足尾・日光・那須の山旅

−宿泊費0の貧乏旅 栃木の山々を満喫−

   

旅の概要

日 程1989年4月30日(祝)〜5月5日(金)
メンバーM(4日まで)、私
旅 程
4/30
京都(前夜発)〜東京〜小山〜桐生〜通洞〜皇海山登山
5/ 1
皇海山登山
5/ 2
皇海山登山〜通洞〜日光
5/ 3
日光〜男体山登山〜華厳ノ滝〜湯元温泉〜日光
5/ 4
日光〜東照宮〜日光〜西那須野〜塩原温泉〜那須塩原
5/ 5
那須塩原〜黒磯〜那須登山〜黒磯〜那須塩原〜東京〜京都

旅行記

 大学3回のGWは高校クラブの後輩を強制連行し、北関東の山々を目指す。当時は京都からはるばるといった感じで、サークルの連中は遠すぎて誰も来ようとしなかったのだ。
 残雪の状況が心配である。あわよくば、皇海山、男体山、日光白根山に登りたいがどうなるか…

 4/30 晴れ
 『ドリーム号』で東京に6時着。それから小山、桐生と鈍行でのんびり進む。そして桐生からはこの山旅の目的の一つである、わたらせ渓谷鐵道に乗り換える。
 この3月29日にJRから第三セクターに転換したばかりで、沿線には「祝開業」の垂れ幕がそこら中に立っていた。
 列車は新緑が眩い渡良瀬川沿いをのんびり進む。皇海山登山口の通洞駅には13時にようやくたどり着いた。

通洞駅前にて

 かっては足尾銅山で栄えたこの駅付近も今はもう見る影も無い。駅前に唯一あった売店でタクシーを頼んでもらう。足尾には3台しかタクシーがないらしい。車を待つ間に店のおじさんから山の最新情報を仕入れる。2日前に雪が降ったらしく、鋸山より奥、つまり皇海山へは残雪でルートが不明瞭だそうで、不安になる。
 おじさんと話し込んでいるうちにタクシーが来て、銀山平へ。ここで登山カードを提出し、いよいよ秘峰、皇海山へ向けての進攻開始である。

 皇海山山行記へ

 銀山平からタクシーで通洞駅に戻り、かつては「日本一の鉱都」と呼ばれた足尾銅山の観光に向かう。

足尾銅山坑内にて

 トロッコ電車や製錬所の模型もあり、見ごたえ十分だった。

寛永通宝「足尾銭」

 足尾で鋳造された寛永通宝1文銭は「足尾銭」と称されるが、背面に「足」の字が印されていることから、通称「足字銭」とも呼ばれている。

 足尾から日光へは電車で行くとなると恐ろしく遠回りとなるが、日足トンネルを走行するバスを使えばわずか1時間ほどで日光に出ることが出来る。
 この日は東武日光駅前で貧乏学生恒例のステーションビヴァーク… 駅の軒下でレトルトカレーを食べる。侘しかった…

 5/3 晴れ後雨
 あまり良く眠れないまま、朝一のバスに揺られ奥日光へ向かう。途中には、『いろは坂』、『中禅寺湖』など関西人にとっては、なじみの薄い景勝地が続き、我々を飽きさせない。天気も良好。今日のターゲットは男体山である。
 中禅寺湖畔にある男体山登山口の二荒山神社中宮には7時に到着。

 男体山山行記へ

 中宮で雨宿りをしてから、中禅寺湖沿いに歩き、華厳ノ滝へ。

華厳ノ滝にて

 さすが一流観光地だけあって、滝見にエレベーターを利用する。雷雨の直後で水量が増しており、けっこうな迫力だった。
 この後、今山旅では諦めた白根山の登山口のある湯元温泉までバスで行くことに。硫黄臭立ち込める白濁したお湯は情緒たっぷりで、気温がかなり下ったこともあり、長居してしまった。日光駅に帰って来た時には20時になっていた。
 この日は東武からJRの駅に寝ぐらを移動。こちらの方が人が少なく、多少は安眠できた。

 5/4 快晴
 絶好の登山日和だったのだが、せっかく日光まで来たということで、一日観光に費やす。
 今日も駅の軒下で朝食をとる。周囲の冷たい視線が快感になってきた。
 駅からのんびりと大通りを進む。

神橋

 駅から10分ほどで神橋。
 山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋で、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の一つ。
 いよいよ日光山内へ。

輪王寺本堂の三仏堂

 東日本では最大の木造建築物。比叡山延暦寺の根本中堂を模したらしい。写真の真ん中辺りに私がいるが、メッチャ小さい。
 見所が多くてなかなか進まん。

陽明門

 あまりに有名。あまりに人が多すぎて遠くからしか写真が撮れなかった。508体あると言われる彫刻をじっくり眺めたかったが、人に押し出されてしまった。

大猷院夜叉門

 家光の廟所。東照宮より全てが地味目だが、精緻な印象。私はこちらの方が気に入りました。
 結局、日光山内には5時間ほど滞在。歩き回りすぎて下手な登山より疲れた。
 体をほぐそうと温泉を求め、当時周遊券があればバスがタダだった塩原温泉に行くことに。

塩原温泉の名所、源三窟

 連休のせいで西那須野駅から温泉に向かうバスが大渋滞につかまり、温泉には16時過ぎにようやく到着。
 温泉前に塩原八幡宮や逆杉、そしてこの源三窟など、名所を駆け足で回る。源三窟は源三位頼政の嫡孫、源有綱が平氏に破れ敗戦の身をこの洞窟に隠した所。写真の滝で米を研いだ研ぎ汁が流れ出したために発見され、哀れな最期を遂げたと伝えられており、この滝は「米洗いの滝」と呼ばれている。

公衆露天風呂「もみじの湯」

 ようやく風呂へ。もう辺りは夕暮れ。バス停に近い「もみじの湯」へ。対岸から丸見えに近く、入浴したのは我々2人のみ。タイミング良く風呂の偵察に来た人に写真を撮ってもらった。

 帰りは那須塩原に出る。連れのM君は学業の都合で本日で撤退。私はもう1日残って何とか那須連峰に行ってみたい。彼を見送った後、駅近くの居酒屋で一杯ひっかけ、今日もステーションビヴァークへ。あんまり慣れたかないが、駅で寝るのはすっかりお手の物だ。5分ほど駅周辺を物色し、ベストポイントを見つけ、とっとと寝た。

 5/5 晴れ
 良い場所を確保したと言っても熟睡と言うわけにもいかず、結局途中4,5回は目が覚めながら何とか朝へ。この数日間の疲れと寝不足で体が重いが、最終日なので何とかなるでしょう。。今回の連休6日中、2泊が山小屋、3泊がステビーと我ながら感心する。
 ますは電車で黒磯駅まで移動し、そこから始発のバスで山麓へ。バスに乗り込んだ時はあいにくの曇り空だったが、山麓に着くころにはド快晴となっていた。すでにロープウェイ乗り場には長蛇の列ができており、私はそれを横目に身繕いを行う。

 那須連峰山行記へ

 バスで黒磯駅に戻り、那須塩原から新幹線を乗り継ぎ、帰阪した。コストパフォーマンス抜群の貧乏旅行だった。

諸国名山探訪

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