熊野古道伊勢路その5(梅ヶ谷〜三野瀬)

−伊勢と紀伊の国境越えの別ルートを行く−

   

青線がこの日のルート(赤線は前日)

山行概要

日 程
2016年5月1日(日)
山 域
熊野古道伊勢路
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
JR梅ヶ谷駅=0:45=ツヅラト峠登り口=0:15=ツヅラト峠=0:50=志子バス停=0:50=島地峠=0:15=赤羽口バス停=0:20=一石峠=0:40=若宮神社=0:20=三浦峠登り口=0:15=三浦峠=0:25=JR三野瀬駅=0:10=三浦バス停【5:05】

記録文(写真はクリックで拡大)

 2016GW熊野古道紀伊路シリーズ前半3連戦の最終日。明日は出勤の必要があったので、どこに向かうにしてもいったん帰宅する必要がある。
 前夜はJR紀伊長島駅で車中泊。熊野古道紀伊路を先に進んでも良かったが、伊勢と紀伊の国境越えルートが、昨日たどった荷坂峠越えが江戸時代以降のルートで、それより前は、ツヅラト峠越えが使われていたということで、どうしてもこの複線区間を歩きたくなり、紀伊長島駅5時19分発の多気行きに乗り込む。

梅ヶ谷駅を下車 5:30

 一駅先の梅ヶ谷駅で下車。この地は伊勢と紀州の国境に当たり、荷坂、ツヅラトと二つの峠道の合流する交通の要衝なので、中世の北畠氏支配の頃は、その重臣大内山但馬守が当地を治め、阿曽に一門の阿曽弾正を置き、自身は中野地区内に居を構え、周辺五ヶ村を支配していたらしく、近くの管谷山頂には砦・狼煙場が設置されていたという。
 昨日は駅前を素通りしたが、今日は、駅の西横にある八柱神社(もともと梅ヶ谷駅の敷地は、この神社の境内だったらしい)に寄り道(トイレあり)。

八柱神社 5:32

 春は桜の名所らしい八柱神社は、宮川の最上流地に建ち、孝謙天皇の天平元年(729年)か、桓武天皇の延暦14年(795年)に「日吉の国より渡らせ給う」と記録があり、当初は、二天八王子社という社名であったが、明治4年(1871年)、周辺の小社を合祀し、八柱神社と改称した。

ツヅラト峠登り口 6:20

 神社を後に、西へ車道を進み山に分け入る。車道を担々と進み、大内山川と支流の栃古川が別れるところで、栃古川右岸を遡る地道に入る。植林の静かな林の中を進むと、栃古川左岸を上がってくる林道に合流し、少し進むと、ツヅラト峠の登り口に着く。

ツヅラト峠 6:35

 いよいよ世界遺産ゾーンに入って登り続ける。一度林道に合流するが、さらに山道を登り、ツヅラト峠へ。快晴の下、熊野灘が広がる。

ツヅラト峠からの熊野灘 6:38

 ツヅラト峠は、かつて「伊勢国」と「紀伊国」の国境であった峠で、熊野古道紀伊路を辿る巡礼者は、この峠に立って初めて熊野の青い海を目にすることになる。

志子へ下る峠道は石畳が… 7:02

 「ツヅラト」の名は「九十九折」から来ているらしいが、自分が登ってきた側(大内山側)からは、そんな登りはなかったのにと思っていたが、志子へ下り始めると、九十九折れの急降下が続き、納得。志子の登り口近くには、石畳も残されており、志子側は歴史の香り溢れるさすがの峠道といった様相だった。

赤羽川沿いに進む 7:36

 志子の登り口から、車道を下り、園地が整備されている個所を過ぎると、静かな志子の集落に入る。すぐにR422に合流し、長島港に注ぐ赤羽川に沿って、しばらく車道を延々と歩く。下地集落の辺りで大きく屈曲しているのでけっこう長く感じる。タルい。
 前山集落の郵便局のところで、国道を離れ、集落の中を歩く。山に突き当たるところで、右の山裾を行く細道に入ると、すぐにR422に出くわすが、ここを横断し、林道に入る。

加田集落の石仏道標 8:34

 後は、この林道をひたすら登っていくと、島地峠を越える。今度は林道をひたすら下って行くと、昨日のゴールポイントである、加田集落の石仏道標に到着。
 海野踏切を渡り、国道に出ると、コンビニがあるので、ここでエネルギー補給。
 今日中にどこまで進むか迷ったが、まだ9時だし、あと3時間ほどのJR三野瀬駅まで進むことにし、しばらくR42を進んだところにある加田教会バス停(教会と言ってもキリスト教ではなく、寺院風の建物が建っている)まで進み、干物屋の横から、左に下り、線路を渡る。

一石峠の登り口 9:12

 すぐに一石(いっこく)峠の登り口となり、植林帯を登っていく。あっという間に一石峠に登り着き、さらに山道を進むと平方峠。すぐに車道に飛び出し、右手に下って行くと、眼下に古里海岸の青い海と、古里集落が広がる。

古里海岸を見下ろす 9:44

 線路沿いの道をしばらく進むと、古里集落に入り、突き進んで集落を抜け、古里交差点でR42に合流。一昨日の夕食を堪能した「お食事処 秀」さんの横を通り過ぎ、しばらく国道を進む。
 古里トンネルの入口の手前で、廃業したホテルに向かう道に入り、佐甫(さほ)道の入口がある。とあるホームページでは、「佐甫道は、2015年7月現在通行不能」とあり、入口にも「通行不能」の看板もあったが、距離も短いし、無理だったら引き返そうと思いながら、自己責任で構わず突入!(笑)

佐甫道からの熊野灘 9:49

 この佐甫道は、海岸に突き出た半島状の断崖を水平に巻いていく道で、途中の東屋をはじめ、古里海岸や紀伊の松島の眺望が満喫できる。確かに歩道は補修作業中の箇所もあったが、何の問題もなく通行できた。
 水平部分が終わると、一気に急坂を駆け下り、若宮神社へ。

若宮神社 9:49

 若宮神社は、古来から、道瀬(どうぜ)地区の氏神であり、天明4年(1784年)若宮八幡宮として、当時の道瀬浦の庄屋堀内三右衛門達によって創建された勧請神である。明治39年(1906)、三童県は神社整理を強行し、翌40年には、神社境内の設備(社務所など)と神社基本財産について規定を定め、さらに必ず専任神職を求め、それに合わぬ神社の存立を認めぬ方針を打ち出し、同41年には、一村一社という県の方針を打ち出したため、若宮八幡は、主祭神は誉田別命、祭神大山祇命倉稲魂命、天児屋根命、菅原道真を合祠して、明治41年1月15日豊浦神社に合祠した。その後、若宮八幡富を若宮八幡神社と改称して、現在地の道瀬字佐甫一番地に再度鎮座したという。

道瀬海岸 10:12

 境内を出て、橋を渡ると、道瀬の集落。海岸沿いの長閑な集落を抜け、JRの線路を越えていく車道を進むと、途中で、三浦峠の登り口が現れる。
 ここから再び、世界遺産登録ゾーンとなり、暗い杉林の中の急坂を登っていく。三浦峠は、標高僅か100m余りであるが、どう見ても、「山を切り取ったな」と思える切り通しの形状が顕著な峠である。
 三浦峠は、明治までは、三浦と道瀬を結ぶメインルートで、荷車も通れるように整備されていたが、大正6(1917)年、三浦峠下に現在国の登録有形文化財にも指定されている道瀬隧道が掘られ、徐々に廃れていったとのこと。

三浦峠から三浦集落へ下る 10:39

 三浦への下降路は、登りと一転、山腹を絡む、ゆるやかなルートが続く。海岸からそんなに距離が無いはずだが、ヒノキとシダが豊かに生い茂り、かなりの山中に深く分け入っている感覚を覚える。
 最近、復元された、熊ヶ谷橋に降り立ち、世界遺産ゾーンは終了。後は、林道を進めば、すぐに三浦の集落に入り、JR三野瀬駅はすぐである。

 駅名の由来は、旧三野瀬村からという、至極当たり前の話だが、三野瀬という村名は、三浦(みうら)・道瀬(どうぜ)・海野(かいの)の各地名を合成して作られたらしい。
 時間は11時。しかし、次の電車は14時59分発(涙)… 分かっていたので、駅前を素通りし、5分ほど集落を歩いて、R42に出る。果たして、三浦のバス停に着くと、11時34分発で、紀伊長島方面に向かうバスがあった!
 嬉々としてバスに乗り込み(2日後、再びこの路線バスで三浦バス停に降り立つこととなる…)、車の待つJR紀伊長島駅を素通りし、道の駅「紀伊長島マンボウ」で下車する。

「与太呂寿司」さんのウニ丼 12:02

 昨日の昼食のウニ定食で味をしめた「まるます」さんに行こうと思ったのだが、昨日と違い、長蛇の行列…(涙) 止む無く近くの「与太呂寿司」さんへ入り、ウニ丼で溜飲を下げた〜 旨かった!
 大充実の3日間を反芻しながら、車の待つJR紀伊長島駅に歩いて戻る。明日出勤し、翌日からの6連休は、実はアルプスに行こうと思っていたが、やっぱりこの続きがやりたくなってきたのであった…
 次は、中1日で向かう。熊野古道伊勢路その6(三野瀬〜相賀)へ。

参考タイム

5/1JR梅ヶ谷駅 5:356:20 ツヅラト峠登り口 6:206:35 ツヅラト峠 6:407:30 志子バス停 7:308:20 島地峠 8:208:35 赤羽口バス停 9:009:20 一石峠 9:2010:00 若宮神社 10:0010:20 三浦峠登り口 10:2010:35 三浦峠 10:3511:00 JR三野瀬駅 11:0011:10 三浦バス停

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