−超好天に恵まれた半日ハイク−
山行概要
2004年3月14日(日) | |
山ノ辺の道 | |
快晴 | |
単独 | |
近鉄天理駅=0:20=天理教本部=0:10=石上神宮=0:30=夜都岐神社=0:25=手白香皇女衾田陵=0:20=長岳寺=0:35=穴師坐兵主神社=0:25=ホケノ山古墳=0:05=箸墓古墳=0:10=JR巻向駅【3:00】 |
記録文
引き続きの好天模様。昨日の充実ハイクに飽きたらず、久しぶりの連戦を敢行。と言っても今日は昼過ぎには出勤する必要があったので、半日の手ごろなルートを探る。
昨日もそうだったが、なぜか奈良に行きたい気持ちが強く、昨日と全く同じ竹田駅7時発の橿原神宮前行の急行に飛び乗る。乗車中に行き先を考える。そういえば、山ノ辺の道は、桜井〜長岳寺間は、これまで3〜4回も歩いているのに、その先天理までは、なぜか訪れる機会のない状況が続いていたので、ここに行こうかと決める。と言う訳で、平端で天理線に乗り換える。
天理駅から延々と続くアーケードを西へ。どこかで朝食でもと考えていたが、営業している店舗がなかなかなく、ようやくアーケードの西端で喫茶店を見つけ、モーニングにありつく。
アーケードが尽きると、一気に視界が開け、壮大な天理教の本部が出現。まだ早朝なのに、信者の団体が大勢参拝しており、活気溢れる光景である。
さらに西へ進み、布留の交差点で右折するとすぐに石上神宮である。境内に放し飼いになっている軍鶏を見て、鳥インフルエンザ感染への対策はどうしているのだろかと、おせっかいにも心配をしつつも、本殿へ。
厳かな本殿で参拝を終え、道標に従い、いよいよ山ノ辺の道へ。薄暗い境内を抜けると、一気に春の陽光まぶしい里山の光景に変わる。
池だけが名残をとどめる内山永久寺跡を過ぎ、梅の花が咲き乱れる山裾を上り下り。右手には大和平野が見下ろせ、その先には、昨日登ったばかりの二上山が春霞の上に浮かぶ。今日もサイコー!
夜都岐神社からは、顕著な上り下りもなく、等高線に沿って、まさに山ノ辺を進んでいく。周囲はあちこちにこんもりとした小山が点在、その全てが古墳のようで、みかんや柿の木に覆われているものや、今でも墓地として墓石が並んでいるものもあり、なかなかバリエーションに富んでいる。
竹之内から萱生へと2つの環濠集落が矢継ぎ早に現れる。続いて巨大な衾田陵も。でかすぎてカメラに収まらない。
全く飛ばしているつもりはなかったが、快適に歩くには完璧な条件が揃っていたせいか、あっと言う間に当初の目的地であった、長岳寺が近づいてくる。
この辺り左手には、龍王山が真正面で、高い山ではないのに、なかなか雄大な姿を見せている。
長岳寺はもう4度目なので、御朱印だけ頂いて、参拝は今日はパス。門前に天理市のトレイルセンターが新設されており、ルートの詳細な地図をいただくことができた。今回歩いたルートはもちろんだが、いわゆる北山ノ辺(奈良〜天理)の地図も手に入り、新たな目標ができた。(いきなり翌週に行ってしまった)
まだ時間に余裕があったので、地図とにらめっこの結果、もう少しだけ足をのばして、これまで訪れたことのない穴師坐兵主神社に寄ってから、帰ることにする。
崇神、景行と巨大スケールを誇る天皇陵の際を通過した後、いったんルートから離れ、山手に向かって登っていく。結構急な車道を汗ばみながら登り、相撲神社のさらに奥にお目当ての穴師坐兵主神社が登場。
メインルートから外れているせいか、山懐に抱かれた境内は私一人。静かな境内で呼吸を整える。
来た道を戻る。結構な高みまで登ってきたせいか、大和平野の眺めは今日で一番。ルートに戻り、再び南下、まきむく川に出合ったところで、山ノ辺の道とはおさらばし、川に沿って下る。
JR桜井線を渡ってすぐの所に箸墓という巨大な前方後円墳があり、見所の多かった今日のコースのトリを務めてくれた。後は線路に沿って、無人駅の巻向駅までのんびり歩く。
1時間に2本しかない、奈良行がタイミング良く来た。奈良からはみやこ路快速に乗り換え、1時間ほどで京都に戻ることができた。
参考タイム
3/14 | 近鉄天理駅 8:00 ⇒ 8:10 朝食 8:25 ⇒ 8:35 天理教本部 8:35 ⇒ 8:45 石上神宮 8:55 ⇒ 9:25 夜都岐神社 9:30 ⇒ 9:35 竹之内環濠集落 9:35 ⇒ 9:55 手白香皇女衾田陵 9:55 ⇒ 10:15 長岳寺 10:30 ⇒ 11:05 穴師坐兵主神社 11:10 ⇒ 11:35 ホケノ山古墳 11:40 ⇒ 11:45 箸墓古墳 11:45 ⇒ 11:55 JR巻向駅 |
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