あまり深く考えずに大阪天満橋から歩き始め、気が付けば、点が線になり、熊野を巡る6本の長い巡礼道が繋がった。全く悟りが開ける兆しはないが…(笑)
紀伊路は、畿内と熊野三山を結ぶ参詣道のうち、紀伊田辺までの約200kmのことを言い、熊野古道の中では、伊勢路と並んで「梁塵秘抄」に詠われたように最も古くから知られた道である。
紀伊路は、7世紀以降、熊野三山への参詣道として正式なルートとして認識され、京の院や貴族による参詣の隆盛を見た。こうした院や貴族による参詣を中心とする平安末期から鎌倉初期にかけての中世熊野詣は徒歩が原則とされ、九十九王子への巡拝が行われた。中世熊野詣の先達をつとめ、参詣ルートの整備や参詣儀礼の指導に当たったのは修験者であったため、困難な修行の道を踏み越えて行くことそれ自体に信仰上の意義が見出されていたのである。
中世熊野詣は、承久の乱において主たる担い手であった院が没落し、院の後ろ盾を得つつ熊野三山を統括してきた熊野別当家が勢力を衰えさせたことで終焉を迎え、以降、熊野参詣の主たる担い手が東国武士や有力農民にシフトするにつれ、メインルートとしての地位を失った紀伊路の性格も変容し、西国三十三所の巡礼道に組み込まれた。
熊野参詣は依然として失われたわけではないが、中世熊野詣のような参詣儀礼は失われ、また困難な箇所を回避するための派生ルートが設けられた。摂津や和泉では熊野街道とも呼ばれたように、紀伊路は幹線道路として沿道住人の生活道路であり、政治・経済上の役割をも担っており、近代以降の国道整備においても、紀伊路のルートがしばしば踏襲された。
紀伊路は信仰の道であるだけでなく生活の道でもあり、近代以降においても利用され続けた。しかし、より容易かつ自動車の通行が可能なルートが開削されるとともに幹線から外れ、集落の中を通っていた道も旧状を失ったり、道ではなくなった箇所も少なくはなかったが、昭和53年(1978年)に文化庁が大阪府・和歌山県の熊野参詣道、すなわち紀伊路を「歴史の道百選」に選定したことを機に、改めて紀伊路のルートと歴史に関する調査結果が集成され、不完全であるが参詣道をたどることが可能になっている。
コースNo. | 山行No. | 区 間 |
開始日 | 終了日 | 日数 | 人数 | コ ー ス 概 要 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 |
天満橋〜堺 | 15.01.01 |
15.01.01 |
1 |
1 |
京阪天満橋駅〜四天王寺〜住吉大社〜方違神社〜南海堺東駅 | |
2 |
堺〜和泉府中 | 15.01.17 |
15.01.17 |
1 |
1 |
南海堺東駅〜方違神社〜仁徳天皇陵〜大鳥大社〜聖神社〜JR和泉府中駅 | |
3 |
和泉府中〜井原里 | 15.03.07 |
15.03.07 |
1 |
1 |
JR和泉府中駅〜久米田寺〜半田一里塚〜南近義神社〜南海井原里駅 | |
4 |
井原里〜山中渓 | 15.03.21 |
15.03.21 |
1 |
1 |
南海井原里駅〜樫井〜一岡神社〜林昌寺〜JR山中渓駅 | |
5 |
山中渓〜布施屋 | 15.03.28 |
15.03.28 |
1 |
1 |
JR山中渓駅〜雄ノ山峠〜遍照寺〜西連寺〜力侍神社〜JR布施屋駅 | |
6 |
布施屋〜海南 | 15.04.11 |
15.04.11 |
1 |
1 |
JR布施屋駅〜吐前王子跡〜矢田峠〜伊太祁曽神社〜汐見峠〜春日神社〜祓戸王子跡〜JR海南駅 | |
7 |
海南〜紀伊宮原 | 12.04.08 |
12.04.08 |
1 |
1 |
JR海南駅〜藤白神社〜藤白峠〜橋本神社〜拝ノ峠〜有田川温泉〜JR紀伊宮原駅 | |
8 |
紀伊宮原〜湯浅 | 14.05.17 |
14.05.17 |
1 |
2 |
JR紀伊宮原駅〜糸我稲荷神社〜糸我峠〜逆川王子社〜JR湯浅駅 | |
9 |
湯浅〜御坊 | 15.04.12 |
15.04.12 |
1 |
1 |
JR湯浅駅〜津鎌王子跡〜鹿ヶ瀬峠〜沓掛王子跡〜内原王子神社〜道成寺〜JR御坊駅 | |
10 |
御坊〜岩代 | 15.11.21 |
15.11.21 |
1 |
1 |
JR御坊駅〜塩屋王子神社〜印南港〜JR切目駅〜中山王子神社〜JR岩代駅 | |
11 |
岩代〜紀伊田辺 | 15.11.22 |
15.11.22 |
1 |
1 |
JR岩代駅〜千里浜〜三鍋王子神社〜芳養王子社〜闘鶏神社〜JR紀伊田辺駅 |
熊野三山に至る熊野参詣道のうち、田辺から本宮、新宮、那智に至る84kmの山岳路が「中辺路」(なかへち)と呼ばれている。
特に平安時代から鎌倉時代にかけて、皇族貴族が延べ100回以上も繰り返した「熊野御幸」では、中辺路が公式参詣道(御幸道)とされていた。
その当時の旅は、人影の少ない長く険しい山道を越えるだけでなく、たとえ寒い早朝であっても水垢離(水浴び)をして心身を浄めながら、ひたすら熊野の神々や仏の救いを心に念じ熊野三山へと歩みを進めるもので、山岳修行色が極めて濃厚であった。
世間一般的には(観光スポットとしての)、「熊野古道」はこの「中辺路」の区間を指す。
コースNo. | 山行No. | 区 間 |
開始日 | 終了日 | 日数 | 人数 | コ ー ス 概 要 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 |
602 |
紀伊田辺〜滝尻 | 15.12.30 |
15.12.30 |
1 |
1 |
JR紀伊田辺駅〜高山寺〜三栖王子跡〜稲葉根王子宮〜鮎川王子跡〜清姫の墓〜滝尻王子社 |
1-2 |
683 |
下三栖〜滝尻(潮見峠越え) | 17.12.29 |
17.12.29 |
1 |
1 |
下三栖〜尾野原口〜水呑峠〜潮見峠〜覗橋〜滝尻王子社 |
2 |
603 |
滝尻〜野中一方杉 | 15.12.31 |
15.12.31 |
1 |
1 |
滝尻王子社〜高原熊野神社〜悪四郎山〜近露王子跡〜野中一方杉 |
3 |
604 |
野中一方杉〜熊野本宮大社 | 16.01.01 |
16.01.01 |
1 |
1 |
野中一方杉〜小広王子跡〜蛇形地蔵〜発心門王子社〜伏拝王子跡〜熊野本宮大社 |
3-2 |
645 |
発心門王子社〜湯の峰温泉〜熊野本宮大社 | 17.01.02 |
17.01.02 |
1 |
1 |
発心門王子社〜船玉神社〜湯の峰温泉〜熊野本宮大社 |
4 |
619 |
熊野本宮大社〜志古 | 16.05.21 |
16.05.21 |
1 |
1 |
熊野本宮大社〜請川〜小雲取越分岐〜万歳峠〜志古 |
5 |
620 |
志古〜熊野速玉大社 | 16.05.22 |
16.05.22 |
1 |
1 |
志古〜三和大橋〜宣旨帰り〜飛雪ノ滝〜熊野速玉大社 |
6 |
617 |
新宮〜熊野那智大社 | 16.05.07 |
16.05.07 |
1 |
1 |
JR新宮駅〜浜王子跡〜佐野王子跡〜大狗子峠〜補陀落山寺〜熊野那智大社 |
7 |
799 |
熊野那智大社〜小口 | 19.12.29 |
19.12.29 |
1 |
1 |
熊野那智大社〜舟見茶屋跡〜地蔵茶屋跡〜越前峠〜楠の久保旅籠跡〜小口 |
8 |
800 |
小口〜熊野本宮大社 | 19.12.31 |
19.12.31 |
1 |
1 |
小口〜小和瀬〜桜茶屋跡〜石堂茶屋跡〜百間ぐら〜松畑茶屋跡〜請川〜熊野本宮大社 |
大辺路は、紀伊田辺から那智勝浦を結ぶ約120kmの海辺の道である。他の熊野古道のルートと同じく、途上には厳しい峠道が控えており、富田坂、仏坂、長井坂などが知られている。これらの峠道は、近代以降の市街化や道路開発を免れた部分が残されており、旧状が比較的よく保たれている。しかし、大半の道は市街地や国道に吸収されており、遺されているのは沿道の寺社や碑柱のような遺構が主である。
大辺路の北端は、紀伊田辺市北新町にある道標であり。この道標には「左りくまの道」と大書される一方で、「すくハ大へち」(「すく」は「真っ直ぐ」の意)の記はごく小さく、中辺路がメインルートであったことが見てとれる。
難路であったことから、里道を利用したり、海路を経たり、河畔を歩いたりと、代替ルートや派生ルートが多く用いられたと考えられており、さらに消失による分断区間も多いことから、旧道の全容を正確に知ることは難しい。このため、一本の道という線としての捉え方よりも、田辺から那智勝浦を結ぶ交通の網ないし帯という広がりで捉えられている。
紀伊山地南端の連なる山々を背に、前面に枯木灘や熊野灘の変化に富む海を望んで、優れた景観を目にすることが出来ることは大辺路の大きな魅力であり、近世の文人墨客の中には、参詣の復路に大辺路をたどった人々がおり、その旅行記を通して、大辺路の往時の姿を知ることが出来る。そこでは、温泉に立ち寄ったり、太地町の沿岸捕鯨の様子に驚嘆しつつ、探勝を楽しんだ様子が伝えられており、信仰の道にのみにとどまらないルートであることが分かる。
コースNo. | 山行No. | 区 間 |
開始日 | 終了日 | 日数 | 人数 | コ ー ス 概 要 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 |
642 |
紀伊田辺〜紀伊富田 | 16.12.30 |
16.12.30 |
1 |
1 |
JR紀伊田辺駅〜大潟神社〜JR朝来駅〜日神社〜JR紀伊富田駅 |
2 |
643 |
紀伊富田〜周参見 | 16.12.31 |
16.12.31 |
1 |
1 |
JR紀伊富田駅〜草堂寺〜安居辻松峠〜口ヶ谷〜地主社〜周参見王子神社〜JR周参見駅 |
3 |
644 |
周参見〜田子 | 17.01.01 |
17.01.01 |
1 |
1 |
JR周参見駅〜和深川王子神社〜JR見老津駅〜木ノ本神社〜JR田子駅 |
4 |
648 |
田子〜紀伊田原 | 17.03.18 |
17.03.18 |
1 |
1 |
JR田子駅〜江田〜逢坂峠〜鬮野川〜姫〜古座〜JR紀伊田原駅 |
4-2 |
684 |
紀伊姫〜重畳山〜紀伊田原 | 17.12.30 |
17.12.30 |
1 |
1 |
JR紀伊姫駅〜重畳山〜小笠山〜古田〜地蔵峠〜JR紀伊田原駅 |
5 |
649 |
紀伊田原〜那智 | 17.03.19 |
17.03.19 |
1 |
1 |
JR紀伊田原駅〜清水峠〜休平峠〜市屋峠〜二河坂峠〜ゆかし潟〜駿田峠〜JR那智駅 |
5-2 |
686 |
紀伊田原〜八郎山〜太地 | 18.01.01 |
18.01.01 |
1 |
1 |
JR紀伊田原駅〜上田原〜八郎山〜中里〜JR太地駅 |
小辺路は、弘法大師によって開かれた密教の聖地である高野山と、熊野三山の一角である熊野本宮大社とを結ぶ約70kmの参詣道である。
熊野古道の中では、起点から熊野本宮大社までを最短距離で結び、奥高野から果無山脈にかけての紀伊山地西部の東西方向に走向する地質構造を3度も縦断してゆく。このため、大峯奥駈道を除けば、熊野古道で最も厳しいルートである。
近世以前の小辺路は、紀伊山地山中の住人の生活道路であり、20世紀になって山中に自動車の通行できる道路が開通してからも、おおよそ昭和30年代までは使用され続けていた。そうした生活道路が、熊野と高野山を結ぶ参詣道として利用されるようになったのは近世以後のことであり、小辺路の名も近世初期に初出する。小辺路を通行しての熊野ないし高野山への参詣記録は近世以降のものが大半を占め、近世以前の記録もいくつか確認されているが少数である。
高野山から大股にかけてなど、著しい破壊の見られる区間も若干あるものの、良好な状態の古道がまとまって残されている。全ルートの踏破には、前述の通り、1000m級の峠3つ(伯母子、三浦、果無峠)を越えなければならず、一度山道に入ると長時間にわたって集落と行き合うことがないため、本格的な登山の準備が必要である。
山行No. | 区 間 |
開始日 | 終了日 | 日数 | 人数 | コ ー ス 概 要 |
---|---|---|---|---|---|---|
710 |
高野山〜熊野本宮大社 | 18.04.28 |
18.04.30 |
3 |
1 |
高野山金剛峰寺〜大滝口〜大股〜夏虫山〜伯母子岳〜五百瀬〜三浦峠〜昴の郷〜果無集落〜果無峠〜八木尾〜三軒茶屋跡〜熊野本宮大社 |
紀伊路が平安中期から鎌倉期にかけて盛んに行われた法皇や上皇らの御幸ルートであったに対し、江戸時代以降盛んに歩かれるようになった伊勢路は、古くから、伊勢神宮と熊野三山を結ぶ交通路で「東海道中膝栗毛」にも登場し、「伊勢へ七度、熊野へ三度」と呼ばれる信仰の路であり、伊勢参宮を終えた旅人や、西国三十三カ所めぐりの巡礼たちが辿った、いわば庶民の道である。
起点の田丸で巡礼装束に身を改めた旅人が、いくつもの険しい峠を越えて、憧れの地、熊野を目指した道である。
伊勢神宮から熊野速玉大社までの、いわゆる浜街道の総距離は約170kmで、また、熊野市で熊野本宮大社に直接向かう本宮道が分岐する。
コースNo. | 山行No. | 区 間 |
開始日 | 終了日 | 日数 | 人数 | コ ー ス 概 要 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 |
605 |
伊勢神宮〜田丸 | 16.01.10 |
16.01.10 |
1 |
1 |
内宮〜外宮〜度会橋〜田丸城 |
2 |
606 |
田丸〜栃原 | 16.01.11 |
16.01.11 |
1 |
1 |
田丸城〜栄昌寺〜女鬼峠〜柳原観音〜JR栃原駅 |
3 |
610 |
栃原〜阿曽 | 16.04.29 |
16.04.29 |
1 |
1 |
JR栃原駅〜JR川添駅〜坂瀬峠〜旧船木橋〜多岐原神社〜三瀬坂峠〜瀧原宮〜JR阿曽駅 |
4 |
611 |
阿曽〜加田 | 16.04.30 |
16.04.30 |
1 |
1 |
JR阿曽駅〜JR伊勢柏崎駅〜JR梅ケ谷駅〜荷坂峠〜JR紀伊長島駅〜長島港〜加田〜JR紀伊長島駅 |
5 |
612 |
梅ケ谷〜加田〜三野瀬 | 16.05.01 |
16.05.01 |
1 |
1 |
JR梅ケ谷駅〜ツヅラト峠〜志子〜島地峠〜加田〜三浦峠〜JR三野瀬駅〜三浦バス停 |
6 |
613 |
三野瀬〜相賀 | 16.05.03 |
16.05.03 |
1 |
1 |
三浦バス停〜始神峠〜海山郷土資料館〜道の駅「海山」 |
7 |
相賀〜尾鷲 | 15.10.31 |
15.10.31 |
1 |
2 |
道の駅「海山」〜馬越峠〜天狗倉山〜馬越峠〜JR尾鷲駅 | |
8 |
614 |
尾鷲〜賀田 | 16.05.04 |
16.05.04 |
1 |
1 |
JR尾鷲駅〜八鬼山〜三木里〜羽後峠〜JR賀田駅 熊野市役所〜鬼ヶ城城跡〜松本峠〜熊野市役所 |
9 |
615 |
賀田〜熊野市 | 16.05.05 |
16.05.05 |
1 |
1 |
JR賀田駅〜甫母峠〜JR二木島駅〜逢神峠〜JR新鹿駅〜JR波田須駅〜大吹峠〜松本峠〜JR熊野市駅 |
10 |
759 |
熊野市〜矢ノ川 | 19.02.09 |
19.02.09 |
1 |
1 |
JR熊野市駅〜花の窟神社〜産田神社〜横垣峠〜風伝峠〜千枚田・通り峠入口 |
11 |
760 |
矢ノ川〜志古 | 19.02.10 |
19.02.10 |
1 |
1 |
千枚田・通り峠入口〜明倫小学校跡地〜楊枝川集落〜楊枝薬師堂〜三和大橋〜志古 |
12(再掲) |
619 |
熊野本宮大社〜志古 | 16.05.21 |
16.05.21 |
1 |
1 |
熊野本宮大社〜請川〜小雲取越分岐〜万歳峠〜志古 |
10-2 |
616 |
熊野市〜新宮 | 16.05.06 |
16.05.06 |
1 |
1 |
JR熊野市駅〜花の窟神社〜JR阿波田駅〜熊野速玉大社〜JR新宮駅 |
大峯奥駈道は、修験道の根本道場である金峯山寺などがある奈良吉野山と熊野三山を結ぶ、大峯山を縦走する修験道の修行の道で、1000〜1900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」という峰入修行を行う、約80kmに渡る古道であり、熊野古道の中で最も険阻なルートである。
修験道の開祖とされる役行者が8世紀初頭に開いたとされ、吉野から熊野まで、神社や寺のほかに、大峰山脈の主稜線沿いに75の靡(なびき)と呼ばれる行場がある。奥駈は修験道でもっとも重視される修行であり、神仏が宿るとされる岩や峰、滝などで祈りを捧げる。宗教上の理由から、山上ヶ岳の北「五番関」から南の「阿弥陀ヶ森」までは女人禁制である。
行場を巡る方法には2つの方法が知られており、一つは、本宮から吉野に向かう順峯、もう一つは、逆に吉野から本宮に向かう逆峯で、それぞれに主宰する宗派が異なる。順峯は天台宗系の聖護院(本山派)が、逆峯は真言宗系の醍醐寺三宝院(当山派)がそれぞれ主導する。中世の熊野を支配し、熊野詣の先達をつとめたのは天台宗系の本山派であり、大峯奥駈についても本山派が先行していたが、近世以降の熊野詣の衰退に伴って、江戸時代から今日まで、両派とも吉野から入るのが一般的かつ正統的なものとされている。ただ、中世の熊野詣を主導した天台宗系による順峯は、那智山青岸渡寺によって復興され、今日でも行われているので、完全に途絶したわけではない。
コースNo. | 山行No. | 区 間 |
開始日 | 終了日 | 日数 | 人数 | コ ー ス 概 要 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 |
601 |
吉野〜洞辻茶屋 | 15.12.05 |
15.12.05 |
1 |
6 |
近鉄大和上市駅〜金峯山寺〜四寸岩山〜大天井岳〜洞辻茶屋〜洞川 |
2 |
洞辻茶屋〜太古ノ辻 | 91.05.03 |
91.05.06 |
4 |
4 |
大峰大橋〜洞辻茶屋〜山上ヶ岳〜大普賢岳〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜太古ノ辻〜前鬼口 | |
3 |
太古ノ辻〜熊野本宮大社 | 15.05.02 |
15.05.05 |
4 |
2 |
前鬼口〜太古ノ辻〜笠捨山〜玉置山〜五大尊岳〜七越峰〜熊野本宮大社 |
諸国名山探訪
Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved