西飛鳥古墳巡りその1

−記念すべき1000回目の山行! 飛鳥西部の古墳巡りを企てるも、地図が古くて迷走…−

   

山行概要

日 程
2023年12月9日(土)
山 域
西飛鳥
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
近鉄壺阪山駅=0:15=岡宮天皇陵・素盞鳴命神社=0:30=マルコ山古墳=0:15=近鉄飛鳥駅=0:05=岩尾山古墳=0:10=牽牛子塚古墳・越塚御門古=0:10=真弓鑵子塚古墳=0:15=近鉄飛鳥駅【1:40】

記録文(写真はクリックで拡大)

 ついに1000回目の山行を実行する時が来た! 14歳の時から登山を始め、足掛け41年(笑) 阿保の一つ覚えとは良く言ったものである。自分でも何故これだけ続いたのか、さっぱり分からないが、体の続く限り、続けるんだろう…
 数あるストックの中から、引っ張り出して来たのは、西飛鳥の古墳探索プラン。近鉄吉野線の東側は、高取山や石舞台、岡寺等、もう何度も通ったエリアだが、西側はほぼ未踏の状態であったのだ。
 5時46分発の便で京阪牧野駅を出発し、定期券で行ける丹波橋から、近鉄京都線、橿原線で橿原神宮前駅へ。吉野線に乗り換えて、壺阪山駅には7時37分着。ほぼ2時間かかった… 遠い…
 駅からR169に出て、しばらく南下し、「下土佐」交差点を右折、吉野線を横断して西に進んで行くと、高取町森集落に入り、「木の辻」という交差点に出た。ここには立派な常夜燈が建っている。

「木の辻」の常夜燈 7:49

 「木の辻」は、五條から紀ノ川河口まで続く「紀路」と壺阪寺への参詣道が交差するところで、「紀路」は、大陸の文化や技術を飛鳥へ伝えた道であるとされる。
 辻の傍らには、大正13年(1924年)の刻銘がある立派な常夜燈が建っており、よくある放置された塔ではなく、手入れ感が半端ないのだ。
 後で調べてみたら、日暮れ時、住民がやってきて石灯籠に蝋燭を上げ、地域の安全を祈って手を合わす、「大神宮(伊勢神宮)さんのお灯明とぼし」と呼ぶ慣習があるらしく、雨の日以外は毎日行っているらしい。
 50軒ほどある集落全体で順番を決め、灯明を灯し終えると、隣家に当番の木札を届けるという。
 「木の辻」を右折し、「紀路」を北上すると、左手に小山があり、近づいてみると、岡宮天皇陵であった。

岡宮天皇陵 7:55

 岡宮天皇は、天武・持統両天皇の間に生まれた、たった一人の皇子、草壁皇子のことで、皇子は、28歳の若さで夭折してしまった。
 死後、母親の持統天皇が送ったのが「岡宮」の称号である。

素盞鳴命神社 7:58

 岡宮天皇陵の東隣には、素盞鳴命神社が鎮座する。創建・由緒等は不詳。
 昔は、岡宮天皇陵の上に建っていたらしいが、明治になり、畏れ多いと現地に移転したらしい。
 少し北に進むと、佐田集落に入り、また左手に古墳があるので寄ってみる。

佐田春日神社 8:05

 神社の参道が現れ、登って行くと、佐田春日神社に到着。祭神は天津児屋根命(あめのこやねのみこと:中臣氏(後の藤原氏)の祖神(おやがみ))。
 ここも創建・由緒等は不詳。この神社の境内に束明神古墳があるのだ。

束明神古墳 8:06

 束明神古墳は、現状の墳丘は直径10m程度だが、調査の結果、実際は対角線の長さが30mある八角形墳であったことが判明しており、終末期古墳の中でも天武陵の45mに次ぐ規模を誇る。
 また、出土品や、各種文献・伝承などから、総合的に判断して、束明神古墳こそ、岡宮天皇陵であるという説が有力になっている。

談山神社方面を望む 8:11

 「紀路」に戻り、北上し、佐田の集落を抜けていく。集落を抜けた耕作地からは、東方、談山神社の森や、音羽三山の一部も確認できた。
 私が参照しているルート図は、「歩く・なら」というサイトの地図で、細い道なりに、次のマルコ山古墳へ歩いていけるように記されていたが、このマップは10年以上前の代物であり、道は林の前で途絶えてしまった…
 仕方がないので、東側への迂回を余儀なくされる。奈良県立高取国際高等学校の前を通過し、吉野線に接したところで、V字に折れ、再び西に進んで、マルコ山古墳へ向かう。束明神古墳から30分もかかってしまった。

マルコ山古墳 8:35

 マルコ山古墳は、7世紀末〜8世紀初めの古墳時代終末期の築造で、当初は円墳と思われていたが最近の発掘調査により六角墳とされている。対角長約24m、二段築成の古墳である。
 南に向かって石室が開口し、床を含む内壁には漆喰が塗られ、高松塚古墳やキトラ古墳などと同様な構造である。
 被葬者は不明であるが、構造・規模から、皇族であることにほぼ間違いと言われている。

櫛玉命神社 8:43

 来た道を東に戻る。途中、櫛玉命神社が鎮座していたので、立ち寄る。静かな社叢に囲まれて、社殿が建っている。
 櫛玉命神社の創建年代は不詳だが、一説によると、第14代仲哀天皇の御代に櫛玉彦命(物部氏の祖)の後裔に当たる荒木命に、祖先の勲功によって巨勢の地を賜り、祖先を祀ったのが創祀であるとされる。
 江戸時代初期頃から八幡宮と称され、祭神も八幡大神に変えられていたが、明治23年(1890年)12月25日に社号・祭神を古に復した。

岩尾山古墳石室開口部 8:57

 東へ近鉄吉野線を渡り、高取川沿いに歩道を北上すると、近鉄飛鳥駅前を通過。さらに北に進み、駅前から最初の辻を左折し、細い路地を進んで行くと、岩尾山古墳の前に出た。
 岩屋山古墳も終末期古墳で、発掘調査の結果、墳丘は一辺約40m、高さ約12mの2段築成の方墳で、版築(土を建材に用い強く突き固める方法)で築かれており、下段テラス面には礫敷(れきじき:床に石を無数に並べる)が施されていることが明らかとなっている。

岩尾山古墳石室内 8:57

 墳丘には、南に開口する両袖式の横穴式石室があり、規模は全長約18m、玄室長約5mで、壁面構成については、玄室が2石積みで奥壁上下各1石、側石上段各2石、下段各3石で、羨道部分は玄門側が1石積みで羨門側が2石積みとなっており、天井石については、玄室1石、羨道5石で構成されている。こういった構造をした石室は、岩屋山式と呼ばれており、奈良県内で同様の様式が複数確認されている。
 被葬者については、第35・37代皇極・斉明天皇や、吉備姫王(斉明天皇の母)等が候補として挙げられてる。

岩尾山古墳から東方を望む 8:58

 墳丘上からは、明日香の里や、音羽三山の眺望が良好。

越の道標 9:00

 岩尾山古墳から、西へ越という集落内を細い路地で進んで行くと、立派な道標が立っていた。
 北西面は、「左 おかてら はせ とふのミね いせ道」
 北東面は、「右 ちわら ごせ こんかうさん道」
 東南面には、「安政五年(1858年)戌午年八月吉日」と刻銘されていた。

牽牛子塚古墳・越塚御門古墳 9:10

 集落を抜け、牽牛子塚古墳の臨時駐車場がある辻を右折し、北に向かう。
 「この先、駐車場はありません」の看板が立つ中、介護老人福祉施設の横を通過し、耕作地の横の細道を進んで行くと、前面に立派に復元整備された古墳が見えてくる。これが、牽牛子塚(けごしづか)古墳・越塚御門(こしつかごもん)古墳である。
 越塚御門古墳は、牽牛子塚古墳の南東側に接するように築造された古墳で、7世紀後半に造られた一辺約10mの方墳。
 斉明陵墓の前に大田皇女(斉明天皇の孫、天武天皇の妃)を葬ったという「日本書紀」の記述から、大田皇女の墓である可能性が高いとされている。
 遠くからも目立つ牽牛子塚古墳と一体化しているためか、発見が遅れたが、平成22年(2010年)10月中旬、牽牛子塚古墳周辺の発掘現場を埋め戻す最中、偶然発見された。

牽牛子塚古墳 9:16

 綺麗に整備されたスロープ・階段を登り、牽牛子塚古墳の墳丘へ。
 牽牛子塚古墳は、全国で5基しかない古代天皇家を象徴する形「八角形」をした古墳で、それらの中では初めて復元整備され、令和4年(2022年)3月6日に一般公開が開始されたばかりである。
 多角形で、「あさがお」の花びらに似ていたことから、江戸時代や明治時代の文献では「あさがお塚」と記載されていた。
 直径30mの古墳で、内部は巨大な凝灰石をくりぬいて、左右2室になった石室とドーム型の天井をもつ、珍しい合葬古墳で、皇極・斉明天皇とその娘が眠っていると推定されている。

牽牛子塚古墳を見下ろす 9:20

 墳丘を見下ろせる高みまで移動する。
 特徴的な八角形の墳墓が一望だ。遠景は高取山。
 この整備された園地の最上部から、西へ山道が続いており、真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳へ続いている。
 すぐに南北に通じている林道に出て、いったん南に進み、すぐに分岐をV字に右後ろに折れ、耕作地の中を進むと、真弓鑵子塚古墳のすぐ東側に出た。
 古墳へ続く地道が分岐するので、そちらへ向かったが、残念ながら、古墳への立ち寄りは禁止されていた…

真弓鑵子塚古墳 9:30

 真弓鑵子塚古墳は、尾根の先端部を大規模に造成して築造された、直径約40m、高さ約8mの2段墳丘を有する大型円墳である。
 南側に開口する横穴式石室で、石室内からは、副葬品として刀装具・玉類・馬具・鉄鏃・須恵器・土師器などが検出されている。
 築造時期は、古墳時代後期の6世紀中ごろと推定され、ミニチュア炊飯具など渡来系の遺物が、近隣の古墳から出土していることから、本古墳もまた渡来系氏族(特に東漢氏一族)の墓と推測される。

近鉄飛鳥駅に戻って終了 9:45

 「歩く・なら」というサイトの地図によると、先ほど、牽牛子塚古墳から少し西に進んだ林道を北に進めば、益田岩船という巨大石造物の登り口まで行けるように記載されていたので、戻って少し進んでみたが、すぐにロープが張られており、通行禁止になっていた。
 この他、牽牛子塚古墳まで戻り、北に抜ける道を探したが、古墳園地の北側は、柵で閉じられていた…
 完全に心が折れたので、来た道を飛鳥駅に戻った。

「一軒め酒場 エル京橋店」さんで昼呑みルーティン@! 11:04

 橿原神宮前駅から大和八木駅経由で、大阪へ行き、いつものように京橋へ。
 完全にルーティンと化している、「一軒め酒場 エル京橋店」さんで昼呑みスタート(笑)!
 生中に、名物の豚のホルモン煮込みと、つぶ貝刺しでスタート!

「一軒め酒場 エル京橋店」さんで昼呑みルーティンA! 11:17

 イカの天ぷら!

「一軒め酒場 エル京橋店」さんで昼呑みルーティンB! 11:25

 明太マヨピザ! これもいつも発注してしまいます…

「一軒め酒場 エル京橋店」さんで昼呑みルーティンC! 11:37

 これも名物の揚げたて! ハイボールにチェンジし、すっかりベロベロに…
 勢い込んでスマスロ北斗の拳に挑んだが、あっけなく2万円の討ち死に… 無駄な抵抗はせず、大人しく帰宅しました…
 1000回目の記念山行は、惨敗で終了(笑)…

参考タイム

12/9近鉄壺阪山駅 7:407:55 岡宮天皇陵・素盞鳴命神社 8:008:30 マルコ山古墳 8:358:50 近鉄飛鳥駅 8:508:55 岩尾山古墳 9:009:10 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳 9:209:30 真弓鑵子塚古墳 9:309:45 近鉄飛鳥駅

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諸国名山探訪

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