八尾市史跡巡り

−運動不足解消に、八尾市の旧跡をぶら散歩−

   

山行概要

日 程
2017年3月12日(日)
山 域
八尾市街
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
近鉄八尾駅=0:15=桃林堂板倉家住宅=0:20=安中新田会所跡(旧植田家住宅)・渋川神社=0:10=大聖勝軍寺=0:10=樟本神社(北木本)=0:20=光蓮寺(稲城跡)=0:35=弓削神社(西)=0:25=近鉄恩智駅【2:15】

記録文(写真はクリックで拡大)

 ようやく繁忙期脱出の目途が立ってきたので、ささやかな休日を楽しむ。
 手近で意外にも歴史散策が満喫できる、八尾へ。昨年11月にも市内をブラ散歩し、印象が良かったのだ。
 京都市内を早朝に出発し、京阪、JR、近鉄を乗り継ぎ、八尾駅へ。
 8時半には歩き出す。鶴橋方面に高架下を少し戻り、「ファミリーロード」と呼ばれる商店街に入り、すぐ左折を2回重ね、路地へ。大層な古民家の所で右折すると、すぐにそれ以上の古民家が目に入り、そこで右折する。
 その角には「桃林堂板倉家住宅」が建つ。

桃林堂板倉家住宅 8:40

 この立派な屋敷は、桃林堂という大正14年創業の和菓子屋の創業地の店舗跡である。もとは江戸時代に河内木綿を取り扱っていた問屋の町屋を創業者の板倉與兵衛が大正時代に買い取ったもので、道路に面して間口の広い大和棟茅葺き屋根、切妻造りの主屋のある住宅であり、18世紀前半頃の築とされる。
 1999年(平成11年)に国の登録有形文化財に登録された。

 八尾市役所の建つ通りに出、しばらく進むと、「環山楼」と呼ばれる、河内の商家や農家の子弟らが学んだという学校跡を経て、八尾小学校の交差点を左折すると、「成法せせらぎの小径」と呼ばれる散策路が疎水に沿って延びている。
 これをしばらく南に辿り、小径が尽きたところで右折し、町なかをしばし進むと、JR八尾線の踏切があり、渡るとすぐのところにまた古民家が現れる。

安中新田会所跡(旧植田家住宅) 9:02

 これが「安中新田会所跡 旧植田家住宅」である。
 旧植田家住宅は、江戸時代の大和川付け替えにより造られた安中新田の会所(新田の管理等を行う出先機関として現地に設置したもの)跡を継承した歴史的に貴重な建物である。
 建物内部は全て見学でき、また隣の展示室では、大和川付け替えの歴史を分かりやすく学ぶことができる。

渋川神社 9:20

 旧植田家住宅のすぐ南には、渋川神社が建つ。
 この神社は、かつて飛鳥時代にこの辺りを本拠地としていた物部守屋の家の跡ともいわれている。クスノキの大木が印象的だ。
 地蔵堂が目立つ街中の路地を進むと、府道が交差する太子堂の交差点に飛び出す。大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)はこの少し北西側に入ったところ。

大聖勝軍寺 9:34

 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺(太子町)の「上の太子」、野中寺(羽曳野市)の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。
 崇仏派の聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことから、戦後間もなく四天王を祭るための寺院として建立されたという。

樟本神社(北木本) 9:45

 大聖勝軍寺から南へ。迹見赤檮(とみのいらい)が物部守屋を射とめた矢を埋めたと伝えられる鏑矢塚を過ぎ、さらに進むと、北木本の樟本神社。
 ここには、物部守屋の首を洗ったと伝わる直径約3mの池(守屋首洗池)がある。

樟本神社(南木本) 10:00

 さらに南下すると、広大な公園(八尾市立南木本防災公園)に出、その先の木本交差点から、再び細い路地に入ると、また樟本神社(南木本)が現れ、ここには、神仏混交で、境内南側に黄檗宗の仏教寺院である日羅寺も並び立つ。

光蓮寺(稲城跡) 10:05

 さらにさらに、少し先にももう一つ樟本神社(木本)が現れ、その先の細い路地に、光蓮寺が建ち。その門前に「稲城跡」の史跡がある。
 聖徳太子が物部守屋をその居館のあった阿都を攻めた時、守屋は兵を集めて、この地に稲城を構えてたてこもり、抗戦したといわれる。稲城は稲で囲った城とか稲t積みの城とかの意味である。

八尾空港 10:17

 光蓮寺から東に進むと、水路に突き当たり、しばらくこの水路に沿って、北東に進む。周囲の見通しが良くなってきたと思ったら、八尾空港に沿って進んでいた。
 空港に目を向けると、忙しなく、小型機やヘリコプターが離着陸を繰り返していた。

弓削神社(西) 10:40

 1キロ近く、空港に沿って進み、ようやくこれを離れると、志紀の街並みに入ってきた。JR志紀駅の南西すぐに弓削神社(西)が建つ。
 800年ごろの創建といわれ、この辺りは弓削氏の一族である高僧道鏡の出身地である。

弓削神社(東) 10:50

 JRを挟んだ東側にも弓削神社があり、かつて東西の社殿の間に久宝寺川(旧大和川)が流れていた。度重なる水害で幾度も流失の被害に遭ったようだ。
 川を挟んで二座の弓削神社が鎮座する形式は、ここ以外にも久留米市や熊本市にも見られるが、関連は不明である。
 この西の弓削神社の境内には、長寿を保つといわれる「延命水」という井戸がある。

 高さ1.7m制限と低すぎる高架下道路くぐり、東の弓削神社を参拝してから、南東に進み、今度は外環状線の高架をくぐり、しばらく道なりに進むと、玉串川に出た。
 以降は、川沿いに北東方向にのんびり進んでいくと、近鉄の恩智駅に到着。12キロほどの、久しぶりの足慣らしには最適ハイクだった。

「味力亭」さんで昼飲み! 11:57

 後は、いつものように鶴橋で昼呑みをキメる!
 「味力亭」さんの、味力亭餃子と野菜餃子とビールで昼から昇天!

参考タイム

3/12近鉄八尾駅 8:258:40 桃林堂板倉家住宅 8:409:00 安中新田会所跡(旧植田家住宅)・渋川神社 9:209:30 大聖勝軍寺 9:359:45 樟本神社(北木本) 9:4510:05 光蓮寺(稲城跡) 10:0510:40 弓削神社(西) 10:4511:10 近鉄恩智駅

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