西飛鳥古墳巡りその2

−先週の消化不良解消のため、2週連続で飛鳥西部の古墳巡りを企てる−

   
<

山行概要

日 程
2023年12月17日(日)
山 域
西飛鳥
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
近鉄橿原神宮前駅=0:15=畝傍山東登山口=0:15=畝傍山=0:15=畝火山口神社=0:10=安寧天皇陵=0:20=益田池堤跡=0:15=新沢千塚古墳群=0:15=宣化天皇陵=0:30=小谷古墳=0:15=益田岩船=0:15=近鉄岡寺駅【2:45】

記録文(写真はクリックで拡大)

 1001回目の山行。先週は古いマップに翻弄され、迷走の挙句、心が折れ、撤退したが、どうにも収まらないので、翌週すぐにリベンジを企図する。
 先週と同様、5時46分発の便で京阪牧野駅を出発し、定期券で行ける丹波橋から、近鉄京都線、橿原線で橿原神宮前駅へ。
 駅構内のドトールコーヒーで朝食を取り、のんびりと歩き出す。まずは北へ、大和三山の一つ、畝傍山に向かう。

池田神社 7:48

 橿原神宮の北参道を横断すると、社叢を切り開いて、戦没者の英霊を慰める若桜友苑があり、その一角に池田神社が鎮座する。
 神社は、古墳時代前期の前方後円墳の後円部に鎮座しており、古来から第4代懿徳(いとく)天皇の皇后陵と伝わり、周辺は「イトクの森」と呼ばれている。
 池田神社は、旧畝傍村の鎮守であり、すぐ西にある東大谷日女命神社の「上の宮」に対して「下の宮」と称ばれた。

畝傍山へ 7:48

 若桜友苑には、航空母艦瑞鶴之碑などが建っており、なかなか見どころが多い。畝傍山も真正面だ。
 広場西端の東大谷日女命神社の前まで進むと、畝傍山への登山道入口があり、登り始める。前回から、ほぼ24年振りの再登だ。

畝傍山山頂からの金剛・葛城山 8:05

 登山道は、近所の散歩道も同然で、あっけなく山頂へ。
 木々の間から、金剛の山並みが望めた。
 帰路は、西側へ降りる。このルートは初見だ。下りも当然あっけなく、山麓へ。
 西登山口には、畝火山口神社が鎮座している。

畝火山口神社 8:20

 畝火山口神社の創建は、不詳である。延喜式神名帳では「大和国高市郡 畝火山口坐神社」と記載される古社で、大和国内の山口社6社(飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無)のうちの1社である。
 文安3年(1446年)の「五郡神社記」には「畝傍山口神社、在久米郷畝火山西山尾」との記載があり、元々から畝傍山の西麓にあったようだが、天正年間(1573−92年)の地図には、畝傍山頂に記されており、文安から天正までの間に山麓から山頂に遷されたことになる。
 昭和15年(1940年)、畝傍山東麓の橿原神宮で大拡張工事が行われた際、橿原神宮や神武天皇陵を見下ろすのは良くないとして、日本政府から、西麓の現地に遷座するよう命じられた。

安寧天皇陵 8:30

 畝火山口神社から西に参道を下り、県道207号線に合流し、南へ少し進むと、右手に第3代安寧天皇陵がある。
 全長120mほどの前方後円墳状の御陵で、正式な御陵名は、畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)と言う。長い…
 この辺りの里人が、アネ山と呼んでいたことから、安寧天皇陵に擬定されたらしい。ホンマかいな…
 県道だが、道幅狭く、車がほとんど通らない207号線を道なりに南東方向へ進んで行くと、今度は、第4代懿徳天皇陵が現れる。

懿徳天皇陵 8:37

 この陵も、正式名称は、畝傍山南纖沙渓上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)…
 里山を陵墓風に改修したもので、宮内庁も「山型」陵墓としている。
 懿徳天皇も欠史8代の天皇らしく、「古事記」「日本書紀」に事績の記載がほとんどない。
 懿徳天皇陵から、さらに県道を南下、橿原神宮西口駅の横で、近鉄南大阪線を踏切で渡り、さらに進むと、高取川に出合う手前の東側に八幡神社が鎮座する。

八幡神社 8:45

 橿原市の西池尻町に建つ八幡神社。こじんまりとした神社ですが、境内はとても清々しい感じがする。
 旧池尻村の村社であるが、創建由緒等は不明。
 境内にある最古のものは、寛政9年(1632年)の刻銘がある石灯籠である。

益田池堤跡からの畝傍山 8:50

 高取川を渡ると、こんもりした丘が見えるが、益田池堤跡の標識が立っていた。
 益田池は、旱魃への備えと土地の開拓のため、高取川に堤防を築いて水の流れをせき止めて作られた巨大な灌漑用の貯水池で、天長2年(825年)に完成した。弘仁12年(821年)に空海が先んじて改修した讃岐の満濃池の技法を取り入れた成果ともいわれている。
 現在は、堤の一部だけが残っており、池の跡地には、橿原ニュータウンが造成された。
 益田池堤跡から、すぐ南の県道133号線に合流し、西へしばらく進む。

新沢千塚古墳群からの畝傍山 9:11

 セブンイレブンを過ぎた少し先から、県道の両サイドに丘陵があり、これが新沢千塚古墳群で、国指定の史跡である。
 新沢千塚古墳群は、東西南北2km四方にわたる丘陵に位置し、径約10〜15mの円墳など、総数600基以上の墳墓が集積する群集墳である。
 これらの墳墓は、4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に、5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られた。ただし、この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていない。

新沢千塚古墳群 9:14

 古墳群一帯は園地になっており、遊歩道も整備されている。
 発掘調査は、度々行われており、武具・馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、中でも5世紀後半の126号墳からは、金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土し、また、火熨斗(ひのし:炭を入れてアイロンとして使用した金属器)が日本で初めて出土したり、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られるローマンガラス製品も出土したりするなど、全国的に大きな話題となった。
 さらに、このガラス品について、蛍光X線分析の結果、化学組成がローマ帝国領内で出土したガラスとほぼ一致することが判明し、日本国内の古墳出土品のガラス器がローマ帝国伝来と裏付けられた初めての例となった。このため、126号墳の出土品は、東京国立博物館に所蔵され、一括して国の重要文化財に指定されている。

宣化天皇陵 9:40

 県道133号線南側の古墳群も鑑賞してから、県道を東に戻り、橿原高校の看板に従い南下すると、大型の陵墓を発見する。
 これが、鳥屋ミサンザイ古墳で、墳丘長138mの大型前方後円墳で、出土物から、6世紀前半に築造されたと考えられている。
 周囲に盾形周濠が巡っているが、古墳の東側は、鳥屋池という灌漑用溜池と一体化している。  この古墳は、宮内庁から第28代宣化天皇の身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)に比定されており、宣化天皇は、継体天皇の第二皇子で、新羅が任那と百済を攻撃した際に大伴狭手彦(さでいでひこ)を派遣し、防衛に当たらせたと「日本書紀」に記されている。

桝山古墳 9:47

 宣化天皇陵の南にも大きな古墳があるみたいなので、さらに南へ、橿原高校の東側を進んで行くと、桝山古墳の一角にたどり着く。
 桝山古墳は、一辺約90m、高さ約15mの規模を誇る三段築成の方墳で、方墳としては日本最大級の規模を誇る。出土した埴輪から、5世紀前半の築造と考えられている。
 航空写真では、一見、前方後円墳に見えるが、幕末に行われた修陵によって改変をうけた姿とのこと。  第10代崇神天皇の皇子である倭彦命(やまとひこのみこと)の身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)に比定されている。

 北に戻り、鳥屋池の南畔を東に進む細道を辿る。緩やかに下っていくと、鳥屋近隣公園に突き当たるので、右折し、橿原ニュータウンの一角である白橿町の閑静な住宅地を南下する。
 道路左側がURの団地になった辺りで右折し、山側に進んでいくと、「→小谷古墳」の道標が現れ、道標に従い、ひと登りで石室の開口部が目に入ってきた。
 これが奈良県の史跡に指定されている、小谷古墳である。

小谷古墳 10:10

 小谷古墳は、貝吹山から北東に延びる丘陵の先端に築かれており、墳丘の流出が激しいため、墳形は不明で、方墳、あるいは円墳であったと考えられている。
 墳丘の規模は30m前後、高さは約8mで、墳丘の大きさに比して背の高い腰高の古墳と言える。
 埋葬施設は巨石を用いた両袖式の横穴式石室で、先週巡った、明日香村の岩屋山古墳と同型の石室である。
 出土遺物は発見されていないが、石室の形状から7世紀に築かれた古墳と考えられている。

益田岩船@ 10:24

 さらにニュータウン内を南に進んでいくと、橿原市の子ども総合支援センターが右手に現れ、その手前に益田岩船への登り口があったので、山中へ。
 けっこう急な山道を5分ほどで、小ピークに登り着き、巨石が目に入ってきた。
 これが益田岩船と呼ばれる台形状の石造物で、東西約11m、南北約8m、最大高約4.7m(北側)と、石造物の多い飛鳥でも最大の大きさである。
 江戸時代には観光地として存在が知られていた。

益田岩船A 10:25

 益田岩船を、誰が、何のために造ったのか、文献など残っておらず全くの不明だが、幾つかの説があげられている。
 1 弘法大師による巨大な石碑の台石  2 星占いをする台座  3 横口式石室の建造途中で、石に亀裂があるため建造を放棄された 等々
 岩の加工法や穴の尺などに古墳時代最末期の特徴が見られるため、7世紀頃の建造と推定されている。
 満足して下り、最寄りの近鉄岡寺駅まで歩いて、本日の探索終了〜

「串かつ でんがな あべのルシアス店」さんで昼呑み@! 12:02

 本日は、京橋ではなく、近鉄南大阪線で阿倍野橋駅に出て、ルシアスの地下へ。
 馴染みの「串かつ でんがな あべのルシアス店」さんに飛び込み、生中とセロリの浅漬けで昼呑みスタート!

「串かつ でんがな あべのルシアス店」さんで昼呑みA! 12:06

 速攻でホッピーにスイッチし、串カツ盛りでフィーバー!

「串かつ でんがな あべのルシアス店」さんで昼呑みB! 12:10

 でんがなさん名物の牛もつ塩煮込み!

「串かつ でんがな あべのルシアス店」さんで昼呑みC! 13:04

 牛肉吸いで〆!
 この後、何故か京橋に移動し、スマスロ北斗の拳に挑むも、2万円蒸発… 2週連続の2万負けに完全に心が折れ、すごすごと帰宅しました…

参考タイム

12/17近鉄橿原神宮前駅 7:357:50 畝傍山東登山口 7:508:05 畝傍山 8:058:20 畝火山口神社 8:208:30 安寧天皇陵 8:308:50 益田池堤跡 8:509:05 新沢千塚古墳群 9:259:40 宣化天皇陵 9:4010:10 小谷古墳 10:1010:25 益田岩船 10:2510:40 近鉄岡寺駅

山行データへ

諸国名山探訪

Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved

inserted by FC2 system