−伊勢路のラスト区間、本宮道へ。ド快晴の下、山深く分け入る−
山行概要
2019年2月10日(日) | |
熊野古道伊勢路 | |
快晴 | |
単独 | |
千枚田・通り峠バス停=0:20=天理教紀熊分教会=1:30=夕陽の丘(明倫小学校跡)=0:50=楊枝川集落=0:50=楊枝橋=0:15=楊枝薬師堂=0:15=楊枝橋=0:15=三和大橋=0:20=志古【4:35】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
熊野市から矢ノ川まで歩いた昨日と同様、この日も6時に起床し、志古まで車を走らせる。
この日の序盤は、神ってるバス乗り継ぎをこなすのだ。まずは志古7時18分発の始発のバスで新宮に出る。新宮に8時前に到着し、駅前のコンビニで朝食を取ってから、8時半発の大又大久保行きという聞いたこともないし、どこにあるのかも分からない(笑)行き先のバスに乗り込み、途中の阿田和端地というバス停に9時前に無事到着。
そして、このバス停を9時4分に出る熊野市営バスに乗れば、昨日のゴール地点である、千枚田・通り峠バス停まで行けるのだ。
9時前に到着した時点で、「今日はもらった」と一人悦に入っていたが、とんだ落とし穴が待っていた…
何と間抜けにもバスの進行方向を逆と思い込んでいて、反対側のバス停で待ってたのである。気が付いた時にはバスは走り去っていった(涙)…
次の便は12時34分(涙)… 完全に計画が崩壊した… 中止が頭をよぎったが、スマホで調べるとすぐ近くにタクシー会社があることが判明、バスが去ってから、5分もかからず来てくれ、バスチェイスの始まり始まり〜(笑)
10分ほどの追跡で無事バスを追い越し、先のバス停で待つ。2500円ほど追加出費になったが、良くリカバリーできた。
ちなみにその後、20分ほど乗車したバスの運賃は300円だった(笑)…
すぐにスタート。バス停から橋を渡ってすぐ右折し国道を離れ、林道を100mほど進むと、左の山中に向けて本宮道@の入口があるので山道へ。
熊野川に至る本日のルート中、6個所にわたって短いながらも古道が残っており、世界遺産の構成資産になっている。
この本宮道@は踏み跡は薄いが、森の中に気持ちの良いルートが残っている。
10分程度で天理教の紀熊分教会が目立つ小さな集落に出て、R311に合流する。しばらくは国道歩きだ。
20分ほどで、左に林道が分かれるので、それに入るとすぐに本宮道Aの入口がある。
が、分け入ってみると、歩く人が少ないのか、ルートがはっきりしない。一族山への登山道が分岐していくが、この道も良く分からない。
本宮道Aは、林道をショートカットするだけの僅か200mほどで、進む方向もはっきりしていたので、適当に藪を漕いで行くと、だんだんルートがはっきりしてきて、無事に林道に復活。
しかし、特に夏場など、この道を無理して歩かず、林道をそのまま進んだ方が良いのではと思われる。
林道は単調ながらも時折眺望の良い箇所もある。画像は北方向を眺めたもの。
単調な林道だが、ちょっとしたアクセントが… 本宮道AとBの間に1軒家があったのだが、大量の犬を飼っており、そいつらが猛然と吠えまくるので耳がおかしくなりそうになった…
以前にネットでこのルートを調べていたら、ある人の歩行記にこの家の記載があり、「犬が数頭放し飼いになっていて、襲ってきそうだった」とあったので、「これが、この犬か!」と思い、ビビりながら進んで行ったのだが、この日は全て檻の中に入れられており、事なきを得た。
犬小屋の後は、特に特筆すべきこともなく、本宮道Bの入口へ。
本宮道Bも距離は短いが、石畳が残っている。
またすぐに林道(県道780号線)に復帰し、しばらく歩くと視界が開け、「夕日の丘」という公園状に整備された園地が現れる。その一角に「明倫小学校跡」の碑が立つ。周囲に誰も住んでないような山奥なのに、よく小学校があったなと思うが、かつては鉱山があり、賑わっていたらしい。現在は全く面影が無いが、それもそのはず既に昭和45年(1970年)4月には入鹿小学校に統合され、廃校になったとのこと。
この「明倫小学校跡」の碑の向かいから、超ショートの本宮道Cの入口があり、100mほど山道を歩くと県道に復帰(笑)
本宮道Cを出ると向かいは「夕日の丘」のメインゲートのようで、駐車場やトイレ、展望台等があった。
展望台からは確かに西方向が開け、展望が良い。
「夕日の丘」を後に、また森の中を県道歩き。
1キロほど県道を進むと、本宮道Dの入口。
本宮道Dも500mあるかないかくらいだが、もともと県道が超山深いところを走っているので、山道に入った途端、一気に山奥の雰囲気に溢れてくる。
中間部で県道をいったん横切る。
車道に合流。県道は東に離れており、この車道は林道大河内線である。
出口の前には久しぶりに民家が建っていたが、人の気配は無く、空き家かもしれない。
林道を進んで行くと、強烈な匂いとともに養豚場が現れ、林道が左右に分岐する。
ここは見た限り道標がないので要注意である。左が正しく、右に降りてしまうと、北山川に降りてしまい、リカバリーが大変である。
左の林道に入ると、下り道が続く。民家が数軒ある辺りは視界が開け、どこの山なのか全く同定できないが、展望が良い。
林道がダートに変った辺りで本宮道Eの入口が現れる。
本宮道Eにも短いながら石畳が残っている。
本宮道Eを下り切ると、しばらく離れていた県道780号線に再合流し、楊枝川に着陸。そして楊枝川の集落に入る。
売店がないかなと淡い期待を抱いていたが、何もなし… 諦めて県道をひたすら歩き続ける。
楊枝川の集落から、熊野川に出るまで、5km弱もある… 景色も単調なので、果てしなく感じる。
画像は、楊枝橋の手前。ようやく熊野川が近づいてきた。楊枝橋のすぐ先で楊枝川は熊野川に合流するのだ。
橋の袂はT字路になっており、志古へは左に向かうのだが、ここはいったん右へ向かい、約1km先の、楊枝の薬師堂に向かう。
熊野川の左岸を遡る。対岸には本日のゴール地点の志古と、ウォータジェットが目の前に見える。昔はここに「楊枝の渡し」があり、渡しが今あれば、志古まで数分で着くだろうが、現在は楊枝堂から2キロ下流の三和大橋を渡らねば熊野川の右岸に渡ることができず、志古まで合計4キロの回り道が必要なのだ。
楊枝薬師堂に到着。お堂の創建に関して、なかなか興味深い伝説が残っている。
二条天皇の御代、頭痛に悩まされていた後白河上皇が、頭痛平癒を祈願したところ、金色の御仏が現われ、「私は薬師如来である。熊野川のほとりに高さ数十丈の柳の大樹がある。その柳を伐って都に大伽藍を建立し、我が像を彫って祀れば、頭痛はたちどころに平癒するだろう」と、お告げをした。
後白河上皇は大層喜び、さっそくその柳を棟木に使って長寛2年(1164年)に大伽藍を建立した。これが三十三間堂である。
三十三間堂のおかげで頭痛が平癒した後白河上皇は、柳の伐り跡にも七堂伽藍の大寺を建て、柳の枝で自ら彫った薬師如来を安置し、仁安2年(1167年)9月、後白河上皇は出家して法皇となり、自ら大導師となって自作の薬師如来の開眼供養をし、「頭痛山平癒寺」と名付けたという。
その後、火災や水害にため、七堂伽藍は失われ、現在は楊枝薬師堂のみとなったが、今でも頭痛に悩む人のお参りが絶えないという。
楊枝橋まで戻り、反対側へ1km進むと三和大橋東詰。3年前の5月に熊野本宮大社から志古を経由し、新宮まで熊野川沿いに歩いているので、トレース的にはこれで、伊勢神宮から熊野本宮大社までついにつながった!
長く続ければ、いつかは達成できるのだと、一人悦に入りながら、対岸に渡り、今度は右岸を2km遡って、ようやく志古に戻って来た。
明日もこの辺りで車中泊をして、どこか歩くつもりだったが、明日さらにつよい寒波が襲来し、この辺りでも雪が降るとの予報だったので、十津川村で閉じ込められたら大変と、今日中に大阪に帰ることにした。
結果的には強行軍だったが、懸案の熊野古道伊勢路の本宮道を終えることができ、大満足で帰阪した。
参考タイム
2/10 | 千枚田・通り峠バス停 9:40 ⇒ 10:00 天理教紀熊分教会 10:00 ⇒ 11:30 夕陽の丘(明倫小学校跡) 11:35 ⇒ 12:25 楊枝川集落 12:25 ⇒ 13:15 楊枝橋 13:15 ⇒ 13:30 楊枝薬師堂 13:35 ⇒ 13:50 楊枝橋 13:50 ⇒ 14:05 三和大橋 14:05 ⇒ 14:25 志古 |
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