−里山と歴史の街ハイク−
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山行概要
2002年11月28日(木) | |
東播台地 | |
晴れ | |
単独 | |
神鉄緑が丘駅=0:10=雄岡山=0:15=大皿池=0:15=雌岡山登山口=0:10=雌岡山=0:05=姫石神社=0:10=愛宕山=0:40=神鉄志染駅【1:45】 |
記録文
山登りの範疇には入らないのかも知れないが、播州の小山の雄岡、雌岡山に向かう。わざわざ京都から足を運ぶわけは、@播州三木(特に三木城跡)のまち歩き、AJR(京都〜大阪)の定期を持っている という誠に山には失礼な話である。
家でのんびりしていたら、出発が遅くなって、新開地に着いたときには10時を回っていた。おまけに神鉄では寝過ごしてしまい、緑が丘で降りるつもりが、気が付けば3つも先の恵比寿駅だった。そんなこんなで緑が丘をスタートしたのは11時過ぎになってしまっていた。山自体は速攻で終わりそうだが、この後三木に何としても寄りたいので、結構あせり気味。
まずは目の前の雄岡山へ。道標は全く見当たらない。県道から住宅地へ入る分岐付近でキョロキョロしていたら、近所の犬の散歩中のおっちゃんが「雄岡はあっちや」と教えてくれた。
最奥の住宅脇から林の中に小道が続いており、しばらく山裾を進むと、直角に山手に向かっている分岐(ここにも道標はない)が現れたので、ここを右折し、一気に登りだす。と言ってもわずか200m余りの小山であるからして、あっけなく広場風の山頂に飛び出す。
ピークには一等三角点が鎮座しているが、展望は不良。わずかに林越しに明石方面が見えるのみ。
登ってきた方角とは反対側の小道を拾い、暗い林の中をこれまた一気に下ると、民家の前に出、舗装路を右折すると広い県道に飛び出す。しばらくこの車道を進む。右側に大皿池という釣堀がある。
ここからの雄岡山は端正という形容がぴったり。
金棒池バス停を右折するとすぐに車止めのゲートが現れる。ゲート前には今日初めて見る道標が立っている。このゲートをまたぎ、舗装路を登る。傾斜がきついので一気に汗が噴出す。視界が開けてくると辺りは背の低い梅林となる。さらに車道を登ると広い駐車場に出て、その奥が雌岡山山頂の神出神社である。
神社の南側は展望台風になっており、明石大橋と淡路島が望める。ぐるっと境内を一巡し、北側下の裸石神社、姫石神社にも寄り道してから、先程の駐車場まで戻り、古神への道標に従い、左折し、急坂を下る。
ゆるやかに登り返したところが祠の立つ愛宕山で、ここからまた下ると半鐘の立つ集落に出て、ここで「山登り?」は終了、以後タルい車道歩きを神鉄志染駅まで小1時間耐える。
志染駅では電車が行ったところだったので、駅前の回転寿司で時間を調整してから、三木へ。駅から美嚢川を渡り、本町の観光協会に寄り、マップ等を入手してから、最初に別所宗治の首塚へ。
秀吉の城攻め当時の三木城主だった宗治は若干23歳にして篭城者の安全と引き換えに見事に自刃した男である。
宗治に後を託された住職がいた隣の雲龍寺を見てから、いよいよ三木城跡へ。
本丸跡の周囲は稲荷社や保育所になっていたが、本丸跡には石碑と新しく宗治の石像が立っていた。ここから三木市街と美嚢川をぼんやり眺める。なかなか良い街です。
城跡から坂を下り、神鉄の三木上の丸駅に出て、有馬温泉に続く湯の山街道と言われた古い街道を歩く。古い町屋が各所に残っていて、ちょっとしたタイムスリップ気分を味わう。楽しんで歩いていたら、あっけなく街並みは途切れ、そこは恵比寿駅前だった。
ちょうど来た新開地行きの準急に乗り込み、三木を後にした。新開地からは新快速に座るため、JRの神戸駅まで歩く。途中、湊川神社に立ち寄る。実は初めての参拝で、自称ニセ右翼としては恥ずかしいかぎりであった。
参考タイム
11/28 | 神鉄緑が丘駅 11:05 ⇒ 11:15 雄岡山 11:25 ⇒ 11:40 大皿池 11:40 ⇒ 11:55 雌岡山登山口 11:55 ⇒ 12:05 雌岡山 12:15 ⇒ 12:20 姫石神社 12:30 ⇒ 12:30 愛宕山 10:55 ⇒ 13:10 神鉄志染駅 13:40 ⇒ 13:55 神鉄三木駅 14:00 ⇒ 14:55 神鉄恵比寿駅 |
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