鞆の浦・仙酔島散策

−連日の朝呑みからの鞆の浦散策−

   

山行概要

日 程
2017年11月26日(日)
山 域
鞆の浦・仙酔島
天 気
曇り
メンバー
C、私
コースタイム
鞆の浦観光情報センター=0:20=安国寺=0:15=沼名前神社=0:20=保命酒岡本亀太郎本店=0:05=常夜燈・いろは丸展示=0:05=福禅寺=0:05=平成いろは丸渡船乗場【1:10】
仙酔島渡船乗場=0:20=御膳山=0:15=仙酔島渡船乗場【0:35】

記録文(写真はクリックで拡大)

 尾道・鞆の浦旅行の2日目(昨日の尾道七佛めぐりはこちら)。
 朝風呂に入ったりとのんびりしたので、JR福山駅前から鞆の浦行きのバスに乗ったのは9時40分。鞆の浦観光情報センター(ともてつバスセンター)に10時過ぎに到着。尾道と同様、鞆の浦も24年振りの再訪となった。
 さすがに昨日の尾道の「しみず食堂」さんのように10時から呑める店は鞆の浦にはなく、昼前まで散策しようと思っていたが、何と、観光センター内に「魚壱」という鮮魚店があり、しかもイートインスペースもあるではないか!
 冷蔵ケースを覗いてみると、クロギやタイの刺身が… しかも店主は鯛めしを調理中… これは呑むしかない!(笑)

「魚壱」さんで今日も朝っぱらから昇天! 10:18

 クロギ(ウマヅラハギ)の造りは、肝が応えられない! 鯛めしも最高! 暖房が利いていないが、ビールが進む…
 本日も朝から昇天! 最高! しかし、何とも怠惰な旅だ…(笑)
 この日も散策の決行が危ぶまれたが、何とか気を取り直して、散策モードへ。まずは北へ歩き出す。

安国寺釈迦堂 11:20

 安国寺下バス停を左折すると、正面に安国寺が見えてくる。
 安国寺は、文永10年(1273年)に無本覚心が金宝寺(安国寺の前身)を創建し、何度か寺運が衰えたが、足利尊氏や安国寺恵瓊らにより再興された。
 釈迦堂は国の重要文化財に指定されている。
 安国寺から、正法寺、慈徳院と寺が建ち並ぶ路地を抜け、本願寺の前で右折し、急な坂道を登ると、沼名前(ぬまくま)神社に到着。

沼名前神社境内からの仙酔島 11:44

 沼名前神社社伝では渡守神社(現沼名前神社)の創建に関して、第14代仲哀天皇2年(193年)に神功皇后が西国に向かった際、当地の霊石に綿津見命を祀り海路安全を祈ったことに始まるという。そして帰途に際し、綿津見命の前に「稜威の高鞆(いづのたかとも。鞆は弓具の1つ)」を奉じたことから、「鞆」の地名が起こったという。
 また、境内には、桃山時代の能舞台が建てられている。元は伏見城内にあって豊臣秀吉も愛用したという組立式の舞台であり、福山藩初代藩主の水野勝成が現在の福山城伏見櫓等とともに徳川秀忠から拝領し、福山城に移設し、その後、3代藩主の水野勝貞が沼名前神社に寄進した後、現在の固定式に改造された。
 組立式の様式は随所に見られ、各部材には番号・符号が振られており、戦場にも持ち運べるものであるとされ、桃山時代の特徴を持つ貴重な能舞台であるとして、国の重要文化財に指定されている。

保命酒岡本亀太郎本店 12:06

 保命酒は、桂皮などの薬味十六種を味醂酒に漬け込み、じっくりと成分を侵出させてつくる薬味酒(和製リキュール)で、備後福山藩時代から鞆の浦の名産である。
 ペリー来航の際、老中首座であり福山藩主でもあった阿部正弘が、幕府接待酒として保命酒を使用した記録が残っている。
 この岡本亀太郎本店の蔵元直営店舗は、かつて福山城内にあった長屋門で、福山城が明治6年(1873年)廃城となり、民間払い下げを行っていた城内の建物の一部を譲り受け、海路を船により運び、現在の地に移設されたもので、福山市指定の重要文化財となっている。

鞆の浦のシンボル常夜燈 12:21

 海上交通の安全を支えたのが、この常夜燈で、安政6年(1859年)の建造。
 常夜燈のほか、江戸期の港湾施設である雁木、波止場、焚場跡、船番所跡がほぼ完全な形で現存しているのは、全国でも鞆の浦だけらしい。
 龍馬ゆかりの「いろは丸展示館」に立ち寄り、福禅寺へ。

福禅寺本堂 12:45

 福禅寺の創建は、平安時代の950年頃、空也による創建と伝えられる。
 この本堂よりも、隣の客殿の対潮楼の方が、余りにも有名である。

福禅寺対潮楼 12:47

 対潮楼からの仙酔島。 ちょうど柱と桟で額縁のように景色が切り取られる光景は、これも鞆の浦のシンボルである。
 対潮楼は、本堂とともに、元禄7年(1694年)の建立。江戸時代を通じて朝鮮通信使のための迎賓館として使用され、日本の漢学者や書家らとの交流の場となった。正徳元年(1711年)に従事官の李邦彦が客殿からの眺望を「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)」と賞賛し、延享5年(1748年)に、正使の洪啓禧が客殿を「対潮楼」と名づけた書を残している。
 境内は「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されている。

平成いろは丸で仙酔島へ 13:10

 福禅寺の向かいの渡船乗場から仙酔島へ。20分ごとの運航で、僅か5分で仙酔島へ。
 大抵の人は、歩いて30分ほどの五色岩まで行くようだが、天気ももう一つだし、近くの御膳山の展望台までで止めておく。

御膳山山頂 13:35

 山と言っても標高は僅か20m(笑) それでも対岸の鞆の浦が一望できる。
 歩き疲れたので、すぐ近くの国民宿舎「仙酔島」でひと風呂浴びることに。

国民宿舎「仙酔島」の露天風呂 14:08

 海水を沸かした「海水風呂」がウリらしい(笑)が、風呂は私の独占だった。
 海水風呂はぬるく、よもぎ風呂のよもぎパックは全く匂いもしないし、おまけに水風呂はゴミが浮きまくりで、「ここ大丈夫か?」と思ってしまうボロさであった…
 鞆の浦に戻り、またバスで福山へ。17時に予約していた夕食まで1時間ほどあったので、福山城へ。ここも24年振りである。

福山城 15:54

 堂々たる日本100名城。しかし、層塔型天守の極致といった逓減率の低い天守は、どうもボテッとして好きになれないな〜
 とは言え、天守からの眺望を十分に堪能し、予約していた「はりま茶屋」さんへ。

「はりま茶屋」さんでこの日も撃沈…@ 17:14

 鞆の浦で朝も食したクロギをまた注文してしまう。ダメだ肝の虜になってしまいそう…

「はりま茶屋」さんでこの日も撃沈…A 17:34

 タラ白子。日本酒が進む…

「はりま茶屋」さんでこの日も撃沈…B 17:36

 続いて、アナゴの刺身。甘い…

「はりま茶屋」さんでこの日も撃沈…C 17:39

 シャコの焼き。茹でではなくて、焼きは初めて食べました。見た目のグロさと旨さの反比例振りが凄すぎる!

「はりま茶屋」さんでこの日も撃沈…D 17:48

 最後は、巨大しいたけ焼きでフィニッシュ! 何の反省もなく、この日も意識不明のまま、福山駅に戻り、18時59分発の「のぞみ56号」で帰洛の途に。
 乗り過ごすことなく、20時16分には京都に戻ってこれた。終始、酔っ払いまくりの情けない2日間だった…

参考タイム

11/26鞆の浦観光情報センター 11:0011:20 安国寺 11:2511:40 沼名前神社 ⇒ 11:4512:05 保命酒岡本亀太郎本店 12:1512:20 常夜燈・いろは丸展示館 12:4012:45 福禅寺 13:0513:10 平成いろは丸渡船乗場 13:1013:15 仙酔島渡船乗場 13:1513:35 御膳山 13:4514:00 仙酔島渡船乗場

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