−2日連続で本街道歩きを決行! 山間部を抜け、平野部へ−
山行概要
2021年2月21日(日) | |
伊勢参宮本街道 | |
快晴 | |
単独 | |
JR伊勢奥津駅=0:40=飼坂峠登り口=0:15=飼坂峠=0:20=上多気=1:05=櫃坂降り口=0:25=R368合流点(上仁柿)=0:10=高福寺=0:30=下仁柿常夜燈=0:15=柿野神社=0:05=柿野(横野)【3:45】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
昨日のゴール地点かつ今日のスタート地点である伊勢奥津駅に向かうJR名松線の始発は、7時32分発なので、普段の私としては、のんびりめの出発。
予定通り車内へ。客はほとんどが高校生で浮きまくる私。
途中、家城駅で乗り換える。高校生はこの駅が最寄りの白山高校の生徒のようで、奥津行きに乗り換える客は数人。
一人でボックス席を占領して、ローカル線の旅を満喫する。
家城からは終始雲出川に沿って相当な山奥を進んでいく。平成21年(2009年)10月の台風18号による被害で、名松線は全面運休となり、松阪〜家城間は、すぐに復旧したものの、家城〜伊勢奥津間は、根本的な治水対策も必要だったことから、何と6年半も運休し、平成28年(2016年)にようやく運転が再開された。
客が少なくなったのを良いことに、松阪駅で調達していた、サンドウィッチをつまみに、ビールを朝から注入(笑)… 六角精児の呑み鉄ばりである(笑)… 景色を眺めながら、最高のローカル線の旅を満喫する。
今日も快晴! 暑くもなく、寒くもなく、サイコーだ! ほろ酔い加減で出発。
画像では分からないが、この辺りの家々は、町おこしの一環で、玄関など出入口付近にのれんを掛けている。この一帯は「のれん街」としても話題となっているらしい。
家並みが途切れた辺りに常夜燈が建つ。文久4年(1864年)の建立とのこと。
ここでJR線、雲出川から離れ、登り道となる。
首切り地蔵を過ぎると、いったんR368に合流するが、すぐ先に飼坂峠への登り口があり、山道に入る。
飼坂峠は本街道有数の難所として知られ、「お伊勢参りしてこわいとこどこか、櫃坂、飼坂、鞍取坂、津留の渡しか宮川か」という歌が残っている。
私の実感だが、この歌の中では櫃坂の下りがややキツかったなと思えた程度で、断然、石割峠越えの方がキツかった。
あっけなく峠に到着。南に50m行ったところに展望台があるとのことなので、行ってみたが、木が生い茂っており、何も見えなかった…
憮然としながら、ソッコー下り始める。
最初は静かな峠道だったが、後半に入ると、峠道はショベルカーでボコボコにされており、雰囲気ぶち壊しである。
峠道の雰囲気は最悪だったが、上多気の集落に降り立つと、一気に旧街道の雰囲気が復活する。
上多気は伊勢国司、北畠氏の城下町で、南北朝の時代から南伊勢の中心地として栄えた歴史ある町だ。交通の要衝でもあり、伊勢参宮の時代には数多くの旅籠が建ち並び、大勢の参宮客で賑わったという。
近くに、北畠氏の居城だった霧山城跡や「北畠氏館跡庭園」もあるが、12年前に訪れているので、今回はパス。
この常夜燈は元治2年(1865年)の建立で、高さ約5mで本街道では最大級の大きさを誇る。
常夜燈の向かいには、三木屋という多気宿を代表する旅籠があったが、平成5年(1993年)に老朽化が著しいとの理由で取り壊され、今は更地になっている。
上多気宿を抜けると、R368に合流するが、この辺りの国道は道幅が1.5車線しかない「酷道」で車の通行もほとんどなく、静かな歩行を楽しめるが、やや単調だ。ゆるやかに登り続けると、櫃坂峠に到着。ここで古坂道が右に分岐する。かつて、ここには「峠」という廃村があったようだ。櫃坂峠の少し先で、国道を離れる分岐があり、ここから櫃坂を下る山道に入る。
櫃坂は、本居宣長の紀行「菅笠日記」に登場し、宣長が榛原で一行に本街道越えを指示したところ、一行は櫃坂を通るなど考えただけでも恐ろしいとふるえあがったと書かれている。伊勢本街道を歩いて伊勢神宮を目指してきた旅人にとって、山岳路の終わりを告げる最後の難所であった。
櫃坂峠は、いわゆる「片峠」で、上多気側はゆるやかだが、上仁柿側は急傾斜になっている。上多気の方が上仁柿より100m以上高いこともあるが、予想以上に急な下りが続き、少々面食らう。
R368に再合流する直前に櫃坂を振り返る。だいぶ下ってきたなぁ…
正面に高福寺を見ながら、旧街道を進んで行く。
再び国道に合流し、進んで行くと、下仁柿の樋山口というバス停の横に、稲わらの巨大モニュメントが…
アマビエの「あまちゃん」らしい。何と高さ約6mもある。地元の住民協議会が、新型コロナウイルス感染症の早期終息へのお役にたてればと「疫病退散」にご利益があるといわれている伝説の妖怪を、海から遠い地域に出現させたとのことらしい。
ここでまた国道を離れる。大きな常夜燈が建っている。明治5年(1872年)の建立とのこと。
仁柿川に沿って細道を進むと、また国道に合流するが、旧街道はすぐに左の細道に入る。
飯南町の横野集落に入ってきた。本日ゴールの柿野バス停の手前に柿野神社が建つ。
柿野神社は、明治42年(1909年)の市町村制導入時、上仁柿・下仁柿・横野・深野の旧4村が柿野村とされたことに伴い、各村の氏神が、横野の八雲神社に合祀となってできた神社で柿野神社と改名された。7月の例祭は祇園祭と呼ばれ、盛大に行われる。
伊勢本街道と和歌山街道が合流するこの地は、多くの旅人が行きかい、昔からこの境内には南天が多く自生していたので南天の宮とも呼ばれている。
神社のすぐ先で国道に合流し、柿野バス停に到着。今日はここまで。伊勢神宮まであと2日となった。
バスで松阪駅に戻り、車を回収。下道で枚方に戻るが、所々、渋滞に巻き込まれ、ハイクより運転の方が疲れた…
参考タイム
2/21 | JR伊勢奥津駅 9:05 ⇒ 9:45 飼坂峠登り口 9:45 ⇒ 10:00 飼坂峠 10:00 ⇒ 10:20 上多気 10:20 ⇒ 11:25 櫃坂降り口 11:25 ⇒ 11:50 R368合流点(上仁柿) 11:50 ⇒ 12:00 高福寺 12:00 ⇒ 12:30 下仁柿常夜燈 12:30 ⇒ 12:45 柿野神社 12:50 ⇒ 12:55 柿野(横野) |
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