金剛山〜岩湧山〜一徳防山縦走

金剛山〜岩湧山〜一徳防山縦走


【日 程】1984年11月3日(土)〜4日(日)
【山 域】金剛山脈
【メンバー】男7人
【コース】
 1日 金剛登山口バス停=0:10=妙見谷口=0:15=妙見滝=1:05=社務所=0:30=伏見峠-0:25=久留野峠=0:45=千早峠=0:35=行者杉峠=0:20=杉尾峠=0:30=西ノ行者=0:40=山ノ神=0:30=紀見峠C.S.【5:45】
 2日 紀見峠C.S.=0:45=ボ谷ノ池=0:50=三合目=0:30=南葛城山分岐=0:30=兼松新道分岐点(岩湧山往復20分)=0:45=岩湧寺=0:30=編笠山=0:40=一徳防山=0:40=見晴岩=0:30=旗倉山分岐=0:45=日野バス停【6:45】

【記録文】
 3日 快晴
 高校のクラブ山行。いつものことだが、遅刻する者が続出。締りのないクラブだ。
 何とか河内長野駅までたどり着き、バスで登山口へ。今回は正規ルートの千早本道をとらず、妙見谷を溯る。バス停からすぐの妙見谷橋から妙見谷に入り、しばらくの車道歩きからやがて谷に沿っての気持ちの良いコースとなる。妙見滝を巻き、さらに溯る。技術的に難しいところは全くなく、北摂中山惣河谷や比良の奥ノ深谷で沢登りの練習をしてきたこともあり、余裕で進む。最後の詰めの箇所はブナ原生林となり、紅葉の時期も重なり、何とも爽やかなコースだった。
 飛び出した金剛山頂一帯は急に人影が多くなり、何か街中に下山したような錯覚を覚える。湧出岳に寄り道してから、長大な南西尾根の縦走へ。と言ってもダイトレの一部であり、あまり飛ばす意識は無くても、距離はどんどん稼げる。それでも神福山、タンボ山等ピークにその都度寄り道していくので、西ノ行者辺りで日は大きく傾いていた。
 既に薄暗くなった紀見峠付近でテン場を慌てて探す。何とか適地は見つかったが、何と2張りのうち、1張り分のポールを忘れていることが発覚。木の枝に張り綱を固定して、形にはなったが、ヨレヨレで何とも情けないたたずまいであった。次の問題は水であった。周囲に水場らしきものは全く無く、仕方なく少し下った集落に水を求めに行ったが、何と折からの渇水で周囲は給水車が出動しているような状況。それでも気持ちよく分けていただいたおばさんに感謝感激。
 ようやくメシにありつき、放射冷却で強烈な冷え込みの中、ヨレヨレのテントで寝た。

 4日 快晴
 ダラダラと出発。三合目への丸太階段さえしのげば、岩湧山までさほどの登りはない。東峰を過ぎると、おなじみのカヤトの原となり、最高の展望が開ける西峰に到着。金剛の本峰がはるか遠くに見える。大阪の山でこれだけ歩いた気のする縦走が楽しめるのはここだけだろう。台高、大峰の山々も姿を見せ、みんなで地図とにらめっこをしながら、ワイワイやるうちに、1時間余りがあっという間に経過する。


岩湧山から金剛・葛城山を望む 岩湧山から金剛・葛城山を望む


 岩湧寺へ下るが、ルートにとった兼松新道の超急降下はすごかった。現在、どれ位整備されたか不明だが、この当時は立木を掴まないととても下れないほどだった。岩湧寺境内での昼食後、一徳防山への縦走へ。何度も繰り返すアップダウンや切れ落ちたガレ場があったりと、なかなか楽しめるコースである。一徳防山のピークはこの辺りでは珍しい尖峰。展望も良く、岩湧山が圧倒的な迫力で飛び込んでくる。
 なおも稜線を進むが、旗倉山辺りで何故かルートを外してしまい、最後どうやって日野まで下ったか、今では判然としない。それでも変化に富んだコースで充実した2日間だった。 


   

      

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