため立入禁止」だった… 画像は、前池越しに見る池上古墳。

県営馬見丘陵公園B 8:08

 池上古墳から「北エリア」の中心部に戻る。何の花かさっぱり分からないが、満開の桜をバックに、色んな花が咲き乱れていた。
 さらに南へ進み、トンネルをくぐると、最大規模を誇る「中央エリア」に入る。エリアに入ってすぐ左手の小山に登ると、乙女山古墳を間近にするポイントに出、そのまま、古墳に沿って時計回りに進む。見通しが利くようになり、古墳が一望できるようになった。

乙女山古墳 8:18

 画像では、何が写っているのか良く分からないが、これが乙女山古墳で、墳丘長130m、後円部径104m、前方部幅52mを誇り、帆立貝式古墳としては、天理市柳本の行燈山古墳に次いで、全国で2番目に大きい古墳であり、5世紀前半頃の築造とされている。
 昭和62年に行われた発掘調査では、円筒埴輪の他、家形埴輪、壺形埴輪、蓋形埴輪等の形象埴輪や、土製品、土師器、須恵器が多数出土した。国指定の史跡である。
 下池に沿って南へ進み、右折して東に進むと、公園のセンター施設である「公園館」があり、この前を左折すると、目の前にナガレ山古墳が現れる。

ナガレ山古墳 8:28

 ナガレ山古墳は、南向きの2段築成の前方後円墳で、全長103m、後円部径64m、前方部幅70mの比較的大型の古墳であり、5世紀前半の築造と推定されている。
 昭和63年から発掘調査が行われ、修復工事が行われ、平成8年度に完了した。古墳の東半分は埴輪列が整備され、葺石(古墳の表面を飾り、斜面の土砂流出を防ぐため、 斜面を覆うように葺かれる石列)も葺かれる一方で、西側は、芝生を張るのみに留め、1600年前と後の姿を同時に見ることができるようになっている。
 ナガレ山古墳の後円部の墳丘が、馬見丘陵公園で一番標高が高いポイントとなっており、金剛・葛城の山並みが見渡せた。

タダオシ古墳 8:38

 ナガレ山古墳から東へ小路を拾い、徐々に南へ進路を変えながら小山を登って行く。これが佐味田狐塚古墳だが、車道で南北に2分されており、良く分からない。
 陸橋を渡ると、「南ゾーン」に入り、すぐ左手にタダオシ古墳が確認できる。
 タダオシ古墳は、5世紀前後の築造と推定される前方後円墳で、墳丘長は48mほど、後円部径29m、前方部幅20mで、後円部の方が前方部より高いとのことだが、墳丘が森に覆われていて、形状は良く分からない。

巣山古墳 8:40

 そして、タダオシ古墳の南東方向に、ひと際目立つ古墳が現れる。
 これが巣山古墳で、全長204m、後円部径110m、高さ25m、前方部幅94m、高さ21mの巨大な前方後円墳で、全国で23番目に大きい古墳(墳丘長220mとする場合)である。
 4世紀末頃の築造とされ、盗掘を受けていたが、それでも多数の埴輪が出土している。
 昭和27年(1952年)に、国の特別史跡に指定された。

三吉2号墳墳頂からの巣山古墳 8:42

 巣山古墳のすぐ西にはこじんまりとした三吉2号墳がある。
 三吉2号墳は、帆立貝式古墳で、5世紀前半の築造とされ、全長93m、後円部径83m、前方部幅46m。元々、前方部全てと、後円部の1/4が失われていたが、馬見丘陵公園整備の事前調査で、巨大な帆立貝式古墳と判明し、失われた箇所が盛土され、再整備された。
 三吉2号墳から西に進み、隣接する竹取公園内を南に進みながら、公園外に出て、そのまま耕作地の中の舗装路を南に進んで行くと、古墳が道を挟むように東西に存在していた。

三吉石塚古墳 9:00

 西側の古墳に埴輪列や葺石が整備されていたので、登ってみる。
 この古墳は、三吉石塚古墳と言い、5世紀後半の築造で、全長45m、後円部径41m、前方部幅22mの帆立貝式古墳である。
 奈良県の史跡に指定されている。

新木山古墳 9:00

 三吉石塚古墳の後円部は、高さが6.5mあり、見晴らしが良い。東隣の新木山古墳も一望だ。
 新木山古墳は、5世紀前半の築造で、全長200m、後円部径117m、前方部幅118mの大型前方後円墳である。
 宮内庁により「三吉陵墓参考地」(被葬候補者:第30代敏達天皇の皇子である押坂彦人大兄皇子(舒明天皇の御父))として陵墓参考地に治定されている。
 馬見古墳群には、この新木山古墳と三吉石塚古墳のように、前方後円墳と帆立貝式古墳が近接する特徴があるらしい。

二上山 9:26

 新木山古墳、三吉石塚古墳の少し南を右折し、しばらく西に進むと、広陵町道の「広谷秋廻り線」という広い車道に出たので、左折し、しばらく道なりに進む。
 県道105号線の「中和幹道」を横断し、さらに南下を続ける。この辺り二上山の眺めが良い。
 さらに進んで、R165と近鉄大阪線も横断し、古い町並みを進んで行くと、前方にこんもりとした小山が見えてくる。これが築山古墳である。

築山古墳 9:45

 築山古墳は、4世紀末の築造で、全長210m、後円部径120m、前方部幅105mの大型前方後円墳で、全国で28位の大きさを誇る、馬見古墳群の南群の盟主墳と言われている。
 宮内庁により「磐園陵墓参考地」(被葬候補者:第23代顕宗天皇)として陵墓参考地に治定されている。
 画像は、築山古墳すぐ北の帆立貝式古墳のかん山古墳(現在は築山公園になっている)から撮影したもの。
 後は、少し北に行った、近鉄築山駅まで歩くだけ。

「串天ぷら おでん 満ぞく屋 京橋本店」さんで昼呑み@! 10:55

 いつものように京橋に出て、これまたいつものように「串天ぷら おでん 満ぞく屋 京橋本店」さんへ。
 生ビールと、おでん7種盛のセットでスタート!

「串天ぷら おでん 満ぞく屋 京橋本店」さんで昼呑みA! 11:11

 名物の串天ぷら!
 すっかり良い調子でパチンコ屋に吸い込まれ、スロットに向かうが、あっと言う間に2万円蒸発…

「天下一品 京橋店」さんで〆! 14:02

 失意の中、「天下一品 京橋店」さんに吸い込まれ、ニラにんにくラーメンに赤ん粉2辛をトッピング!
 何だか消化不良の1日でした…

参考タイム

3/26近鉄池部駅 7:408:05 池上古墳 8:058:25 ナガレ山古墳 8:308:40 巣山古墳 8:409:00 三吉石塚古墳 9:009:45 築山古墳 9:459:50 近鉄築山駅

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