大三島・今治城登城・丸亀市街散策

−1年半前に登頂し損ねた四国百名山、鷲ヶ頭山をリベンジ−

   
  

山行概要

日 程
2019年1月1日(祝)
山 域
大三島・丸亀市街
天 気
晴れ後曇り
メンバー
単独
コースタイム
大山祇神社=0:30=安神山=0:30=鷲ヶ頭山=0:25=安神山=0:20=大山祇神社【1:45】
JR丸亀駅=0:15=丸亀城大手門前=0:10=本丸=0:15=丸亀城大手門前=0:15=JR丸亀駅【0:55】

記録文(写真はクリックで拡大)

 大三島に上陸し、道の駅「しまなみの駅 御島」に車を止め、大山祇神社へ。

大山祇神社で初詣 6:30

 まだ夜が明けぬ中、伊予国一宮にしっかりと初詣し、境内奥からまずは安神山公園へ登って行く。1年半前に安神山まで登っているので、暗闇でもスイスイ進んでいく。

安神山から鷲ヶ頭山を望む 7:00

 公園から一気の急登となり、前回の到達点である安神山に到着。
 手前のエボシ岩が凄い迫力だ。

鷲ヶ頭山が近づく 7:13

 エボシ岩の直下を巻くと、しばらく穏やかなルートが続く。

初日の出! 7:31

 いったん林道と交差し、山頂まで最後の急登。山頂からの初日の出には少し遅れてしまったが、何とかそれっぽい画像をゲット!(笑)
 伯方島から右奥に四国が見える。

登ってきた方向 7:36

 標高400m台の低山だが、けっこう高度感がある。安神山は遥か下方に沈んだ…

北東方面 7:38

 上浦集落の奥には生口島が浮かぶ。寒いのでもう限界。15分で下山開始。

エボシ岩 8:02

 来た道を戻る。エボシ岩がなかなかの迫力だが、ルートは完璧に整備されており、全く危険なく直下を巻いていく。

大山祇神社に帰着 8:30

 一気に駆け下り、大山祇神社へ。先ほどはなかった行列ができていた…
 道の駅で土産物を買い込んでから、四国に戻り、1年半前に行き損ねた日本100名城の今治城へ。
 正面の無料駐車場は満車… 仕方なく城南側の路肩に車を止め、歩いて城内へ。

今治城 9:45

 今治城は、関ヶ原の戦功で宇和島に加え今治を加増された藤堂高虎が、慶長9年(1604年)に築城した。
 三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっており、高松城、中津城とともに、日本三大水城の一つに数えられている。その立地から砂が吹き上げる浜に立つ城という意味から「吹揚城」の別名がある。
 寛永12年(1635年)、藤堂氏が移封された後は、松平(久松)定房が入城し、以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となり、広大な城郭は江戸時代260年間保たれたが、明治維新以後、ほとんどの建築物が破却されてしまった…

城内へ 9:47

 右から武具櫓、多聞櫓。これらは昭和55年(1980年)の復元。背後に天守も見える。

城内へ 9:49

 鉄御門(くろがねごもん)から城内(二ノ丸)へ。
 鉄御門は、二の丸の表門。鉄門形式の櫓門で櫓門前面木部を短冊状の鉄板で覆い門自体の防御力を高めるとともに、巨大な枡形や付随する多聞櫓によって厳重な防御線を構築しており、枡形に侵入した敵兵に対しては、門の上部を含め三方向から集中砲火を浴びせる構造になっていた。
 平成19年(2007年)に資料をもとに忠実に再現復元された。

模擬天守 9:51

 藤堂高虎が当時最新鋭の層塔型五重天守を創建し、高虎の伊賀・伊勢転封と同時に解体され、丹波亀山城の天下普請の際に移築されたと伝える資料もあるが、天守台の遺構が発見されておらず、一級資料も存在しないため、、天守が実際に建てられたかについて結論に至っていない。
 この模擬天守は、昭和55年(1980年)、5層6階の鉄筋コンクリート造で建設された。外観は、移築されたとされる丹波亀山城天守の明治初期に撮影された古写真や平面図が残されていたため、それを参考にしたらしい。
 天守台が発見されておらず、天守の位置も本丸の中央付近と推定されているが、模擬天守は、中央から北に寄った北隅櫓(江戸期は天守の代用とされた)跡に建てられている。

吹揚神社 9:54

 吹揚神社は今治藩の廃藩にあたり、今治市内に鎮座をしていた神明宮他の4社を、旧社地の故をもって今治城内に合祀社殿として、明治5年(1872年)造営された。
 社殿は戦災や放火で2度にわたって焼失したが、現社殿は、昭和58年(1983年)3月に竣工し、現在に至っている。

模擬天守からの眺望 10:19

 いよいよ天守内へ。
 最上階からの眺望は素晴らしい。画像は、北側のしまなみ海道方面。右の島は大島。

御金櫓と天守 10:40

 満足して城外へ。東方から振り返る。
 水城っぽさ全開! 今治城の堀は、海とつながっている水路があり、潮の満ち引きによって水位も変わる。サメやエイ、タイ等が普通に生息している。その一方で、堀底には真水が染み出てるところもあって、そこにはメダカが泳いでいるらしい…  御金櫓(おかねやぐら)は、二の丸跡の東隅に立つ二重櫓で、昭和60年(1985年)に再建された。
 車に戻り、嫁の実家の丸亀に向かう。

大手門前からの丸亀城 13:41

 高速を飛ばし、一路丸亀市内へ。
 久し振りに「一鶴」さんの骨付鳥をどうしても食べたくなり、JR丸亀駅前の丸亀本店に行ってみる。13時を回っていたので、さすがに入店できるだろうと思ったら、まだ長蛇の列が…
 もう少し待ってみようと思い、これまた久しぶりに丸亀城に登城することに。駅から南へ、商店街を抜けていく。
 大手門前からは、総高としては日本一高い石垣が圧倒的だ。

三ノ丸の高石垣 13:46

 城内で一番高く、MAX22mもある三ノ丸北側の高石垣を眺めながら、「見返り坂」と呼ばれる急坂を登る。
 この地には室町時代初期から砦はあったようだが、讃岐17万石を領した生駒親正が支城として慶長7年(1602年)にほぼ現在の規模で築城した。
 その後、山崎氏を経て、万治元年(1658年)に龍野から京極高和が6万石で入封、現在の3層3階の御三階櫓(天守)の建設ほか、城の大改修に着手し、延宝元年(1673年)に完了。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。

丸亀城御三階櫓(天守) 13:50

 本丸へ。丸亀城御三階櫓(天守)は災害補修中だった。
 天守は、高さ約15m、三重三階の造りで、現存12天守の1つで、四国に残る木造天守の中で、最も古い万治3年(1660年)の完成。
 唐破風や千鳥破風を巧みに配置し、北側には石落しや素木の格子を付け、意匠を凝らしている。

本丸からの眺め@ 13:50

 本丸から北方、瀬戸内方面を望む。
 石垣の高さが凄い。

本丸からの眺めA 13:51

 南東方向の展望。讃岐富士、飯野山が見える。

大手門一ノ門 14:08

 城内側からの大手門一ノ門。二ノ門とセットの大手門は、形式、規模と言い、これだけ正統的な枡形門を見たことはないです。
 大手門一ノ門は、寛文10年(1670年)頃に建築され、藩士が太鼓を打ち、刻を知らせていたことから「太鼓門」とも呼ばれている。
 大手の正門らしい威厳と風格を備えた櫓門である。
 城外へ出、駅へ戻る。

参考タイム

1/1大山祇神社 6:307:00 安神山 7:007:30 鷲ヶ頭山 7:458:10 安神山 8:108:30 大山祇神社
JR丸亀駅 13:2513:40 丸亀城大手門前 13:4013:50 本丸 13:5514:10 丸亀城大手門前 14:1014:25 JR丸亀駅

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