−大阪のディープ過ぎるエリアを散歩してからの朝呑み&スロット三昧(笑)−
山行概要
2023年4月20日(木) | |
大阪市街 | |
晴れ | |
単独 | |
大阪メトロ西田辺駅=0:15=北畠公園=0:20=阿倍野神社=0:05=天下茶屋跡・天神森天満宮=0:05=天下茶屋公園=0:25=大阪メトロ動物園前駅【1:10】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
年度当初の人事異動も落ち着いたので、年休消化(笑)
前夜は宴会で痛飲したが、何とか始発で出撃(笑)
本日の目的は、スマスロ「北斗の拳」(笑) 一世を風靡した初代北斗を最大限再現してあるので、物凄い人気振りで、導入から2週間経った今でも、台の確保は並ばないと無理そう… 関西では最大級の設置数を誇る「マルハン新世界店」の整理券配布時間の9時半まで周辺を散歩してから、景気づけに一杯引っ掛ける(笑)ことにした。
いつも参考にさせてもらっている「大阪あそ歩」のサイトで新世界に近いコースを適当にチョイスし、大坂メトロ御堂筋線の西田辺駅で下車。
適当に北西方面へ進むと、こじんまりとした北畠公園があり、園内へ。
園内奥には伝北畠顕家墓があり、ここから西の地に鎮座し、顕家を祀る阿倍野神社の御旅所となっている。
北畠顕家は「神皇正統記」を著した北畠親房の長男で、13歳で左中弁となり、15歳未満で弁官に任ぜられるという先例を開き、14歳で参議で左中将を兼ねるという空前の速さで昇進した。これには北畠家が後に南朝の皇位を継承する大覚寺統と深い繋がりがあったためと言われている。
元弘3年(1333年)の「建武の中興」の際、16歳で陸奥守に任ぜられ、義良親王を奉じて奥州を平定した。
延元元年(1336年)、足利尊氏が反逆すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた。この功績により、顕家は権中納言、鎮守府大将軍に任ぜられ、再び奥州に下る。
3箇月後、尊氏が勢いを盛り返し、東上してきたため、奥州から再度上洛。各地で転戦したが、武運尽き、延元3年(1338年)5月22日の早朝、尊氏の執事であった高師直軍1万8千と戦い、摂津国石津(現在の堺市西区浜寺石津町)で戦死したと伝わる。
北畠顕家は、かなりの脚色があるとは言え、公家なのに戦の最前線で奮闘した、南朝方のスーパースターですな…
顕家の墓は、昔、「大名塚」と呼ばれていた塚を、江戸時代の国学者の並川誠所が北畠顕家の墳墓と比定したことで、当地周辺を顕家戦没ゆかりの地として顕彰したもので、明らかな事実誤認としか思えないが、明治維新後、顕家の父親房が著した「神皇正統記」をはじめとする皇国史観が政府によって正当化されていくと、南朝に忠誠を尽くしてきた顕家や、新田義貞、楠木正成らが再評価、神格化されるようになったことから、この伝北畠顕家墓も篤志家などの寄付により、墓地の整備などが図られ、現在に至っている。
公園から西に進み、路面電車の阪堺電軌上町線が通る熊野街道(古道)に合流、南下すると東側に源正寺が建つ、
源正寺は、貞享4年(1687年)、祐天上人(増上寺36世法主で、江戸時代を代表する呪術師)により、現在の大阪上本町駅附近に開山され、その後、寛政年間(1789−1801年)まで荒廃していたが、紀州藩の家老の援助を受け再興された。
徳川慶喜が大政奉還直後に来阪した際には、市中取締のため、新選組の屯所がここに置かれた。
大正14年(1925年)、大阪上本町駅建設に伴い、当地に移転した。
楼門は、明治22年(1889年)の建築で、寺移転の際に移築された。木造、入母屋造、瓦葺き、初重袴腰を塗込める竜宮造という珍しい形式の楼門で、大阪大空襲の際にも焼け残り、登録有形文化財に指定されている。
源正寺から南に少し進むと阪堺電軌の北畠駅があり、右折し、西に進む。北畠駅周辺は、大阪でも有数の高級住宅地のようだ。
住吉高校を横目に見ながら西へ進む。グラウンドの一角に「岸の姫松」と呼ばれる五本松がある。街道沿いに景観や防風のために植えられた松が残っているもので、1本は立ち枯れし、現在は四本松だが、地元の人は今でも「五本松」と呼んでるらしい。
さらに西に進むと、坂になった。「阿倍野七坂」というものがあるらしく、その一つの「やしろ坂」と言うらしい。「天王寺七坂」は知っていたし、以前に歩いたことがあったが、「阿倍野七坂」は知りませんでした。
坂を登って左折し、少し進むと、阿倍野神社の東参道入口があり、境内へ。
街中にあるとは思えない、広々とした境内が高台に広がっている。
阿倍野神社の鎮座地は、北畠顕家が足利軍と戦った古戦場であるとされており、近くには顕家のものと伝わる墓所があったことから、明治維新後、近隣住民による神社創建運動が起こり、明治14年(1881年)1月、御祭神を顕家及びその父である親房とする神社の創建が政府により認められた。
当社は、建武の中興に尽力された天皇、皇子、そして多くの忠臣義士を祀る「建武中興十五社」の一つで、本殿と拝殿は、昭和43年(1968年)の再建である。
境内西側の石段を下って、阪堺電軌阪堺線の踏切を渡ると、紀州街道に当たるので、右折し、街道を北上する。
すぐに街道左側に小園地が現れる。「天下茶屋史跡公園」で「天下茶屋跡」の碑が立っている。
この地は、古代には「天神の森」と呼ばれる鬱蒼とした森が広がる鄙びた土地で、そこに湧く水の良さに着目して茶室を建て、森を切り開いて道をつけたのが、千利休の師に当たる武野紹?であり、以来この地は「紹?の森」とも呼ばれるようになった。
その後、天正年間(1573−92年)には、楠木正行(正成の嫡男)の十世孫であるという初代芽木小兵衛光立が、この森の西側を開き、茶屋を出した。そして三代目芽木小兵衛昌立の時、住吉神社を参拝した豊臣秀吉がこの地に立寄り、清泉を汲んでお伴の利休に茶を点てさせたところ、味の良さに感激し、この泉に「恵の水」の銘と、芽木家に玄米年三十俵の朱印を与えたという。この故事から関白殿下の「殿下茶屋」、天下人の「天下茶屋」などと呼ばれるようになったらしい。
天下茶屋跡から紀州街道を挟んで反対側には、「紹?の森」の名残を思わせる森があり、天神森天満宮の境内となっている。
境内に入ってすぐに、石造の供養塔が立っている。
天下茶屋の仇討を供養したもので、宇喜多秀家の家臣、林玄蕃が、家中の長船紀伊守との争論が原因で、慶長5年(1600年)9月2日夜、紀伊守の腹心、当麻三郎右衛門のために闇討ちにあったのが事件の発端である。
玄蕃の子、重次郎と源三郎の兄弟は当麻を尋ね求め苦心の末、当麻が伊藤将監と変名して、大野治長の家来となっているのを尽き止めた。兄の重次郎は病態のため無残にも返り討ちにあったが、弟の源三郎は家来の鵤幸右衛門の助力によって、慶長14年(1609年)3月3日、この地で首尾よく父と兄との仇を討ったという。
この事件は、話が出来過ぎており、実在しなかったという見解が一般的であるらしいが、江戸時代の代表的な仇討ちの一つとして有名になり、これを歌舞伎化した「敵討天下茶屋聚(かたきうち てんがぢゃや むら)」は人気演目の一つとなった。
天神森天満宮は、応永年間(1394−1428年)に北野天満宮から菅原道真の分霊を勧請し、創建された。
社殿の東側に「子安石」と呼ばれる霊石があり、安産の御利益があると参拝者で賑わったので、別名を子安石天満宮と呼ばれる。
秀吉も、淀殿懐妊時、安産祈願のために参詣したらしい。
さらに紀州街道を北上すると、左側に割と大きな公園が目に入る。これが天下茶屋公園で、園内に柵で囲まれた、阿部寺五重塔の心柱礎石があった。
阿倍寺は、かつて阿倍野区の松崎町二丁目付近にあった奈良時代前期に創建された寺院で、四天王寺の末寺であったと考えられている。
礎石も当然ながら現地にあったが、旧高津邸の敷地に移され、その後、土地が大阪市に寄付、天下茶屋公園になった。
花崗岩の礎石には中央柱穴があり、その中にはさらに舎利穴が掘られている。
またこの地は、近江の薬屋是斎(ぜさい)屋の一族が、手広く薬屋を開いていた所で、「是斎屋の和中散(わちゅうさん:江戸時代に時候あたりや風邪などに利くとして諸国に流布した薬)」として知られ、紀州街道に面していたこともあり繁盛したという。
後は、ひたすら北へ歩くのみ。次第に周りの光景がディープになってくる。簡易宿泊所が多数目立つようになり、路上でカップ酒をあおるおっちゃんらが多数(笑)…
8時前に動物園前駅に到着。私も連られ朝呑みをと、堺筋を少し下った「マルフク 本店」さんへ。
何と、8時から営業の激安ホルモン店だ。何と既に先客が一名(笑)… 私の後も続けて入店する者がおり、朝8時から既に客が5人(笑)…
まずは、定番のホルモン190円でスタート! 瓶ビール大瓶は490円(笑)… 驚愕の西成価格だ(笑)… 一味とニンニクすりおろしが添えられているのも私好みだ。朝から思う存分ニンニクを摂取する。
衝撃の価格表(笑)… 部位の種類も凄い…
続いて、豚アブラ190円! 脂が甘い! ビールが進む…
煮玉子100円からの…
豚ココロでフィニッシュ! しこたま呑みましたが、お会計2000円しませんでした(笑)…
予定通り、9時半に「マルハン新世界店」の整理券配布に並んだが、まさかの126番目(涙)… アホらしくなり、最近、私の基地と化している京橋へ移動、ちょうど開店直後だった京橋会館の「ジェネシス」さんを覗いてみると、何と、北斗に空きがあった!
「立ち呑み天ぷら 魚漁 京橋店」さんでやけ酒@! 15:17
北斗を打つこと5時間… 初当たりが浅く、多分高設定台だとは思うが(AT終了時にアミバのボイスが出たし…)、継続しないのだ… 最後は3連続単発(北斗あるあるですが…)で心が折れ、席を立つ。5時間打ち続けて、+2000円(笑)…
収まらないので、「魚漁」さんでやけ酒をあおる。鰆の刺し!
「立ち呑み天ぷら 魚漁 京橋店」さんでやけ酒A! 15:22
続いて、鰯の刺しも発注!
「立ち呑み天ぷら 魚漁 京橋店」さんでやけ酒B! 15:28
「魚漁」さん名物の天ぷら。エビ、キス、イカ、タコに稚鮎!
酔っぱらうと、また北斗を打ちたくなり、店に戻ると、さっきの台は埋まっており、別の台が1台だけ空いていた。
2000円に入った直後、画面が消えた! まさかのロングフリーズを引いてしまった。設定1で1/85592.7の確率らしい(笑)…
白BARが揃い、継続率94%の無想転生バトルに直行する。
単発だけはヤメて… と祈りながら打つが、最初のボーナスでまさかの剛掌波炸裂! ケン倒れて敗北… 終わったと思ったら、リンで復活! あー心臓に悪い…
結局、順調に伸び、27連で終了。無想転生バトルの期待値は2500枚とのことなので、まずまずか…
無想転生バトルの破壊力はなかなかです。即ヤメし、本日の収支8万円オーバーで、意気揚々と帰宅しました〜
参考タイム
4/20 | 大阪メトロ西田辺駅 6:25 ⇒ 6:40 北畠公園 6:40 ⇒ 7:00 阿倍野神社 7:00 ⇒ 7:05 天下茶屋跡・天神森天満宮 7:10 ⇒ 7:15 天下茶屋公園 7:15 ⇒ 7:40 大阪メトロ動物園前駅 |
山行データへ
諸国名山探訪
Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved