河後森城跡・宇和島市街散策

−年末年始四国遠征の2日目。雪に見舞われながら南予の歴史歩きを敢行!−

   
  

山行概要

日 程
2018年12月28日(金)
山 域
河後森城跡・宇和島市街
天 気
曇り時々雪
メンバー
単独
コースタイム
道の駅「虹の森公園まつの」=0:05=JR松丸駅=0:15=風呂ヶ谷登城口=0:10=西第十曲輪=0:10=本郭=0:15=新城=0:10=本郭=0:10=永昌寺=0:05=JR松丸駅=0:05=道の駅「虹の森公園まつの」【1:25】
JR宇和島駅=0:10=和霊神社=0:10=JR宇和島駅=0:10=龍光院=0:10=西江禅寺=0:05=等覚寺=0:05=西江禅寺=0:25=伊達博物館=0:05=宇和島城跡=0:20=JR宇和島駅【1:40】

記録文(写真はクリックで拡大)

 道の駅「虹の森公園まつの」を出発。すぐに四万十川の支流である広見川を渡る。

広見川を渡る 8:42

 JR松丸駅の背後には河後森城跡が… ちなみに松丸駅には温泉が併設されており、16年前の三本杭登山の後にも入浴している。

旧松丸街道 8:50

 駅から南に進むと、古い町家が建ち並ぶ旧松丸街道に突き当たる。
 松丸は、伊予と土佐の交易の中心地として、近世から戦前まで栄えてきた地区で、今でも当時の商家や造り酒屋の建物が現存している。
 坂本龍馬が脱藩した際も、松丸街道をたどって、土佐から宇和島へ入ったらしい。

風呂ヶ谷登城口 9:00

 旧街道を右折し、そしてすぐに左折し、松野西小学校の横を抜け、山間に入っていく。
 大きく反時計回りに回り込むと、風呂ヶ谷登城口に到着。松丸駅から城跡を挟んで反対側に来たことになる。ここまで車で入ることができる。
 風呂ヶ谷を詰めていき、曲輪跡のある尾根に囲まれた小平地に着く。まずは左手へ西の曲輪跡に登って行く。

西第十曲輪 9:12

 少しの登りで本郭から延びる尾根に登りつく。平に整地されており、かつて建っていたとされる掘立柱の建物が再現されている。
 ここから尾根沿いに進むが、段々畑のように小平地が次々と現れる。

深い堀切 9:15

 そして、曲輪と曲輪の間は、深い堀切で区切られている。
 河後森城は、中世にこの辺りを支配していた渡辺氏が代々の居城としていたが、天正8年(1580年)から翌年の間に、城主・渡辺教忠(中世に伊予西部を支配した西園寺氏の重臣にして、土佐一条氏からの養子)の近習だった芝源三郎が謀略により当城を奪った。
 そして、天正13年(1585年)の四国の役(秀吉の四国攻略)の後、秀吉配下の戸田勝隆により芝源三郎は放逐された。その後、当地を治めた藤堂高虎は当城にあった天守を移築して板島城(宇和島城の前身)の月見櫓にしたという。
 慶長19年(1614年)に伊達秀宗が宇和島藩を創立した際、付家老の桑折氏が当城に入ったが、一国一城令により廃城になったとのこと。
 土佐と伊予の国境にあり、度々戦乱の舞台になった要衝にあるためか、その規模は愛媛県内最大級の山城である。

本郭からの眺め 9:20

 そして本郭へ。北側の展望良好。松丸駅が良く見える。しかし周囲は雪雲に纏わりつかれ、寒々しい…

東第三曲輪からの眺め 9:30

 本郭からいったん下り、今度は東への尾根続きにある曲輪群を巡る。写真は、東第三曲輪から東第四曲輪、門のある堀切を挟んで、古城第二曲輪。
 このように、河後森城は本郭を中心に馬蹄形に曲輪が広がっている。
 いったん下り、向かい側にある新城ゾーンへ。

新城からの眺め 9:40

 一気に登り返すと新城。本郭と尾根続きと言うには深すぎる弛みで区切られ、別の山のようだ。
 画像は、新城から本郭方面を望む。手前には西第十曲輪の掘立柱建物も見える。

本郭に戻ってきた 9:50

 風呂ヶ谷奥の小平地にいったん下り、再び本郭へ登り返す。
 城主が住んでいたとされる主殿舎の構造が分かるように復元されている。
 もう1回、東曲輪に向かい、北側に降りるルートへ。

永昌寺からの松野の町並み 10:00

 すぐに永昌寺の境内に降り立つ。
 高台に建つ境内からは、松野の町並みが一望だ。

永昌寺 10:00

 永昌寺は、四国ぼけ封じ33観音の16番霊場であり、日ごろからボケまくりの私は念入りにお参りする(笑)
 本堂内の薬師如来像は体内に仏を持つ姿で、県下でも他に例を見ない貴重なものらしい。
 道の駅に戻り、宇和島へ戻る。雪がさらに激しくなってきた…

「かどや 駅前本店」さんでランチ! 11:15

 宇和島駅から15分ほど離れた、道の駅「みなとオアシスうわじま きさいや広場」に車を止め、街なかへ。
 「 かどや 駅前本店」さんの始業と同時に飛び込み、宇和島の郷土料理全部乗せの「伊達御前」をオーダー。昼からハイボール×4でグダグダに(笑)…
 鯛めしと、さつま汁のご飯ものWコンボは最凶でした(笑)

和霊神社 12:21

 何とか体勢を立て直し、宇和島市街の散策へ。宇和島駅から、まずは北へ和霊神社へ向かう。
 和霊神社は、鎌江城があった跡に鎮座し、宇和島藩家老・山家公頼(清兵衛)を主祭神とする。公頼は伊達政宗の家臣であったが、元和元年(1615年)、政宗の長男・秀宗が宇和島に移封されるのに従い、その家老として藩政を支えた。
 公頼は租税軽減や産業振興を行い、効果を上げた。しかし、元和6年(1610年)、藩主秀宗は公頼を嫉妬する藩士による讒言を信じ、公頼とその息子らを殺害させてしまう(和霊騒動)。
 公頼を慕う領民たちは、密かに城北森安の八面荒神の境内に小祠を設けて公頼一族の霊を祀った。その後、公頼殺害に関与した者が落雷・海難などにより次々と変死し、また公頼の無実も判明したため、承応2年(1653年)、秀宗は公頼を祀る神社を創建し、山頼和霊神社と称した。
 戦災で焼失したが、昭和32年(1957年)に再建された。

龍光院 12:50

 駅に戻り、反対側に進み、寺町を目指す。
 龍光院は、伊達秀宗が宇和島藩主として入部した際、宇和島城の鬼門にあたるこの地に、宇和島藩の安寧と領民の安泰を祈願して栄瑜上人を開山和尚に迎え建立した。以後、宇和島藩伊達家の祈願所となった。
 平成20年(2008年)12月7日、護摩祈祷が行われた際に、飛び火により本堂屋根の一部を焼亡してしまったが、2年後に復興した。

西江禅寺 13:03

 南下し寺町を通過。雪が降り続くせいもあるのか風情あるところだ。建ち並ぶ寺の一つ、西江禅寺に立ち寄る。
 西江禅寺は、貞治4年/正平20年(1365年)に聖一国師(円爾(えんに)、静岡茶の始祖、博多祇園山笠の起源とされる高僧)の法孫悟庵]により龍光院の山下に開山、宇和島市内では最古の寺院と言われている。寛永2年(1625年)に伊達秀宗により現地に移転された。
 宇和島地方では「えんま様」と呼ばれ、毎年2月にはえんま祭りが行われる。

西江禅寺の庭園(帰路での撮影) 13:39

 西江禅寺は、庭園も有名である。
 この庭園は江戸初期に作られ、枯山水の様式で、通称鶴亀庭。愛媛県の名勝に指定されている。

等覚寺山門 13:10

 寺町の南端にたどり着くと、等覚寺がある。
 等覚寺は、伊達秀宗が母の菩提を弔うために江戸時代初期の元和4年(1618年)に建立した。。大隆寺と並んで宇和島藩主伊達家の菩提寺である。
 この山門は明治27年(1894年)の再建。

伊達秀宗の墓 13:20

 宇和島藩伊達家の菩提寺であるからして、境内には歴代藩主の墓が。
 初代藩主、伊達秀宗の墓。

伊達宗城の墓 13:24

 そして、幕末の四賢侯の一人、8代藩主、伊達宗城とその夫人の墓。
 見忘れた西江禅寺の庭園を見てから、寺町を後にお城の方向へ。天赦園は何と休園日だったので、伊達博物館に転進。
 展示を見ながら、冷え切った体を温める。ホンマに今日は厳寒である…

搦手門から入城 14:25

 いよいよ宇和島城へ。27年振りの再訪である。
 宇和島城は、文禄4年(1595年)、宇和郡7万石を与えられた藤堂高虎が、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に築城し、その後、宇和島藩2代藩主伊達宗利が改修した城である。
 宇和島出身の偉人である児島惟謙(こじまこれかた:明治期代の司法官、政治家で、大津事件の際、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜いた) の銅像が立つ、搦手から城内へ。

石垣を登る 14:31

 現在残っている天守などの建築は伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。
 有名な五角形平面の縄張り「空角の経始(あきかくのなわ)」は四角形平面の城と錯覚させる高虎の設計で、現に幕府の隠密が江戸に送った密書にも「四方の間、合わせて十四町」と、誤って記されている。
 攻撃側は、方形の縄張を予想して攻めてくるが、実際は五角形なので、一辺が空角になり、城を攻める側にとっては、完全に死角で、攻撃は手薄になる。この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなり得る。さらに、この秘かな空角は、物資搬入口ともなり、城から落ちのびる場合の抜け道ともなるのだ。守城の作戦上、効果は絶大であり、さすが築城の天才、藤堂高虎である。
 標高70mを超える平山城なので、本丸へは急な石段が続く。
 本丸下にある城山郷土館で、しばしお勉強。そして天守へ。

宇和島城天守 14:51

 言うまでもなく、現存12天守の一つで、国指定重要文化財。高虎が建てた複合式望楼型の三重天守を、宇和島藩2代藩主伊達宗利が寛文2年(1662年)から寛文11年(1671年)にかけて改修した、独立式層塔型3重3階の天守閣である。
 壁には狭間や石落としなど戦いの備えが一切ないので、無防備な太平の世の建築であると一見思うが、実際はすべての窓の下の腰壁には鉄砲掛けが設けられるなど、実戦もしっかりと想定されている。

天守からの鬼ヶ城連峰 14:59

 本丸からの眺望は最高! 東側には雪を被った鬼ヶ城連峰が…

天守からの宇和海 14:59

 西側は宇和海が一望だ。いや〜名城です。
 大満足の南予名城巡りだった…

参考タイム

12/28道の駅「虹の森公園まつの」 8:408:45 JR松丸駅 8:459:00 風呂ヶ谷登城口 ⇒ 9:009:10 西第十曲輪 9:109:20 本郭 9:259:40 新城 9:409:50 本郭 9:5010:00 永昌寺 10:0010:05 JR松丸駅 10:1010:15 道の駅「虹の森公園まつの」
JR宇和島駅 12:1012:20 和霊神社 12:3012:40 JR宇和島駅 ⇒ 12:4012:50 龍光院 12:5013:00 西江禅寺 13:0513:10 等覚寺 13:3013:35 西江禅寺 13:4014:05 伊達博物館 14:2014:25 宇和島城跡 15:1515:35 JR宇和島駅(つるの湯)

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