大和竜王山

−巨大山城の山に30年振りに登頂!−

  

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山行概要

日 程
2021年4月18日(日)
山 域
下ツ道
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
JR柳本駅=0:15=崇神天皇陵=0:50=長岳寺奥の院=0:20=竜王山(南城跡)=0:25=北城跡=1:05=JR柳本駅【2:55】

記録文(写真はクリックで拡大)

 またも外出したくなる。とりあえず電車に飛び乗り、途中で行き先を決めるというええ加減さ…
 久しぶりに大和竜王山に登るか。と言うことで、近鉄で桜井まで行き、JRに乗り換え、柳本駅へ。

黒塚古墳 7:08

 駅から真っ直ぐ東に進んで行くと7年前に歩いた上ツ道と交差し、その先に黒塚古墳が現れる。
 黒塚古墳は、4世紀初頭に築かれた全長約130mの前方後円墳で、33面の三角縁神獣鏡が、ほぼ埋葬時の配置で出土したことで知られる。
 戦国期には城として利用され、江戸期には、柳本藩の陣屋に取り込まれ、濠が活用された。

目指す竜王山 7:12

 さらに東へ進み、県道51号線を横断、崇神天皇陵の北側を進んで行く。
 正面にはこれからたどる竜王山が一望だ。

崇神天皇陵 7:20

 山の辺の道に合流し、崇神天皇陵の後円部に沿って南へ進む。
 崇神天皇陵は、柳本古墳群を代表する4世紀初頭の古墳で、墳丘長242m、全国16位の巨大な前方後円墳である。
 崇神天皇の陵に治定されているが、その規模から、初期ヤマト王権の大王の墓であることは間違いないだろう。

長岳寺奥の院の不動明王像 8:10

 崇神天皇陵を過ぎた少し先で、東に林道が分岐し、「竜王山4km」の分岐が立っている。しばらくは静かな谷沿いの林道をゆるやかに登って行く。
 しばらく進むとやがて山道となり、本格的に登って行く。シダが多いじめじめした道だ。ところどころ、石棺が露出しており、竜王山古墳群の中を進んでいることを体感する。
 竜王山古墳群は、円墳と横穴墓が各300基以上、合わせて600基以上と言われており、奈良県下最大級の古墳群である。6世紀から7世紀にかけて大量に築造された。
 さらに登って行くと、長岳寺奥の院への分岐が左に分かれるので、寄り道する。
 奥の院には、特に建築物が建っている訳でもなく、不動明王像が静かに佇んでいた。  元徳2年(1330年)の年号施主名が刻まれており、重文級の石仏らしい。
 分岐に戻り、さらに登ると、林道に合流。五叉路になっており、すぐ右横のダート道に入り、まずは竜王山の山頂を目指す。

竜王山山頂の展望 8:31

 柳本竜王社のすぐ先で、山頂に向かう道が右に分岐するので、一気に山頂へ。何と30年振りの登頂である。
 西側が開けており、奈良盆地が一望である。

てんぐ岩展望台からの展望 8:38

 分岐に戻り、そのまま直進すると、てんぐ岩展望台があり、これから辿る北城跡と奈良盆地が良く見える。
 藤井田竜王社を過ぎると、先ほどの五叉路に戻ってきた。北城跡に続く車道に進む。
 馬池を過ぎた少し先に、北城跡への分岐があり、急な山道を一気に登ると北城跡に到着。

北城本丸跡 9:00

 竜王山城は、高取城と並び、大和国を代表する山城で、大和国五大豪族の十市氏によって中世に築かれた。
 北城は南城より標高で約60m低いが、平坦地形に恵まれ大きい曲輪取りが可能であったため、こちらが本城で、南城が詰め城であったと推定されている。
 太鼓丸と巽櫓曲輪の2つの曲輪の間には、はっきりした虎口が残っており、往時を偲ばせた。
 五叉路に戻り、長岳寺に直接降りる山道で一気に下山。あっと言う間に柳本駅に帰還し、天理で近鉄に乗り換え、ソッコー帰宅した。 






参考タイム

4/18JR柳本駅 7:057:20 崇神天皇陵東側 7:208:10 長岳寺奥の院 8:108:30 竜王山(南城跡) 8:359:00 北城跡 9:0010:05 JR柳本駅

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