−人ごみを掻き分けながら、桜満開の吉野山を満喫−
山行概要
2017年4月16日(日) | |
大峰山脈 | |
晴れ | |
K、私 | |
丹治川駐車場=1:20=吉野水分神社=0:45=金峯山寺=0:05=吉水神社=0:30=丹治川駐車場【2:40】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
桜満開の時期の休日に好天の予報という、願ってもない状況が揃い、昨日、宇治を巡ったばかりが、それに飽き足らず、連れを早朝5時に強制連行し、急きょ吉野に向かうことに。
順調にドライブし、7時前には近鉄吉野駅までやって来たが、すぐ近くの観光駐車場は、この時間で既に満車ということで、駅前から涅槃谷を少し奥に入った駐車場に車を入れる。ここもほぼ満車であった… 駐車料金1日1500円也。
7時過ぎにスタート。車道をそのまま奥に進む。吉野温泉元湯のところで吉水神社への直登路が右に分岐するが、このルートは下りに使うことにし、なだらかな車道をそのまま登っていく。
徐々に目に入るようになってきた、中千本の桜を愛でながら、登り続けると、五郎平の辺りに登り着き、蔵王堂からの参詣道に合流し、さらに登り続ける。
徐々に展望が広がり、目に入る桜の数も増えていく。吉野水分(みくまり)神社の手前の展望台からは、蔵王堂をはじめとする吉野山上と、満開の桜が一望である。
展望台から、平坦な舗装路を少し進むと、吉野水分神社の鳥居が目に入る。
吉野水分神社は、世界遺産の一部に登録されており、大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めており。宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたといわれている。
ご神体として、国宝の木造玉依姫命(たまよりひめのみこと)坐像が、本殿に安置されており、また、本殿、拝殿他の社殿は6棟あり、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼により建造され、重要文化財に指定されている。
ここで引き返し、蔵王堂まで、参道をのんびり下る。
蔵王堂は、役小角が開創した金峯山寺の本殿であり、世界遺産の一部である。山上ヶ岳の大峯山寺本堂(「山上の蔵王堂」)に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれる。高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートルで、木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつ豪壮な建築物である。内陣には巨大な厨子があり、本尊として3体の巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置する。
この秘仏は、山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であり、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されたという。
ラッキーにも、国宝仁王門の大修理のため、今年の4月から約1箇月間、特別公開されており、約7mという大秘仏をじっくりと拝むことができた。
また引き返して、吉水神社へ。神社の手前の広場は「一目千本」の看板が立ち、中千本と上千本の一部が見渡せる、一大眺望ポイントとなっている。
吉水神社も世界遺産の一部で、もとは吉水院とよばれた、金峯山寺の格式高い僧坊だったが、明治初期の神仏分離令発令後、後醍醐天皇、楠木正成を祭神とする神社となった。
後醍醐天皇が南朝の皇居とし、現存する南朝唯一の行宮であるほか、源頼朝に追われた源義経が静御前に弁慶らと身を隠した場所であること、また、豊臣秀吉が花見の本陣としたことなど数多くの歴史的逸話で知られている。
書院(重要文化財)には後醍醐天皇玉座の間や義経潜居の間、太閤秀吉花見の間などがある。
吉水神社の前から九十九折れの急坂を一気に下ると、吉野温泉元湯に降り立ち、スタートの駐車場はすぐ先だ。
車に戻ったのは、まだ11時半前。しかし、下からはこの時間でも続々と車が登ってきており、この駐車場から、はるか下の吉野川沿いまで、数キロにわたる大渋滞になっていた… 早出様々である。
何故か肉が食いたくなり、橿原市内の肉の老舗「福寿館」さんに突入し、昼からビール&焼肉に舌鼓を打ち、運転をKに押し付け、大満足で帰洛した。
参考タイム
4/16 | 丹治川駐車場 7:05 ⇒ 8:25 吉野水分神社 8:40 ⇒ 9:05 休憩 9:20 ⇒ 9:40 金峯山寺 10:20 ⇒ 10:25 吉水神社 10:40 ⇒ 11:10 丹治川駐車場 |
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