−寒気が入り,鈴鹿山脈から急きょ転戦−
山行概要
2020年11月21日(土) | |
東海道・伊勢街道 | |
晴れ時々曇り | |
単独 | |
近鉄四日市駅=0:25=大宮神明社=0:15=日永神社=0:25=日永の追分=0:30=河原田神社・忘帰処=0:40=神戸の見附跡=0:25=神戸城跡=0:15=宇氣比神社=0:35=彌都加伎神社=0:35=北の端地蔵堂=0:05=江島若宮八幡神社=0:15=近鉄白子駅【4:25】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
天気予報は晴れだったので,鈴鹿の山々を狙うことに資,夜明け前に自宅を出発。しかし,新名神に入った辺りから雨が降り出す始末…
途中,土山SAで様子を見るが,寒気が入っているようで,山々にはべったりと雲がまとわりついている。仕方がないのでプランBに取っておいた伊勢街道に狙いを変更し,ナビの目的地を四日市に変更する。
車中泊前提で,前回も泊まった駅から5分ほどの24時間500円の格安コインパーキングに車を止め,身支度をしてから出発。
いったん駅に出て,中央通りを東に少し進むと,東海道の碑が立っている交差点を右折し,東海道に入る。
いかにも旧街道だなと思える道筋を南西に進んでいく。
鹿化(かばけ)橋を渡ると,街道東側に大宮神明社がある。
大昔は南西に数キロ離れた,岡山と言う地に建っていたらしいが,焼失したので,永禄5年(1562年)に現地に移転のうえ,再建された。祭神は伊勢神宮と同じである。
毎年6月30日の例祭は那護志大祓(通称:輪くぐり)と言われ,夜店も、盛大に執り行われる。
さらに南へ進み,天白川を渡ると,西側に日永神社が建つ。
棟札によれば、慶長14年(1609年),天照大御神を当地に勧請し、南市場神明社として創建された。その後、社名を南神明社と改称したが,明治40年(1907年)、周辺の4神社を合祀のうえ,日永神社と改称した。
さらに進んでいくと,日永の追分の手前辺りで,立派な松の木が現れる。
昔この辺りは300mほどにわたって松並木が続いていたらしい。
R1に合流し,しばらく進むと,道が二分されるが,ここが日永の追分で,東海道から伊勢街道が分岐する。
かつては,旅籠や茶店があったと言い,三重県指定の記念物(史跡)である。
追分の地には,伊勢神宮二の鳥居や常夜燈が立つほか,湧き水も湧いており,よき休憩スポットになっている。
R1を離れ,県道103号線に沿って進むが,工場が多く,殺風景な景色が続く。
河原田橋を渡ると,県道を離れ,西の街道筋に入ると,いかにも旧街道らしい光景に再び戻る。
街道わきに鳥居が見え,石段が奥に続いている。河原田神社である。約100段の石段を登り,本殿へ。
明治42年(1909年)6月、周辺の3社をを合祀し、河原田神社と改名した。
平成10(1998年)12月火災により本殿、拝殿、社務所を全焼したが、平成12年(2000年)に再建された。
本殿等の建つ境内から,さらに一段登っていくと,「忘帰処」と呼ばれる展望広場があり,看板・ベンチ等が整備されている。
「忘帰処」とは,河原田神社のある標高41mの三神山頂上にある記念碑のことで,ここから見る眺めは河原田随一の景勝地で明治の元勲田中光顕伯爵が熊沢市兵衛翁(明治末期に静岡のみかん栽培を河原田に伝え、河原田みかんの栽培が盛んになったきっかけを作った人物)宅を訪れた際に,この地の風景の美しさに見とれて帰ることを忘れたということから「忘帰処」と名づけられたという。
周囲の木が伸びすぎて,展望はイマイチで,セントレアも確認できなかった。
街道に復帰し,さらに南下すると県道103号,JR関西本線を次々と横断し,鈴鹿川の堤防沿いにしばらく進む。
高岡橋で鈴鹿川の右岸に出,川沿いを離れると高岡の集落。
集落が尽きると,一気に見通しが開け,辺り一面広大な耕作地が広がる。
再び住宅地に入ると,鈴鹿市の行政上の中心と言える神戸(かんべ)地区に入る。すると,街道の両サイドに石垣が組まれたポイントに到着。これが「神戸の見附跡」である。
「神戸の見附」は,伊勢街道神戸宿の入口に位置し、両側に土塁と石垣が築かれている。宿場町の治安を守るため,番人が常駐し、夜間には木戸を閉じて通行を禁じたと伝わる。
近鉄鈴鹿線を横断し,近鉄鈴鹿市駅前を通り抜けると,街道は神戸高校の手前で左折し,南東方向に進んでいくのだが,私はここでいったん右折し,神戸城跡に寄り道することに。
二の丸跡に建つ神戸高校の正面を西に進み,公園として整備された城跡へ。
神戸城は,神戸氏4代の神戸具盛が天文年間(1532−1555年)に築城し、本拠地を澤城(神戸西城)から移した。
滝川一益の侵攻で和睦し,養子に受け入れた織田信長の3男神戸信孝により、より強固に改修され,城主は度々代わったが,関ヶ原以降は一柳氏が5万石で入府した。
その後一時期天領となった時期もあったが、慶安3年(1650年)、石川総長が1万石で,享保17年(1732年)には本多忠統が2万石で封じられ、以降明治維新まで、本多氏7代の居城となった。
現在は,野面積みの天守台だけが残っている。
神戸信孝により5重6階の天守が築かれ、北東に小天守と南西に付櫓がある複合連結式の天守であったことが確認されている。天守は文禄4年(1595年)に解体され、桑名城に三重櫓として移築され神戸櫓と呼ばれた。
伊勢街道に復帰し,東南東方向に進んでいく。伊勢鉄道の鈴鹿駅付近を通過し,高架をくぐると宇氣比(うけひ)神社前に出て,県道54号線に合流する。
宇氣比神社の創祀及び由緒については不詳。この辺りの地誌である「河芸郡史」や「神戸平原地方郷土史」等には,旧名八王子祠で、由緒不詳と記されている。
伊勢の国には,この名称の社が何箇所かあるらしい。
県道54号線を横断し,住宅街の中,街道筋を進む。路傍には山神さんの石碑が目立つ。R23を一度横断し,さらに南下していくと,「西玉垣町」の交差点で,再びR23に合流しかけるが,旧街道は交差点手前の三叉路を左折する(真っ直ぐR23を横断してしまった私はここで5分ほど右往左往してしまった…)。
三叉路から少し街道筋を進むと,割と立派な境内を持った神社が現れたので,寄ってみると,彌都加伎(みずがき)神社だった。
この辺りでは,土に携わって生活をしていた人達や、土地の有力者等が、土を司どる神を祀っていた。その後、その神を醍醐天皇の延喜5年(905年)、山田原(伊勢市の地名?)の御霊を海部村に勧請した。後に村の中心である当地に移転し、瑞籬村と称してお祀りしたという。それが現在の彌都加伎神社の起源らしい。
彌都加伎神社から,ひたすら街道筋を南進。エネルギーや情報通信系の企業である「潟tジクラ」の鈴鹿事業所というバカでかい工場の横を通過すると,菅原社が街道東側に建つ。
当然ながら,菅原道真を祀っており,例年10月に秋祭りとして天神祭が開催されている。
さらに南へなだらかに下りながら進んでいくと,ついに近鉄名古屋線の踏切を横断,右折して江島の集落に入る。
線路を渡ったところの広場に,「六体地蔵尊菩薩」と書かれた石碑とお堂が建っており,江島の集落の北端に位置することから,「北の端の地蔵堂」と呼ばれている。
お堂に祀られているのは鎌倉時代に作られた石仏で、六道に迷う衆生を救う菩薩が本体の周囲に刻まれている。
案内板によると、「北の端の地蔵さんと呼ばれるようになったのは江戸時代からで、縁日の8月24日には参拝者が列をなす程賑わったといわれる。また、白子や寺家などから江戸方面へ行商に出る型紙商人らは、旅の無事を祈り、切ない見送りを受けたところである」と記載されていた。
江島の集落に入る。画像では良く分からないが,街道は直線ではなく,ギザギザに伸びている。防衛のためだと言われている。
江島本町の交差点でいったん海側方向に進み,江島若宮八幡神社に立ち寄る。
江島若宮八幡神社は,明治42年5月に,周辺の社が合祀された神宮で,鈴鹿市の社では2番目に広大な境内を誇る。
多数の絵馬が奉納されているが,江戸時代の71面は,弁財天、武者絵、町絵図、帆前船の図柄で賑やかに描かれ、廻船業で賑わった白子湊の繁栄と信仰が垣間見え,三重県の有形民俗文化財に指定されている。
神社を後に,江島のまちをのんびり南下し,近鉄白子駅に到着。今日はこれくらいにしときます。
近鉄で四日市に戻り,昼飲みだ!(笑)
3週前も痛飲した「大衆酒場 ゑびす」に突撃する。前回は超満員だったが,時間が中途半端なせいか,客は私を入れて2人だけだった。
トラフグてっさ790円でスタート。
トラフグ唐揚げ590円!
いわし刺し390円!
鮭白子バター焼き490円!
しかし,今さらながら,コスパ最強!
前回も発注した,ワタリガニ塩ゆで490円でフィニッシュ!
ハイボール6杯頼んで5000円ちょっと… 素晴らしい! また来ます…
酔っぱらって,ふらっと入ったパチンコ店でパチスロを回したら,北斗が大爆発し,旅費回収(笑)
3週前にも入った「住吉湯」さんにまたしても沈没し,2軒目を物色すると,「骨付鳥かもん」さんが目に留まったので向かうことに。ほぼ満員だったが,何とかカウンター席を確保し,「おやどり」を発注! 歯ごたえがたまりません!
正直,本家丸亀の「一鶴」さんには及びませんが,それでも高いレベルの骨付鳥でした。
大満足で車に戻り,そのまま車内で爆睡… 20時過ぎには寝ていたような(笑)
明日も続きを歩みます。
参考タイム
11/21 | 近鉄四日市駅 7:10 ⇒ 7:35 大宮神明社 7:35 ⇒ 7:50 日永神社 7:50 ⇒ 8:15 日永の追分 8:15⇒ 8:45 河原田神社・忘帰所 8:55 ⇒ 9:35 神戸の見附跡 9:35 ⇒ 10:00 神戸城跡 10:05 ⇒ 10:20 宇氣比神社 10:25 ⇒ 11:00 彌都加伎神社 11:05 ⇒ 11:40 北の端地蔵堂 11:40 ⇒ 11:45 江島若宮八幡神社 11:50 ⇒ 12:05 近鉄白子駅 |
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