−伊勢路巡りを再開 三瀬の渡しの迂回がウザかった…−
山行概要
2016年4月29日(祝) | |
熊野古道伊勢路 | |
快晴 | |
単独 | |
JR栃原駅=0:25=バカ曲がり入口=0:55=川添小学校=0:15=八柱神社(栗生)=0:35=坂瀬峠=0:10=八柱神社(三瀬)=0:35=道の駅おおだい=0:40=多岐原神社=0:30=三瀬坂峠=0:35=滝原宮=1:15=JR阿曽駅【5:55】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
熊野古道伊勢路プロジェクトも年明けにJR栃原駅までやって以来、繁忙期のせいで、3箇月ほど手つかずになっていた。ようやく繁忙期が終わり、再開するときがやってきた。
しかし、2016ゴールデンウィーク前半の年休取得は叶わず、3連休の予定となった… もともと年明けから4月初めまでの殺人的な業務繁忙で、体はボロボロであり、ザックを背負っての長期テント縦走など、思いもよらない現状なので、仕方がない。
と言う訳で、足慣らしも兼ねて、年明けにプロジェクト(大げさ!)を立ち上げたばかりの熊野古道伊勢路をトレースすることに。いつものように、車中泊を活用しての貧乏巡礼である。
伊勢は第二名神が伊勢自動車道と繋がったことで、京都からは劇的に早くなった。今回のゴール予定ポイントのJR阿曽駅まで何と2時間弱である。なので、いつものように前夜発する必要もないだろうと京都を朝4時に出発(それでも早いが…)。
連休初日だったが、早朝のせいか、特に渋滞に巻き込まれることなく、阿曽駅には6時過ぎに到着。車内でコンビニおにぎりの朝食を取り、予定どおり6時45分発の紀勢本線亀山行に乗り込み、前回ゴールの栃原駅には7時11分着。
早朝の肌寒さを感じながら、駅を後に前回も辿った、R42の1本西側の旧道を辿る。新田交差点で、ようやく前回の重複ルートは終わり、熊野への距離が縮みはじめる。右折し、踏切を渡って、線路沿いに寂し気な山裾の林道を進む。
不動谷を渡る手前で、右手に下り、谷筋に出て、歩いてきた林道をくぐる形で、山道で、不動谷沿いに進む。これが「バカ曲がり」で、蜘蛛の巣に難渋しながら、R42に復帰した。
神瀬から脇道に入り、集落の中へ。眼鏡橋を通過し、再び国道に合流し、今度はゴルフ練習場の前で脇道へ。
踏切の無い線路を横断すると、すぐに鹿除けフェンスで守られた山道の入口があり、扉を開けて侵入。
静かな林の中に佇む。ゆるやかに登っていき、峠状の地形を越える。
茶畑を過ぎると、川添のまちに入る。高台からまちなみを見下ろしながら、のんびり下っていく。
国道の脇道で川添の渋いまちなみの中を進む。カラッとした陽気で、気持ち良いことこのうえなし。
神社の先で、国道に合流し、以降、坂瀬峠までゆるやかに登り続ける。排気ガスを浴びながらの苦行が続く。
坂瀬峠の手前で、黒壁の熊本城や松江城を連想する城風の立派な建物が現れる。
近くに来てみると、神霊学会「主神教」という宗教法人の建物だった…
紀勢自動車道をくぐって、少し登ると坂瀬峠。ここから右手の脇道に入り、ゆるやかに下っていく。
三瀬の八柱神社から、国道を渡り、古い町並みの中へ進む。
三瀬の渡しの看板が現れる。予約したら昔の巡礼者のように、宮川対岸の多岐原神社にすぐ着けるのだが、今は橋もなく、東西どちらから迂回しても、4〜5キロは歩かねばならない。私は西側から回り込むことにし、三瀬の集落内を進む。
北畠氏の家臣で、この辺りの有力者であった三瀬氏歴代の居城であったといわれている。
大谷川が宮川本流と合するくちばし状の突端にあって南・西・北の三方は断崖であり要害の地である。
現在は杉が植えられ、八幡社が祀られている。
町並みを抜け、国道沿いに進むと、道の駅おおだいに到着。隣のスーパーで調達した寿司とノンアルビールで、しばし休憩。
さぁ、リスタート。道の駅のすぐ先の旧船木橋で宮川を渡り、船木集落を東へ、宮川を遡るように進む。
集落を抜けると、しばらく人気のない山間の車道を進み、宮川がググッと右手にカーブすると、三瀬川の集落が現れる。
集落の中程、左手に多岐原神社へ導く道標が現れるので、宮川へ下っていく。
伝承によれば、天照大神を奉じて巡幸中の倭姫命(やまとひめのみこと。第11代垂仁天皇の皇女。天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により伊勢神宮を創建したとされる)が宮川を渡ろうとするも、流れが速く困っていると、この辺りの土地の神である、真奈胡神が渡れるところを案内し、その縁で多岐原神社が定められたとされる。
神社からさらに100mほど下ると、宮川の畔に出る。
ここが、三瀬の渡し場跡で、渡船だったら5分もかからないと思われるが、私は迂回するのに1時間余りもかかった…
集落内の分岐に戻り、三瀬坂峠への登りにかかる。
コンクリ舗装の道を登っていく。
三瀬川の集落を見下ろしながら、登っていく。
いつしか山道に代わり、傾斜も急になるが、距離は短いので、一気に峠へ。
三瀬坂峠は杉の植林帯の中だった。風が静かに流れていた。
一気に下ると、国道に合流。東の脇道に入り、静かな住宅街を南下する。
目の前に滝原宮の森が近づく。
滝原宮は、倭姫命が、宮川下流の磯宮(いそのみや)より天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探すために上流へ遡ったところ、宮川支流大内山川の流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので草木を刈り新宮を建てたが、その後すぐに神意により現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)を祀る別宮となったとされる。
2年振りの再訪。ほんとにここの境内は清々しい。時の流れを忘れて佇んでしまう。
さらに南へ。趣のある旧道を進む。大紀町役場を過ぎ、大内山川に沿って進む。
歩道橋で国道を渡り、大宮小・中学校の前を通過し、JRを渡ると、ようやく阿曽の集落。
阿曽の町並みも趣深い。阿曽大橋で大内山川の右岸に渡ると、JR阿曽駅は近い。
車を運転し、すぐ近くの阿曽温泉で一浴後、明日のゴール地点である、紀伊長島へ向かう。
そして、紀伊長島から少し西の古里海岸にある「きいながしま古里温泉」へ。何故かと言うと、ここで車中泊するためである。
そして、古里温泉から歩いて10分ほどの「お食事処 秀」さんへ。
もっと言うと、ここで一杯やるために、古里温泉を車中泊の場としたのである。
始業の16時と同時に入店。ロケットスタートを決める。魚の新鮮さが半端ない。
さざえ、あわび、ほたて、あさりがゴロゴロ入っており、旨みが飯に染み込んで最強である。
満ち足りて古里海岸の夕景を堪能し、古里温泉に2時間余りも沈没してから、車に戻り、爆睡した。
明日は、いよいよ海に出る予定だ。熊野古道伊勢路その4(阿曽〜紀伊長島)へ。
参考タイム
4/29 | JR栃原駅 7:20 ⇒ 7:45 バカ曲がり入口 7:45 ⇒ 8:40 川添小学校 8:40 ⇒ 8:55 八柱神社(栗生) 9:00 ⇒ 9:35 坂瀬峠 9:35 ⇒ 9:45 八柱神社(三瀬) 9:45 ⇒ 10:20 道の駅おおだい 11:10 ⇒ 11:50 多岐原神社 12:00 ⇒ 12:30 三瀬坂峠 12:30 ⇒ 13:05 滝原宮 13:25 ⇒ 14:40 JR阿曽駅 |
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