−まさに岩の要塞! 岩石を取り入れた名城を攻略!−
山行概要
2022年5月5日(木(祝)) | |
苗木城跡 | |
晴れ | |
単独 | |
苗木城跡P1駐車場=0:05=大矢倉跡=0:05=本丸跡=0:10=苗木城跡P1駐車場【0:20】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
苗木城は、天文年間(1532−55年)に、この辺りを治めていた遠山直廉によって築かれたとされる。
遠山氏は、信長と姻戚関係を結ぶなど、織田方についたが、苗木城跡はその位置から、武田・織田の争いに巻き込まれ、織田方の最前線となった。
「本能寺の変」以降は、森長可に城を奪われ、当時の城主、遠山友忠は徳川家康を頼って落ち延びた。苗木城には、城代として河尻秀長が入った。
その後、「関ケ原の合戦」の際に、家康のもとに逃れていた友忠の子、遠山友政が河尻秀長から苗木城を奪い返し、家康が領土を安堵したため、遠山氏は苗木藩主として、幕末まで苗木の地を治めることになり、苗木城は明治4年(1871年)に廃城となるまで、遠山氏12代の居城として用いられた。
苗木藩はわずか1万石のギリギリ大名であり、1万石で城持ちだったのは、遠山氏のみだったらしい。そのため、城の維持が大変だったとのこと… よ〜明治まで残りましたね…
駐車場から少し登ると、足軽長屋跡があり、展望台となっていて、本丸を一望できる。岩そのものにしか見えない、凄い姿だ…
さらに進むと、三の丸跡に入り、入口付近に大きな石垣が… これが大矢倉跡で、かつて2重3階の櫓が建っており、場内で最大の建物だったようだ。
内部は倉庫として使用されていたらしい。
大矢倉跡の石垣の上に登ってみる。本丸が真正面だ。
左後方には、恵那山の雄大な姿も見える。
いよいよ本丸跡に取り付く。大きくジグザグを切って登っていくので、見た目ほどの傾斜は感じない。
坂下門跡や、本丸口門跡等を経て、いよいよ展望台の建つ天守跡へ。
苗木城の天守は2つの大岩にまたがるように建てられ、3層となっていた。
現在は展望台が建てられているが、旧天守の礎石がそのまま使われている。
ここからの展望は雄大。恵那山と木曽川の構図が完璧すぎる。
ほぼ真下に大矢倉跡が見下ろせる。
帰路は、二の丸跡を巡ってから、駐車場へ戻る。
なかなかに個性的な城でした…
参考タイム
5/5 | 苗木城跡P1駐車場 4:50 ⇒ 4:55 大矢倉跡 5:00 ⇒ 5:05 本丸跡 5:20 ⇒ 5:30 苗木城跡P1駐車場 |
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