和歌浦散策

−ほとんど歩いていない(笑) ただの酔っぱらいの和歌山旅−

   

山行概要

日 程
2022年5月29日(日)
山 域
和歌浦
天 気
晴れ
メンバー
F、私
コースタイム
和歌浦バス停=0:05=玉津島神社=0:20=紀州東照宮=0:05=和歌浦天満宮=0:05=権現前バス停【0:35】

記録文(写真はクリックで拡大)

 5/28 晴れ

 和歌山呑んだくれの1泊2日の旅を企画し、連れを無理やり連行。
 和歌山までなのに特急「くろしお3号」にわざわざ乗り込み、10時過ぎに和歌山到着。

JR和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑み@! 10:13

 慣れた足取りで「多田屋」さんに向かう。朝9時からやってる酒屋直営の素晴らしいお店だ。
 私はもう5回目くらいですかね…
 メニューが多過ぎ(笑) 全部見るだけでも一苦労。

和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑みA! 10:15

 馬のたてがみ。脂が甘い〜

和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑みB! 10:19

 刺身3種盛〜 イカ、ビントロ、赤身〜

和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑みC! 10:34

 ニンニク炒め〜

和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑みD! 10:36

 餃子(笑)

和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑みE! 10:56

 定番、ポテサラ〜

和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑みF! 10:59

 ニラ玉子炒め。さすがに食べ過ぎ(笑)

和歌山駅前の「多田屋」さんで朝呑みG! 11:19

 ごぼう唐揚げ。完全に食欲暴走(笑)
 酒屋が経営しているだけあって、日本酒の種類も豊富で、いきなりの痛飲(笑) ロケットスタートが決まった…
 しかし、これくらいでは我々は飽き足らない(笑) ハシゴ酒のために「けやき大通り」を西へ向かう。

「熱帯酒場」さんをハシゴ@! 12:11

 先月も行った「熱帯酒場」さん。朝8時から呑める(笑)奇跡の食堂である。
 爽やかに(笑)、コロナでリスタート!

「熱帯酒場」さんをハシゴA! 12:12

 あっさりと、タイのセロリ漬け〜

「熱帯酒場」さんをハシゴB! 12:22

 これだけ飲み食いしてからの、ゴリゴリキーマカレー(笑)
 超スパイシーで、余裕で腹に収まりました(笑)

「熱帯酒場」さんをハシゴC! 12:30

 ド定番の麻婆豆腐。痺れました…
 2軒目終了〜 さすがに腹ごなしと言うことで、和歌山城までフラフラと歩く。

和歌山城へ 14:35

 本丸御殿跡からの、連立天守群。定番ショットです。
 完全に酔っぱらっているので、山上の天守へはキツかった…
 復元された御橋廊下を渡って、西の丸から城外へ。予約したアパホテルのある街中へ向かって、北に進む。

「山為食堂」さんの中華そば 15:08

 偶然、「山為食堂」さんの看板が目に入ってしまった。吸い込まれる他ない… 初入店です。
 名物、中華そばをオーダー。正統派和歌山ラーメンでした。

和歌山ナイトは「きく」さんで@! 18:14

 ホテルで仮眠後、予約していた「きく」さんへ。全くお腹減ってない(笑)…
 ここも先月来て気に入ってたのだ。ビールとキャベツ串刺しの付き出しで無理矢理スタート!

和歌山ナイトは「きく」さんでA! 18:19

 うだまとしいたけで串スタート!

和歌山ナイトは「きく」さんでB! 18:25

 すごもり! うずら卵をミンチで包んだ一品。巣の中に入ってる卵のイメージらしい…

和歌山ナイトは「きく」さんでC! 18:28

 つくね! 定番の旨さ。

和歌山ナイトは「きく」さんでD! 18:29

 前回食べられなかった、もも唐揚げをチョイス! 皮パリッパリッで中はジューシーと絶妙の揚げ具合。腹いっぱいでも完食!
 こうしてグダグダな和歌山旅行の1日目が終わった。

 






   

 5/29 晴れ

 グダグダ和歌山の旅2日目。南海和歌山市駅9時58分発の和歌山バスで、マリーナシティに向かう。
 バスは10時半過ぎにマリーナシティに到着し、黒潮市場へ。浜焼きBBQ場は11時からの営業なので、しばし市場内を偵察する。板ウニあるな〜 今日も昼前から呑む気満々である(笑)

黒潮市場の浜焼きBBQで今日も昼呑み@! 11:17

 11時前からBBQ席確保の行列に並び、無事に海沿いの席をゲット。食材を調達し、BBQスタート!

黒潮市場の浜焼きBBQで今日も昼呑みA! 11:17

 板ウニは外せない。3000円くらいでした。

黒潮市場の浜焼きBBQで今日も昼呑みB! 11:18

 鯛の造り。BBQなのに、生ものばっかり(笑)

黒潮市場の浜焼きBBQで今日も昼呑みC! 11:29

 ようやく焼きを開始。結局一番旨かったのは、魚介ではなく、渦巻きソーセージでした(笑)
 この日もお昼から腹いっぱい、酔っぱらい(笑)
 バスで紀三井寺まで移動する。

紀三井寺へ 13:45

 紀三井寺の正式名称は金剛宝寺だが、紀三井寺が一般的な呼び名になっている。伝承によれば、宝亀元年(770年)、唐の僧・為光が、日本各地を行脚していた時、山腹に現境内が位置する名草山の山頂から一筋の光が発せられているのを見、光の元をたどって名草山に登った為光は、そこで金色の千手観音を感得した。為光は自ら十一面観音像を彫刻し、胎内仏としてその金色千手観音像を奉納し、草堂を造って安置し、千手観音を秘仏として納めたのが紀三井寺の始まりであるという。
 名草山に三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)があることから「紀三井山」という山号になったといわれている。
 平安時代末期には後白河法皇によって当寺は勅願所と定められ、以後隆盛を極めたらしいが、以降の歴史は、天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州征伐の際に、寺領とともに書物も処分されて失われたので、不明である。
 江戸期に入り、和歌山城主の浅野幸長、次いで和歌山に入った紀州徳川家初代の徳川頼宣によって、所領が寄進され、寺運は一定回復することとなった。
 画像の楼門は、永正6年(1509年)の再建で、三間一層入母屋造。国指定の重要文化財である。
 楼門をくぐると、「結縁坂」という231段の急な石段で本堂に向かうことになるが、酔っぱらっている我々はギブアップし、2箇月前に完成したばかりのケーブルで山上伽藍へ。
 ちなみに「結縁坂」という名は、紀伊國屋文左衛門が若い頃、母を背負って紀三井寺にお詣りをしていた時、和歌浦湾を間に挟んで紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」と出会い、二人は結ばれた、という話が由来となっている。後に、文左衛門は玉津島神社宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って豪商となった。

紀三井寺境内からの眺望 13:57

 境内からの眺望は良好。さっきまでいたマリーナシティも望める。

紀三井寺本堂 14:10

 本堂は、宝暦9年(1759年)の再建で、入母屋造本瓦葺き、柱間は正面側面とも五間で、千鳥破風を付し、正面には唐破風形・三間の向拝を設ける。
 和歌山県指定の有形文化財である。
 「結縁坂」を下り、再びバスに乗り、和歌浦バス停へ移動。歩いてすぐの玉津島神社へ。

玉津島神社 14:52

 社伝によれば、神功皇后が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、その分霊を祀ったのに始まるという。
 神亀元年(724年)2月に23歳で即位した聖武天皇は、同年10月に和歌浦に行幸してその景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔を発する。これが玉津嶋の初見である。
 その後、天正13年(1585年)に紀伊国を平定した羽柴秀吉も早々に当社に詣でるなど、人々の信仰を集めた。
 本殿は、慶長11年(1606年)、浅野幸長により再建され、その後、徳川頼宣により改築されており、和歌山市指定の有形文化財である。なお、当社を含めて一帯が国指定史跡・名勝の和歌浦となっている。

紀州東照宮へ 15:18

 玉津島神社を後に、西へ歩き、紀州東照宮へ。
 東照宮は雑賀山の山頂部に鎮座し、本殿へは「侍坂」と呼ばれる108段の石段を登らなければならない。
 紀州東照宮は、元和5年(1619年)、徳川家康の十男である徳川頼宣は紀州藩主になると、南海道の総鎮護として東照大権現を祀る東照社の建立を計画し、同年のうちに社殿が起工されると、元和7年(1621年)に完成した。
 本殿には左甚五郎の作といわれている彫刻や、狩野探幽作の壁画があり豪華な造りで、関西の日光とも称された。別当寺として天台宗の天曜寺も建立され、天海大僧正が初代別当に就任している。
 祭神は、当初は東照大権現のみであったが、後に徳川頼宣も合祀されている。

紀州東照宮拝殿の彫り物 15:23

 本殿は、元和7年(1621年)の建立。社殿の建築様式は伝統的な和様を用い、左甚五郎作の彫刻など様々な彫り物で飾る。内外部共に黒漆、赤漆を塗り、複雑な組物や彫刻類には極彩色で彩られた鍍金の飾金具を施している。

紀州東照宮社殿 15:29

 本殿は、代表的な江戸時代初期の建造物で、国指定の重要文化財である。
 また、玉津島神社と同様、一帯が国指定史跡・名勝の和歌浦となっている。
 続いて、西隣の和歌浦天満宮へ。

和歌浦天満宮へ 15:38

 和歌浦天満宮も標高約93mの和歌浦天神山の中腹に位置するため、石段を登る必要がある。
 菅原道真が、太宰府に左遷され、現地に向かう途中、海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊させたが、その際、現在当社が鎮座する天神山から和歌浦を望み、2首の歌を詠んでいる。
 その後、村上天皇の康保年間(964−68年)に、参議橘直幹が大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄り、この地に神殿を建て道真の神霊を勧進して祀ったのが当社の始まりとされる。
 天正13年(1585年)の秀吉による紀州征伐により社殿が焼失するが、後に和歌山城主となった浅野幸長が、慶長9年(1604年)から同11年(1606年)にかけて、新たに天神山の中腹を開墾して社地を造成し、本殿、唐門、拝殿、楼門、東西回廊などを再建した。
 全国に天満宮と称する神社は数あまたあるが、江戸時代の朱子学者で徳川家康のブレーンも勤めた林羅山は、元和7年(1621年)にこの地を訪れると、「太宰府天満宮、北野天満宮とともに、日本の三菅廟の一つである」と述べている。
 石段を登ったところに建つ楼門は、 慶長10年(1605年)の再建で、入母屋造。本瓦葺き、滴水瓦としては初期の例である。軒は二軒扇垂木で禅宗様を取り入れている。一間一戸門としては日本最大級の門であり、国指定の重要文化財である。また、和歌浦天満宮一帯も国指定史跡・名勝の和歌浦となっている。

和歌浦天満宮からの眺望 15:40

 楼門前からは、和歌浦が一望だ。

和歌浦天満宮の唐門・本殿 15:44

 本殿は、慶長11年(1606年)の再建。桁行五間・梁間二間の入母屋造、檜皮葺き。蟇股(かえるまた: 横木(梁・桁)に設置し、荷重を分散して支えるために、下側が広くなっている部材で、そのシルエットが蛙の股の様に見えることから名づけられた)は動物や草花の彫刻で彩られ、建物各所が極彩色で飾られており、国指定の重要文化財である。
 和歌浦一帯の探索を終え、権現前バス停から、和歌山市駅に戻った。

和歌山ラストは「くろしお」さんで宴@! 17:04

 予約していた「くろしお」さんへ。去年も訪れ、印象が良かったのだ。
 カワハギ刺しの肝和えでスタート!

和歌山ラストは「くろしお」さんで宴A! 17:13

 鱧の柳川〜

和歌山ラストは「くろしお」さんで宴B! 17:14

 カンパチ刺し〜

和歌山ラストは「くろしお」さんで宴C! 17:17

 山中に放し飼いされた桃山ケンカ鶏のレバ刺し〜

和歌山ラストは「くろしお」さんで宴D! 17:24

 禁断の○○レバ刺し(笑)

和歌山ラストは「くろしお」さんで宴E! 17:27

 いわしのシソ揚げ。

和歌山ラストは「くろしお」さんで宴F! 17:42

 いわしの団子鍋でフィニッシュ!
 今宵も満腹(笑) これにて和歌山旅終了。大満足で帰宅しました。

参考タイム

5/29和歌浦バス停 14:4514:50 玉津島神社 14:5515:15 紀州東照宮 15:3015:35 和歌浦天満宮 15:5015:55 権現前バス停

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