−自分的には空白地帯の奥三河を探索! まずは愛知県最高峰を狙う!−
山行概要
2023年8月26日(土) | |
美濃三河高原 | |
晴れ後曇り | |
単独 | |
茶臼山高原第2駐車場=0:25=茶臼山=0:20=茶臼山高原第2駐車場=0:15=萩太郎山=0:10=茶臼山高原第2駐車場【1:10】 面ノ木峠=0:15=天狗棚=0:25=1200高地(天狗の奥山)=0:30=天狗棚=0:10=天狗棚展望台=0:10=面ノ木峠【1:30】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
8/25 晴れ
8月下旬に入っても猛暑が続く。大気の状態も不安定で、朝の一瞬しか晴れず、午後からは雷雨が怖い… 金曜日の午後からと、月曜日も休みを取得し、最後の夏休みを楽しもうと思ったが、なかなか行き先を決められない…
結局、標高が低く、暑いが、自分的に馴染みの薄い奥三河を訪れることにし、短時間で登れる山を早朝の涼しいうちに片付け、後は酒と温泉に溺れるプランとした。まぁ、いつものことです(笑)
金曜日、車で出勤し、後半休を取って、昼から東海へ出撃! 東名高速の音羽蒲郡ICから、R1で豊橋市内へ。
明日は、愛知県最高峰の茶臼山に夜明け直後から登ろうと思っているので、普通なら、もっと内陸部に前進すべきところ、それなりの飲食街が揃っている豊橋で呑もうという魂胆(笑)
豊橋市内に早めに着いたので、吉田城跡を再訪。4年振りだ。
本丸跡には、天守相当とされた鉄(くろがね)櫓のみ再建されて、資料館になっており、前回は中に入れたが、今回は、城跡の保存整備が始まっており、そのためか中に入れなかった…
鉄櫓の基部から、北側の豊川を望む。
しかし、暑い… 城の駐車場から本丸まで5分ほど歩いただけで、汗だくだ…
夕食は18時に予約しており、まだ時間があったので、R1沿いの「極楽湯 豊橋店」でひと風呂浴びて、さっぱりしてから、豊橋駅近くの「タイムズ豊橋駅東」駐車場へ。24時間800円で止められるので、昨年末に愛知県内を放浪した際にも車中泊した場所だ(笑)
18時に予約していた豊橋屈指の名店「割烹料理 千代娘」さんへ。
玉子豆腐の突き出しとサッポロ赤星でスタート!
「千代娘」さんと言えば、カウンターにずらりと並んだ、おばんざいが有名。どれも食べたくて、セレクトに苦慮する。
とりあえず、姫アワビ煮〜
タコ煮もチョイス! あっさり系の味付けでサイコーです。
刺し盛が到着! マグロ、イカ、スズキに、ハモ湯引きと、珍しい魚はないですが、どれも間違いないです!
名物の串アサリ!
串アサリは、アサリを串に刺して天日干ししただけのシンプルな三河の郷土料理で、私は初めて知りました…
愛知県は、全国1位のアサリ漁獲量を誇り、中でも三河湾は遠浅で波も穏やかなため、アサリが生育しやすく、西尾市、蒲郡市の漁獲量が圧倒的に多いとのこと。これも全く知りませんでした。旅に出ると、いつも本当に勉強になります。
そして、日本酒へ。
豊橋で大正9年(1920年)創業の酒蔵、合名会社伊勢屋商店さんの純米酒「不老門」が登場!
コクとキレのある辛口で、いかにも私好みだ(笑)
食欲大暴走(笑) カワハギ煮付け! これも薄味の上品かつ絶妙な味付け。酒が進むしかない…
これまた豊橋で明治45年(1912年)創業の福井酒造鰍ウんの純米吟醸「四海王」夢山水!
奥三河の地で栽培される酒造好適米「華吹雪」を使った純米酒で、フルーティーな味わいが印象的だ。
最後は貝汁でフィニッシュ! すっかりヘベレケになってしまった… 大満足で2軒目不要でした! 「千代娘」さん、また来ます!
この後は、銭湯「人参湯」さんに沈んでから、車中泊へ。日中は激暑だったが、夜になってだいぶ気温が下がったので、何とか寝ることができた。
8/26 晴れ後曇り
3時起床(笑) すぐに車を走らせ、ひたすらR151を北に進む。
最後は「茶臼山口」バス停のある辻を左折し、県道506号線で一気に茶臼山高原に駆け上がる。
最上段の茶臼山高原第2駐車場に車を止める。夜明け前の雲海が綺麗だ。
途中のコンビニで調達したサンドウィッチを頬張ってから、出発準備へ。
5時半ジャストに夜が明けた! だいぶ日も短くなってきました。
日の出と同時に駐車場をスタート! まずは茶臼山を目指す。
駐車場の横から、登山道が伸びている。
登り始めは整備された草原の中をゆるやかに登って行く。自由の丘と言うらしい。
第2駐車場で既に標高1250mを超えており、茶臼山との標高差僅か150mちょっと(笑) 草原を抜けてから、多少の急登はあるものの、楽勝である。
あっと言う間に茶臼山山頂へ。愛知県豊根村と長野県根羽村との県境だ。
非常にあっけないが、これで愛知県最高峰を撃破! これまで都道府県最高峰にあまりこだわりは無かったが、この機会にあらためて数えてみたら、40/47座に登っていた。まだ未登の山のうち、恐羅漢山は、島根県と広島県の両方の最高峰なのと、長崎県雲仙の平成新山は登山禁止なので、実質はあと5座か…
山頂からは、南方の奥三河の眺望が良好。これから向かう萩太郎山の背後に広がる山々は、奥三河の名だたる山々らしいが、土地勘なく、山座同定に苦慮… かろうじて、萩太郎山の右奥の鋭利な山が、三ツ瀬明神山ということは分かった。
早々に下山し、駐車場へ下る。反対側の萩太郎山が良く見えるが、見た目は完全にスキー場だ(笑) あまり行く気は起きないが、展望が良いとのことだったので、寄ってみることに。
リフトを横目にスキー場の中に伸びる舗装路を登り、展望台の建つ山頂へ。
足元の人工物が非常に目障りだが、遠望は凄い! 荒川三山、赤石岳、聖岳の南部の主峰を中心に、南ア主稜のほぼ全てが見渡せた。
先ほどの茶臼山以上に、奥三河の山々が広がるが、やっぱり三ツ瀬明神山しか分からん…
茶臼山も良く見えるが、足元はご覧のあり様(笑)… 下りますか。
まだ7時前なので、第2ラウンドへ。
かつては有料道路だった(平成20年(2008年)4月から無料開放)茶臼山高原道路を西進し、面ノ木峠へ。
峠には広い駐車場があり、周辺は園地として整備され、草原が広がっている。
園地の奥から、天狗棚へのコースが始まっている。登山道は、階段等で過剰気味に整備され、何の問題もない。
広葉樹の森を楽しみながら登って行くと、南北に伸びる稜線の一角に到達。展望台への分岐を右に分けるが、ここは左に取り、天狗棚へ。
あっと言う間に天狗棚山頂に到着。標高1240mと、豊田市の最高峰だが、周囲は平坦かつ木々に囲まれ展望0で、標識が無ければ、山頂とは分からない。
展望0の天狗棚は素通りし、北へ稜線続きの1200高地(天狗の奥山)へ向かう。
ルート整備は、これまでと同様、ばっちりで、ブナの大木が目立つ、素晴らしい稜線歩きを味わいながら進む。
いったん少し下り、ブナに見とれながら、緩やかに登り返すと1200高地(天狗の奥山)の山頂に到着。ここも愛知県豊田市と長野県根羽村との県境で、1229.7mの山頂だが、なぜか1200高地と呼ばれている。山名について、ネットで調べたが、良く分からなかった…
この山頂には三等三角点が置かれているが、先ほどの天狗棚同様、全く展望0… 故に、早々に引き返す。天狗棚を素通りし、面ノ木峠から登って来たルートの分岐まで戻ってきたが、ここはそのまま稜線を直進し、展望台に寄って行くことに。
稜線を南に下ったところに展望台が設置されている。
木々の成長で、見通しが悪くなっているが、東や南方の展望は良好。
画像は、南側を望んだものだが、茶臼山や萩太郎山の時と同様、山名がよく分からない…●
東方を望む。木々の間から、茶臼山と萩太郎山が見える。さすがにさっき登っただけあって、すぐに分かった。
満足して来た道を引き返す。途中で、左手に峠までショートカットするコースが分かれるので、こちらに入り、下って行くと、数分で、登りに使ったルートに合流。ここから面ノ木峠はすぐ先だ。
車に戻り、県道80号線で西方向へ下る。横川渡でR257に合流し、少し北に進むと「稲武町」交差点で、旧稲武町の中心街であった武節町に入った。
地名が色々と混在し、ややこしいなと思って調べてみたら、「稲武」の名は、名倉川の東の稲橋村、西の武節村の総称で、街道の宿場は武節に置かれたが、町並みは川を越えて稲橋まで続いていたため、江戸時代から「稲武」と総称されていた。昭和15年(1940年)に旧稲橋村と旧武節村が合併して稲武町となり、平成17年(2005年)4月に豊田市に編入されて以降も、「稲武」は広域地名として残っている。
「稲武町」交差点を左折し、R153でしばらく西に進むと、道の駅「どんぐりの里いなぶ」があるので、ここに車を止める。
「どんぐりの里いなぶ」は、温泉や産直市場、食堂等が併設された複合施設で、丸1日楽しめそうなので、まだ9時過ぎだが、ここに沈没することにした。
かなりの人気施設のようで、9時に開業したばかりの産直市場「どんぐり横丁」は、いきなり大勢の人で賑わっている。
道の駅のすぐ東の小山に、武田勝頼縁の武節城址があるというので、寄ってみることに。
道の駅からR153を挟んだ反対側に細い車道の入口があり、武節城址を示す道標が立っている。ここが城址への南側登り口になる。
薄暗い車道を登って行くと、左手に山道が分岐し、林の中へ。左へカーブすると本丸と外曲輪を分ける空堀跡に入り、通過後はS字に進むと、本丸跡に到着。
本丸跡の南側背後にさらに一段高い曲輪跡があり、「狼煙台・物見台」の標識が立っていた。
この郭跡には、城山神社が祀られている。
武節城は、永正年間(1504−21年)に現・設楽町の田峯(だみね)城を本拠としていた菅沼定信が築いたとされる。
この地は、信濃・美濃・三河の国境にある要衝で、たびたび戦火に巻き込まれ、特に戦国期には、武田方と徳川方で、何度も戦を繰り返し、城の所有者は何度か入れ替わったが、長篠の戦いの時は、菅沼氏は武田方の配下に組み入れられており、天正3年(1575年)の長篠の戦いに敗れた武田勝頼は、菅沼定忠の案内により田峯城へ立ち寄ろうとしたが、留守を守っていた家老の今泉道善などが反逆を起こして城へ入れず、この武節城まで逃れ、梅酢湯を喫し、1泊の後に、信濃を経由して甲斐へ戻ったと伝えられる。
菅沼定忠も武節城に留まる事はできず、伊那郡に拠点を移して反抗を続けたが、結局、武田氏と共に滅亡した。
長篠合戦の直後、家康の家臣、酒井忠次によって武節城は攻め落とされ、同じく家臣の奥平信昌に預けられたが、天正18年(1590年)の家康の関東移封によって奥平氏も移り、廃城となった。
本丸跡には北側から車道が上がってきており、帰路はこちらを取る。
左にカーブしながら下っていくと、二ノ丸、三ノ丸跡が続けて現れる。特に二ノ丸跡は、一定の平地が残されており、いかにも曲輪があったと思える場所であった。
さらに下ると「どんぐり工房」の前に出た。ここが北側登り口で、左折すると、すぐR153に出て右折した先が道の駅である。
しばらく道の駅で時間を潰してから、道の駅から北側に一段下った三州街道筋に向かう。
街道筋に入ると、平入りの商家が並び、かつて武節宿として栄えた名残が残る。
「三州街道」は、信濃と三河(三州)を結ぶ街道で、名もそれに由来する。「伊那街道」とも呼ばれ、中山道の塩尻宿を起点として、天竜川沿いに伊那谷を南下し、下伊那の駒場・根羽を経て、三州の岡崎で東海道に合流する脇街道である。
この街道は、東海地方の産物を信州へ届け、また、信州産の木材や薪炭等を沿岸部へ送る道で、信州へ運ばれた産品の中で重要だったのが、内陸国では採れない塩であり、このため「塩の道」とも呼ばれた。
街道筋にひと際立派な旧家があり、街道に面した蔵も残っている。この家は、塩の中継ぎ問屋だった「大和屋」で、現在も運送業を営んでいるらしい。
「大和屋」の駒札には、「中馬街道 武節宿」の記載があった。「三州街道」は、「中馬街道」とも呼ばれていて、「中馬」は、農民たちの馬による駄賃稼ぎから発展した、より速く安く荷傷みの少ない輸送手段であり、当街道で盛んに利用されたため、この名が付いたといわれている。
街道筋に面した「ニコ天」さんの始業の11時と同時に入店し、ウナギが名物とのことだったので、ひつまぶしを奮発!
ビールを注入! これで本日は武節町での沈没が確定(笑)
ウナギは、ふっくらジューシーで最高でした…
灼熱の中、道の駅に登り返し、温泉&サウナを堪能! 午睡の後は、マッサージと、まさに至福のひととき… あっと言う間に時は過ぎていく…
温泉内に併設の「お食事処 どんぐり亭」」へ。
ソーセージ食べ比べと冷奴で乾杯! ソーセージは、この辺りの名物で、道の駅で売ってるやつと同じものが提供され、チョリソー、しそ入りなど3種の盛り合わせで、ビールにぴったり!
なぜか豚汁(大)を発注(笑)
そして、隣町の設楽町で元治元年(1864年)創業の、関谷醸造鰍フ代表銘柄「蓬莱泉」を発注!
再びヘベレケになり、車中泊へ… 翌日は寧比曽岳へ向かう。
参考タイム
8/26 | 茶臼山高原第2駐車場 5:30 ⇒ 5:55 茶臼山 5:55 ⇒ 6:15 茶臼山高原第2駐車場 6:15 ⇒ 6:30 萩太郎山 6:40 ⇒ 6:50 茶臼山高原第2駐車場 面ノ木峠 7:15 ⇒ 7:30 天狗棚 7:30 ⇒ 7:55 1200高地(天狗の奥山) 7:55 ⇒ 8:25 天狗棚 8:25 ⇒ 8:35 天狗棚展望台 8:35 ⇒ 8:45 面ノ木峠 |
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