−30年振りの額井岳登頂! しかし、一昨日の台風の影響で、登山道は川と化していた…−
山行概要
2023年6月4日(日) | |
額井火山群 | |
晴れ | |
単独 | |
十八神社=0:30=都祁分岐=0:10=額井岳=0:25=戒場峠=0:15=戒場山=0:15=戒長寺=0:20=山部赤人の墓=0:05=十八神社【2:00】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
台風一過の快晴を狙い、山行を企てる。大雨の影響を踏まえ、低山をチョイス。30年振りに「大和富士」、額井岳を目指す。
たまたま目が覚めただけなのだが、3時半に起床(笑) 4時前には車を走らせる。
オーソドックスに十八神社から登ることにするが、ネットを見ると、車を宇陀市都市公園の駐車場に止める方がほとんどだったが、開園の8時半まで施錠されているとのことだった… さらに調べると、十八神社直下の空きスペースに数台止められそうだったので、そこに止めることにする。
十八神社にナビをセットし、盲従したが、これは失敗だった。額井岳から遥か東の県道28号線から、額井岳・戒場山の南山麓を延々とトラヴァースする林道を進むコースをナビは選択していたが、道幅が非常に細く、離合困難箇所が延々と続き、早朝とは言え、ヒヤヒヤものの運転を余儀なくされた。
十八神社に行くなら、西側のR369から入った方が、距離も短く、道幅も格段に広いので、こちらを採用すべきである。
十八神社の直下に路側帯があり、3、4台は止められそうだ。当然ながら、私が一番乗りだ。
登る前は気付かなかったが、額井岳が真上に見えている。
駐車スペースから鳥居がすぐ目の前に見えている。
十八(いそは)神社に参拝する。十八神社の祭神は、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)で、つまりは神武天皇ですな。創建は不詳で、かつては、廃寺となった極楽寺の鎮護社であったが、額井の産土神として崇敬され、現在に至る。
手水の流水は、背後の額井岳の中腹に湧く神水で、このことが「額井」の名の由来となった。
4時55分にスタート(笑) 既に十分に明るい。だいぶ日が長くなりました。
神社境内の西端から登山道が始まっているが、一昨日の台風の影響が残っており、ルートは川と化していた…
何とか水位の低いところを選んで歩くが、すぐに靴はビチャビチャに… 帰ろうかと思ったが、林道を横切るところまで登ると、水流は無くなった。
植林帯の味気ない森の中を登って行くと、額井岳頂上から西に延びる尾根の上にたどり着いた。尾根を横断する形で、北側に都祁の里への下降路が伸びている。
右折し、尾根通しに登る。尖峰の見た目通り、登るほどに急になる。
都祁への分岐から10分程で額井岳山頂に登り着く。以前と同様、展望は皆無。静かな山頂に祠が寂しく立っていた。
ピークにいても仕方がないので、すぐに戒場山への縦走に向かう。
道標に従い、東方面に下って行くが、最初は急なので、注意が必要。
ひとしきり下ると、ゆるやかなをアップダウンを繰り返すようになる。
額井岳への登路と同様、基本は植林帯の中を進み、展望はほぼないが、途中、反射板が建つ箇所のみ、展望が開け、南方には室生の山々が見渡せた。
辿って行く稜線は、いったん北へ方角を変え、再び右にカーブし、東にゆるやかに下って行くと、戒場峠に到着。
南へ、東海自然歩道に下るルートが分岐する。
峠から、さらに東へ登って行く。あっけなく戒場山の山頂に到着。この山は何と35年振りの登頂だ(笑)…
三角点と山頂標識だけがポツンとある静かな山頂。と言う訳で、この山もソッコー下山する。
東へ尾根伝いに下る。35年前は、戒場山を戒場峠からピストンしたので、戒長寺へ下るのは初めてだ。標識の立つ箇所から南へ沢筋を下るのだが、これが入山時と同様、ルートが川になっていて、せっかく乾きかけていた靴がまた浸水… 這う這うの体で戒長寺へ降り立った。
戒長寺の創立や沿革は明らかでないが、春日大社文書中の仁治元年(1240年)に記載されたとされる「関東下知状案」に「戒場寺」と見えるのが文献上の初見とされる。寺伝では、用明天皇の勅願により聖徳太子が建立し、後に空海が伽藍を整備したと伝わるが、裏付ける文献等は発見されていない。
現状の本堂の規模に対し、所蔵する仏像数が多いことや、仏像の製作年や銅鐘の鋳造年代等から考慮すると、平安時代後期には寺勢が盛んであったと考えられている。また、現在の戒長寺境内眼下に広がる戒場集落内に「戒場遺跡」と呼ばれる遺跡が発見されており、12世紀頃の大型建築物の遺構が確認できることや、遺跡付近の小字名に寺院の痕跡を示すものが多数認められることから、かつての戒長寺跡と推定され、相当な規模の寺院であったと考えられている。
本堂は、元治元年(1864年)の建立とのこと。
本堂の右手後方に戒場神社が鎮座する。
社伝によると、昔、里人が戒場山に入り狐狼に襲われた際、神が現れ救われたことにより氏神として祀るようになったと伝わる。
かつては、戒長寺の鎮守社として薬師如来の眷属(けんぞく:配下、従者)である守護神の十二神将が祀られていたが、明治の神仏分離令によって、戒場区の氏神として大山祇命を祀るようになったという。
境内にはイチョウの大木があり、毎年11月中頃から12月初旬頃に、紅葉した葉が落葉し、境内を黄色に染めることで知られている。
イチョウは、コケ植物・シダ植物などの原始的な胞子植物と、種子を作る高等な種子植物との中間性的な位置付けで、受精に際してイチョウ精子と呼ばれる精虫ができるのが特徴である。
また、イチョウの中でも、「お葉つきイチョウ」と呼ばれる珍しい個体があり、シダ類が胞子を葉につける胞子葉と呼ばれるのと同様に、種子を葉につける現象が見られ、進化系統を示す確かな証拠として、学術上極めて貴重な研究資料らしい。知らなかった…
この珍しい個体が、戒長寺にあり、幹周り約4m、高さ約30mの大イチョウで、「戒長寺のお葉つきイチョウ」として、奈良県の天然記念物に指定されている。
石段を下って、東海自然歩道に合流、西に山裾を進んで行く。細い車道であり、早朝におっかなびっくりで運転した道だ。
目の前には、端正な額井岳が望める。
美しい棚田の風景を楽しみながら進んで行く。
振り返ると、戒場山も額井岳に負けず劣らず、秀麗な姿を見せている。
戒場山を振り返ったポイントのすぐ先の林に少し分け入ったところに、大きな五輪塔が立っており、山部赤人の墓であると伝わる。
山部赤人は、奈良初期に活躍した万葉歌人で、万葉集に約50首が収録され、柿本人麻呂とともに「歌聖」と称された歌人である。
十八神社の手前で、南方の見通しが利くポイントがあり、大峰山脈が広がった。
あっと言う間に十八神社に返って来た。7時着(笑)…
すぐに車を走らせ、枚方には9時前に帰宅しました(笑)…
参考タイム
6/4 | 十八神社 4:55 ⇒ 5:25 都祁分岐 5:25 ⇒ 5:35 額井岳 5:35 ⇒ 6:00 戒場峠 6:00 ⇒ 6:15 戒場山 6:15 ⇒ 6:30 戒長寺 6:35 ⇒ 6:55 山部赤人の墓 6:55 ⇒ 7:00 十八神社 |
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