−コースタイム約11時間、難攻不落の名山をロングピストンで攻略−
山行概要
2017年10月9日(祝) | |
南アルプス | |
晴れ | |
Wヒロシ(I.ヒロシ、F.ヒロシ) | |
登山口=0:35=山の神=0:15=面切平=1:05=黒薙=1:05=ザラ薙平=1:25=ジャンクション=0:20=池口岳=0:15=ジャンクション=1:00=ザラ薙平=1:05=黒薙=0:45=面切平=0:35=登山口【8:25】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
10/8 晴れ
貴重な体育の日の三連休だが、何と中日の8日の午前中は仕事(涙)… 7日は天気が悪かったので、まだ我慢できたが、残りの2日は晴れの予報で歯ぎしりする私… しかし、盟友のI.ヒロシ氏に無理を言って、8日の午後から1日半、予定を合わせてもらった。
狙うは、コースタイム11時間超と、足の揃ったパーティでないと攻略困難な、200名山の中でも難峰の一つ、南アルプス最南部の池口岳である。
京都市中京区の自宅を午後1時過ぎに出発。登山基地となる道の駅「遠山郷」へは、飯田山本ICから無料の三遠南信自動車道を7キロほどの天竜峡ICへ進み、R151、県道1号線、R418で南側から大きく迂回する形で、17時過ぎにようやく到着した。
遠山郷には、ちょうど2年前の秋に熊伏山攻略の際にも来たが、さすがの秘境っぷりである。
今晩は、温泉併設のこの道の駅で車中泊する予定だが、温泉の前にまずは腹ごしらえと、道の駅すぐ隣の「食楽工房 元家」さんに始業の17時半に突入する。
本来は、すぐ近くの和田集落内にある、「星野屋」さんを調べていたのだが、店に電話をすると、この日は17時に店を閉めてしまったそうで、支店の「食楽工房 元家」さんを紹介されたのである。
ここは、熊、猪のジビエの他に、名物の遠山ジンギスを味わえる。
長野県は、北海道に次ぐジンギスカン大国だが、中でも、信州新町と遠山はジンギスの本場と言われている。
昭和28年から35年ころにかけて、遠山村では綿羊飼育が奨励されていたが、綿羊の飼育は昭和35年以降下火となり、40年頃には完全に姿を消してしまった。その一方で、ジンギスの食文化は確実に村に浸透していたのである。
ジンギスの味付けを村民に伝授したのは、在日朝鮮の人だったらしい。これは、戦時中、近くの飯島発電所を建設するために、多数の朝鮮人労働者が遠山に来ており、彼らからジンギスの味付けが伝わったという。
昭和50年頃には、南信州産の羊肉も仕入れが難しくなり、現在、すべての羊肉はオーストラリア産になってしまったが、味付けだけは、遠山オリジナルのたれが伝承されている。
この熊焼きの他に、猪焼き定食を1つづつ頼み、ジンギスカン焼きを追加する。素晴らしいジビエの饗宴にビールが進む… 私はメガジョッキで昇天した…(笑)
めしとみそ汁はセルフの食べ放題だったが、みそ汁が絶品で、私は3杯もおかわりしてしまった。
そして、道の駅の「かぐらの湯」で沈没… しょっぱい塩化物温泉は本当に温まります。
20時半には、車内で爆睡! この日は気持ち悪いぐらい暖かく、シュラフなしで眠ってしまった…
10/9 晴れ
本日はロングコースかつ京都に帰らねばならないので、2時起床! もはや正気の沙汰ではない。
引き続き、気持ち悪いくらい、生暖かい。頭上はガスで星は全く見えず… 経験則上、こういう時はずっとガスるので、テンションは上がらぬが、池口川を遡り、狭小の民有林道を慎重に走行し、何とか池口岳の登山口に無事到着。
周辺の路肩に数台は駐車可能で、既に2台止まっていたが、人の気配は無かった。
真っ暗闇の中、3時半に登山口をスタートする。
急登と平坦な平を何度か繰り返していくが、周囲の様子が分からないので、どこをどう歩いているのかさっぱり分からない。道は比較的明瞭で、暗闇でも大きくルートを外すことなく、進んでいける。
山の神の祠を過ぎ、一つ急坂を登ると、比較的顕著な平地に出、「面切平」という標識が木に打ち付けられていた。
山の神から一段登ると、牛首と言われ表示があり、その先からさらに本格的な登りが始まる。いつしか雲が切れ、頭上には煌々と月が輝いている。
周囲が明るくなり始めるころ、黒薙に登り着く。稜線の反対側は名の通り、物凄い崩壊地になっていて、足がすくむ。
今日初めて見通しの利くポイントとなり、ここからの池口岳は「山と高原地図」に記載の通り、凛としているが、ここからは遥かに遠く、そして高い。思わずため息が出る。
遥か遠くには、2年前に登った熊伏山が見え、青崩峠にはガスが流れている。
燃料補給をしてリスタート。黒薙からは1900m台の小ピークを幾つか越えていく。アップダウンを繰り返すので、帰路が憂鬱だ。それに標高がなかなか上がっていかない…
黒薙と同様、稜線の南側が大きく崩壊したところに出る。ここがザラ薙である。
やはり展望が開け、熊伏山が望める。青崩峠のガスは全て消失した。
少し先の稜線北側にはテント適地があり、ここがザラ薙平で、稜線南側を下れば、水も得られるようだ。
しばらく1900m台をウロウロしていたが、ついに本格的な急登が始まる。
固定ロープのある岩場も2カ所現れるが、大したことはない。それよりも急登が続くので、体力的に厳しい。
ようやく南アルプスの主稜線とのジャンクションに到着。光岳へ続く稜線には踏み跡がはっきりと… 最近歩く人が多くなってきて、だいぶしっかりしたルートになってきているようだ。
光岳に思いを馳せながら、稜線を南へ池口岳へ向かう。
ジャンクションから池口岳へは、いったん下って、鋭く切れ落ちたギャップを通過すると、気持ちの良い笹原に出る。
ここからは、今日初めて、南アルプス南部の主脈がすっきりと望める。中央やや左の高みが聖岳で、その横が赤石岳。右端が光岳で、その左奥に、茶臼、上河内岳と続き、20年前の激闘が頭をよぎる。
帰路にゆっくり展望を眺めることにし、まずはピークへ。笹原からは最後の急登となり、ついに池口岳北峰へ。
5時間弱もかかってしまったが、何とか8時台に到着。
ピークには先客の老夫婦がいて、飯田の方で、この辺りには足繁く通い、何と、昨晩は南峰でテント泊したとのこと。この北峰にも何度かテント泊したことあるらしい(確かにピークの東側には適地があった)。2人の大きなザックを見て、こちらは恥ずかしくなりました…
北峰を少し南に下ったところに笹原があり、ここから南峰をはじめ、遥か彼方に黒法師岳など、南アルプス深南部の山々が望める。
南峰はあまりに立派で、北峰との間には深いギャップが… 我々は南峰を諦めざるを得なかった…
展望の良い笹原で、我慢できずつい…
ここからは光岳が真正面。山名のもとになった光岩もピークの直下にはっきりと…
ほろ酔い加減でジャンクションへ下り始める。ギャップの前後からは、登ってきた尾根が見下ろせる。手前から、ザラ薙、黒薙の崩壊箇所がはっきりと分かる。
遥か彼方には中央アルプスの姿も…
ジャンクションから急坂を下る。分かってはいたが、凄まじい急降下だ。ストックは使えない。立木頼りに慎重に下る。
ロープのかかる大岩2箇所も慎重に通過。平坦なテント場に着陸すれば、ザラ薙はすぐ先だ。
往路では暗くて良く分からなかったザラ薙の全貌が見下ろせる。すごい迫力…
そして、振り返る池口岳は一気に遠く、高くなった。
ザラ薙からは、1971ピークの登り返し。その先の1902ピーク(利検沢の頭の標識があった)など、疲れた足にアップダウンがきつい。
利検沢の頭からは、北方の見通しが利く。
聖岳の上部は雲に隠れてしまったが、南アルプス南部主稜の見納めとなる。
気温が上がってきた。行動時間も7時間を超え、だいぶ足がダルくなってきた。I.ヒロシ氏は左足の屈伸が厳しくなっている模様。大丈夫か?
往路で危惧していたように、細かなアップダウンに悩まされながら、何とか黒薙へ。
ここで池口岳も見納めだ。ザラ薙からと違い、双耳峰で見える。
真っ暗の時に通過したので、黒薙もザラ薙と同様、初めて見るのに等しい。大崩落を目に焼き付ける。
黒薙の直下は、カラマツ林と笹原のミックスが美しい。もう少し遅ければ、カラマツの黄葉が見ごろだったのだが…
急坂が続くが、足元は腐葉土でフカフカであり、足に優しい下りが続く。これじゃなければ、I.ヒロシ氏はかなり難渋しただろう。
山の神のすぐ下が面切平で、この辺りから植林のアカマツ林となる。
昔の造林地である徳造平という平地を過ぎると、フィニッシュは近い。
お疲れ様でした。車は5台に増えていた。結局、この日、山中ですれ違ったのは、4組だけで、3連休中の二百名山とは思えない寂しさでした。
慎重に林道を下り、この日も「かぐらの湯」で汗を流してから、京都へ。
もともと3連休の最終日で交通量が多いうえに、事故渋滞2箇所、故障車ありと、不運が重なり、14時半に遠山郷を出て、京都に戻ってきたのは20時過ぎだった… くたくたになりました。
参考タイム
10/9 | 登山口 3:30 ⇒ 4:05 山の神 ⇒ 4:05 ⇒ 4:20 面切平 ⇒ 4:20 ⇒ 5:25 黒薙 5:35 ⇒ 6:40 ザラ薙平 6:40 ⇒ 8:05 ジャンクション 8:05 ⇒ 8:25 池口岳北峰 8:40 ⇒ 8:50 山頂直下笹原 ⇒ 9:05 ⇒ 9:10 ジャンクション ⇒ 9:15 ⇒ 10:15 ザラ薙平 10:15 ⇒ 11:20 黒薙 11:30 ⇒ 12:15 面切平 ⇒ 12:15 ⇒ 12:50 登山口 |
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