2022−23愛知県の山旅

−極寒の車中泊2泊を含む、愛知県を堪能した5日の山旅−

   

旅程図

旅の概要

日 程
2022年12月29日(木)〜2023年1月2日(月)
メンバー
単独
旅 程
12/29
枚方〜大山・衣笠山登山〜田原〜豊橋
12/30
豊橋〜本宮山登山〜豊橋〜岡崎〜足助〜豊田
12/31
豊田〜猿投山登山〜名古屋(今池)
1/ 1
名古屋(今池)〜名古屋市街散策〜名古屋(今池)〜大須観音〜名古屋駅〜名古屋(今池)
1/ 2
名古屋(今池)〜尾張富士・尾張本宮山登山〜枚方

プロローグ

 恒例の年末年始休暇を活用した山旅。昨年は初瀬街道を榛原から名張・青山高原を経て松阪まで歩いたが、今年はなかなか行き先が決まらなかった…
 消去法で、今までなかなか行く機会のなかった、愛知県の山々に向かうことにし、ヤマケイの「愛知県の山」を購入し、プランを検討したのであった。

旅行記

 12/29 晴れ時々曇り

 京都を5時過ぎに発進。快調に新名神を進み、音羽蒲郡ICから渥美半島に侵入、南下を続け、半島西端に近い大山をまずは登ることにし、登山口である、あつみ大山トンネルの北口を目指す。
 北口のすぐ手前に広い駐車場がある。1台も止まってない…

 大山・衣笠山山行記へ

 衣笠山から下山後、再び車を走らせる。
 後は、本日の寝ぐらとして考えている豊橋市内に向かうだけだが、近くに田原城跡があるので、立ち寄る。

田原城本丸跡に建つ巴江神社 14:16

 田原城二の丸跡に田原市博物館が建っており、その駐車場に車を止め、本丸へ。
 石垣が残っており、本丸跡へ登る。本丸跡には、現在、巴江(はこう)神社が建っている。
 巴江神社は、文化12年(1815年)6月、三宅氏12代の康和が遠祖である児島高徳(備前国出身の南朝方の忠臣)を江戸麹町の本邸に創祀したのが始まりで、その後、家督を継ぎ、田原城主となった康和が、城中に二の丸社を建立、これが後の巴江神社となる。

 田原城は、室町期にこの辺りを領していた、戸田氏によって築城され、戦国期になり、今川氏、徳川氏へと城主が変わり、秀吉の天下統一後、天正18年(1590年)、関東に移った家康の後には、吉田城(豊橋)に入封した池田輝政の持ち城となり、輝政の統治期に、石垣の修築や曲輪の整備などが行われたと推定されている。
 江戸期になると、田原藩1万2千石の居城となり、譜代大名の戸田氏、次いで三宅氏が入封、そのまま明治維新を迎え、田原城も取り壊された。
 田原城は、海に面した小さな丘に築かれており、海や水堀に囲まれた城郭の形状から別名を巴江城とも呼ばれた。
 17世紀後半頃に行われた大規模干拓により、現在は水城の面影は全くなくなっている。

豊橋の「189通り」 16:11

 田原城跡を後に、豊橋へ向かう。JR豊橋駅南の「タイムズ豊橋駅東」に無事車を止める。24時間800円だ。
 豊橋駅近くの「日の丸や」さんというお店の評判が良かったので、始業の17時から予約できたが、まだ16時前…
 さすがに呑める店はないか… と「日の丸や」さん近くをフラフラ歩いていたら、「日の丸や」さんを含め、駅西口の北側にレトロな呑み屋が建ち並ぶ一角を発見。
 後で調べてみると、この辺りの番地が全て189番地なので、「189(わんぱく)通り」と呼ばれているようだ。

「呑ちゃん」さんで、ウォーミングアップ! 16:22

 この時間で既に何件か営業しており、その中の「呑ちゃん」さんに飛び込み、ウォーミングアップ開始!
 立ち飲みの店で、女将一人で切り盛りしておられます。年末で欠品が多かったのはマイナスだったが、居心地の良い店でした。

「日の丸や」さんで、おばんざいを@! 17:04

 17時になったので、すぐ近所の「日の丸や」さんへ移動。1階カウンターはすぐ一杯になった…
 オリオンビールで開幕!

「日の丸や」さんで、おばんざいをA! 17:06

 こちらの名物の一つはクジラ料理なのだが、先週、南紀で堪能したので、この日はもう一つの名物である、おばんざいを味わうことに。
 まずは、麻婆豆腐! どれも一皿380円とコスパ良好〜

「日の丸や」さんで、おばんざいをB! 17:06

 続いて、豚皮串2本!

「日の丸や」さんで、おばんざいをC! 17:29

 本気の豚汁(笑) 次に行きたい店があったので、3品で終了〜

「立喰い焼肉 おやびん」さんをハシゴ@! 18:03

 豊橋駅西口のすぐ西にある「立喰い焼肉 おやびん」さんへ移動。人気店で並ぶのを覚悟したが、何とか滑り込めた。
 厚切りタンとハラミでスタート!

「立喰い焼肉 おやびん」さんをハシゴA! 18:20

 中落ちとしいたけ! 他にも様々な部位があり、もっと食べたかったが、もうお腹いっぱい。無念の撤退…

「人参湯」さんに沈没… 20:03

 すっかり良い調子で、豊橋駅東側の「人参湯」さんへ。
 人蔘湯は、戦後すぐに営業を開始し、長年地元で愛されてきたが、設備の老朽化により令和2年9月に一度廃業した。その後、銭湯大国、京都に拠点を構える「銭湯継業」の専門集団「ゆとなみ社」が運営を引継ぎ、令和3年4月にリニューアルオープンした。
 「銭湯継業」の専門集団っていうのがあるんですね。初めて知りました。
 本日の活動はここで終了〜 車に戻り、極寒の車中泊でしたが、いつものように爆睡しました。

 






   

 12/30 晴れ後曇り

 5時起床! 寒い(笑) 車のガラスはバキバキ(笑)
 車内が温まる前に、すぐに車を走らせ、駅近くの吉野家へ。

朝から「吉野家」で牛丼(笑) 5:37

 吉野家に到着。ようやく車内が暖まってきたので、駐車場で着替えを済まし、店内へ。
 朝から、牛丼アタマの大盛でパワーチャージ!
 本日は本宮山を目指す。R1からR151に入り、JR飯田線に沿って北に進み、JR長山駅の辺りで左折し、本宮山山麓の豊川市のウォーキングセンターへ。

ウォーキングセンター 6:26

 ウォーキングセンターは、まさに本宮山登山の拠点で、トイレも完備。30台ほど止められる駐車場もあるが、6時半でほぼ満車(笑)
 本宮山がいかに地元の方々に愛されているかが良く分かる。
 まだ、夜も明けきらぬ中だが、次々と山に向かう人たち。私も連られて出発する。

 本宮山山行記へ

 まだ10時前だ(笑) 昼食は豊橋に戻って、名物の「豊橋カレーうどん」を食すか。
 豊橋に戻り、市内中心部の駐車場に車を止める。
 ちょうど有名店の「玉川 豊橋広小路本店」さんの始業の10分程前に到着できた。始業時は6人程の並びだったので、スムーズに入店。

「玉川 豊橋広小路本店」さんで「豊橋カレーうどん」を堪能@! 11:14

 ノーマルの豊橋カレーうどんに三元豚のロースカツをトッピング! 旨い!
 「豊橋カレーうどん」は、豊橋市内に店舗を構え「豊橋?類組合」に加盟し、かつ、提供店で構成される「チーム華麗」に加盟する店舗のみが販売できるご当地グルメで、豊橋観光コンベンション協会が、地域おこしの一環で、平成21年(2009)年夏頃から構想していたメニューを地元の麺類組合に開発を依頼し、ご当地グルメによる地域おこしがブームになっていること、豊橋市のうどんは100年以上の歴史があり、うどんの消費量も多いことなどに着目して企画された。
 豊橋市と商工会議所の協力の元、8回の試食を経て、ようやく平成22年(2010年)4月に、豊橋市内の40店で発売された。

「玉川 豊橋広小路本店」さんで「豊橋カレーうどん」を堪能A! 11:28

 うどんを完食すると、とろろが出現。この下にご飯が埋まっている。とろろとカレーを絡めてご飯を食す。旨い!
 「豊橋カレーうどん」を名乗るには五箇条の掟があり、
 @うどん麺は自家製麺とする。
 A器の底から、ご飯、とろろ、カレーうどんの順に盛る。
 B日本一位の生産量を誇る「豊橋産のうずら卵」を具に使用する。
 C福神漬または壺漬けを添える。
 D愛情を持って作る(笑) らしい… 美味しかったです!

六所神社楼門 12:39

 明日は猿投山に登ろうと思ったので、豊田市辺りで寝るか… と言う訳で、西に移動することにし、途中の岡崎市内を巡るか… 岡崎には4年前に訪れたが、岡崎城跡を訪れたのみだったのだ。
 家康をはじめ、松平家(徳川家)縁の地巡りということで、まずは六所神社へ。極彩色の楼門が迎えてくれた。
 楼門は、は貞享5年(1688年)の建立で、国指定の重要文化財。楼門前の石段は、5万石以上の大名だけが上がることを許されていたという。

六所神社本殿 12:41

 六所神社は、飛鳥期に斎明天皇の勅願により、塩釜の六所大明神を勧請され、神領をご寄進のうえ創立されたと伝わる。その後、桓武天皇の御世に、征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐のためご下向なさる折にご祈願、天皇に奏聞し、勅許のうえ再建され「六所大明神」の勅額を下賜された。
 その後、松平氏発祥の地である松平郷(現・豊田市松平町)の六所神社から祭神の勧請を受けて、徳川家康の祖父松平清康が現地に創建し、家康の産土神として江戸幕府の厚い保護を受けた。
 本殿、幣殿、拝殿は、寛永11年(1634年)から13年(1636年)にかけて、徳川家光の命を受けて改築されたものであり、3棟一体で、国の重要文化財に指定されている。

伊賀八幡宮随神門 12:58

 続いて、伊賀八幡宮へ。
 随神門をくぐる。本殿、拝殿等とともに、慶長年間(1596−1615年)に家康により整備され、国指定の重要文化財である。
 伊賀八幡宮は、松平家第4代親忠が、文明2年(1470年)に氏神として伊賀八幡宮を勧請し、松平家の守護神として創建された。
 その5年後に菩提寺として創建された大樹寺と共に、江戸時代にわたり将軍家の厚い崇敬を受けた。
 家康も、大きな合戦の際には必ず参詣したといわれ、徳川家の武運長久・子孫繁栄の守護神とされている。

伊賀八幡宮拝殿 12:59

 本殿、幣殿、拝殿らとともに、国指定の重要文化財。
 伊賀八幡宮の祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后で、後に3代将軍家光が祖父(東照大権現)を祀った。
 岡崎の春の風物詩である家康行列の出発地で、家康公の戦勝祈願に習って出陣式が行われる。

伊賀八幡宮神橋 13:05

 境内の池に架かる神橋。現在は渡ることはできない。この神橋も国指定の重要文化財である。
 7月に開花する蓮も、今は枯れはてていた…

歴史的眺望ビスタライン 13:17

 続いて、大樹寺へ。三門の前から南側を望むと、総門(現在は大樹寺小学校の南門)の間に約3km先の岡崎城天守閣が見通せる。
 この大樹寺と岡崎城を結ぶ直線は、「眺望・展望」を意味する「ビスタ」を用い、「ビスタライン」と呼ばれている。
 これは3代将軍家光が、寛永18年(1641年)の家康十七回忌を機に、徳川家の祖、松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来している。
 この歴史的眺望は、法や条例による保全のための規制がない中で、ライン上で生活される方々が眺望を遮らないように配慮して建築することで守られてきた。
 その後、平成24年(2012年)7月に景観法に基づく「岡崎市景観計画」が策定、「ビスタライン」は「景観形成重点地区」に指定され、緩やかな規制(勧告)が導入された。さらに、平成30年(2018年)4月に計画が変更され、新たに「眺望景観保全地域(特別地域)」に指定され、より強制力のある規制(命令)に移行している。

大樹寺三門 13:18

 巨大な三門から境内へ。
 三門は、寛永18年(1641年)の棟札に幕府大棟梁の木原藤原朝臣義久、大工の平内大隈守正信の名が確認でき、幕府の直轄工事で建築されたことが判明している。
 三間一戸重層門、入母屋造、本瓦葺で、両脇に山廊がつく本格的な禅宗様の門で、規模は桁行約10m、梁間約6mと大型である。浄土宗寺院では、寺格の高い寺院にこの種の門がみられ、愛知県内では、最大級の重層門で幕府の棟梁が係わった質の高い貴重な遺構であり、愛知県指定文化財である。

大樹寺本堂 13:19

 大樹寺は、文明7年(1475年)に松平家4代親忠が菩提寺として創建した一時衰退したが、天文4年(1535年)に7代清康により伽藍が再興され、多宝塔はその時の建立。
 3代将軍家光は寛永13年(1636年)に大造営を行って寺観を整え、現在の三門、総門、鐘楼、旧裏一の門、裏二の門はその時に建立された。安政2年(1855年)の火災で主要堂宇を失ったが、同4年(1857年)には本堂、大方丈、小方丈、庫裏などが再建され、いまもなお徳川家・松平氏の菩提寺に相応しい威厳ある浄土宗伽藍を維持している。
 この大樹寺伽藍も愛知県指定文化財である。

大樹寺多宝塔 13:35

 本堂内部を拝観してから、多宝塔へ。
 この多宝塔は、境内においては唯一の室町時代の遺構であり、心柱銘から天文4年(1535年)の立柱と知られる。塔は和様で造られており、一辺約4.3mで、上下層の釣合いが良く、蟇股や木鼻などから室町時代後期の意匠がよくわかる貴重な建築物であり、国指定の重要文化財である。
 大樹寺を後に、市街から北東の山間にある瀧山寺に向かう。山麓の駐車場から急な登りで山上の境内へ。

瀧山寺本堂 13:53

 瀧山寺は、「瀧山寺縁起」によれば、 奈良時代、 天武天皇の命で役行者が青木川で拾った金色の薬師如来像を祀る吉祥寺として創建したとされる。
 本堂は、桁行5間、梁間5間の寄棟造、檜皮葺で、前2間を外陣(礼堂)、その後方3間を内陣とし、外陣、内陣の間を格子で仕切る密教系の本堂であり、建立年代は「瀧山寺縁起」から貞応元年(1222年)とされてきたが、様式的に見て14世紀後半頃の建立と考えられており、国指定の重要文化財である。
 また、寺宝の聖観音・梵天・帝釈天三尊像は、鎌倉時代の最高のの仏師運慶・湛慶父子の作であり、これらも国指定の重要文化財。聖観音像は頼朝公の等身大で、仏身に御髪と御歯が納められている。
 重要文化財の本堂に巨大な松明を30数本持ち込むことから、天下の奇祭とも称され、毎年2月初旬に開催される「瀧山寺鬼まつり」でも有名。

日吉山王社本殿 13:55

 瀧山寺本堂の北裏には、日吉山王社が鎮座する。
 寺伝によると、瀧山寺中興の祖、仏泉永救により、保安3年(1122年)に瀧山寺の守護神として、近江国日吉大社より勧請されたもので、神仏習合の貴重な建造物である。
 近世に入り、慶長13年(1608年)に家康によって社殿が建立され、現在の社殿は、正保2年(1645年)に家光が瀧山東照宮を建立した際に、再建されたものされている。
 本殿は、山王7神を祀るため、7間社流造で、内部を1つの空間とする全国的にも珍しく学術的に重要な遺構であり、岡崎市の指定文化財である。
 建物の痛みが激しくなってきた平成31年(2019年)4月に保存修理工事が着工され、令和3年(2021年)3月に完了した。お堂はピカピカでした。

瀧山東照宮拝殿 13:56

 瀧山寺の東隣には瀧山東照宮が鎮座する。
 瀧山東照宮は、本来、大樹寺境内に造営される予定で、3代将軍家光から指示がされていたが、結局、岡崎城の鬼門に当たる場所に位置する、瀧山寺内に造営されることとなり、正保3年(1646年)8月に完成し、9月17日に法要が営まれた。
 日光、久能山と並ぶ日本三大東照宮の一つとされることがあるらしいが、それはちょっと(笑)…
 本殿や拝殿等は、国の重要文化財に指定されている。残念ながら、本殿は修理中で、ブルーシートの中でした…

足助川 14:57

 まだ時間があるので、愛知県で初めての重要伝統的建造物群保存地区に選定された、豊田市の足助地区に行くことに。
 瀧山寺から40分ほどで足助に到着。巴川沿いにある足助西町第2駐車場に車を止める。普段は有料のようだが、この時期のせいか、無料開放されていた。
 早速、町中を散策。足助の町は、足助川を挟んで両サイド約2kmにわたって、古い町並みが並んでいる。夕暮れの足羽川。なかなかに旅情を掻き立てられます…

足助の町並み(本町) 15:01

 足助川を渡り、新町から本町に入る。
 足助を通る現在のR153は、江戸時代には伊那街道、明治以降には飯田街道と呼ばれた街道で、中山道の脇往還として、庶民の生活にとって重要なルートだった。
 三河湾で採れた塩や海産物を信州や美濃地方へ運び、帰りには山の産物を持ち帰って、尾張や三河方面に送り出していた。天保年間(1830−43年)には塩問屋が14軒もあったといわれている。

足助神社 15:11

 駐車場の方に戻り、香嵐渓の玄関口である宮町にやってきた。足助神社と足助八幡宮が並んで鎮座する。
 足助神社は、鎌倉期にこの辺りを拠点とした御家人足助氏の七代目惣領で、弓の名手としても知られる足助次郎重範を祀る。
 重範は、元弘元年(1331年)、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の旗をあげ、笠置山に立て籠った際(元弘の変)に、いち早く馳せ参じ、篭城軍の総大将として、幕府方の大軍を相手に強弓を以て荒尾九郎・弥五郎兄弟を討ち取るなど奮戦したが、笠置山の陥落後に捕縛され、翌年5月3日、京都六条河原で処刑された。
 重範の死後、足助氏は全国に散り散りとなった事や、三河地方は室町幕府の重臣を多く輩出した土地である事から、地元においても重範は永らく「賊軍の将」として語るのを憚られてきたが、明治になり名誉を回復、顕彰運動が活発化し、ついに、明治35年(1902年)に新たに創建された。

足助八幡宮 15:15

 西隣の足助八幡宮へ。古くから足、旅、交通の守護神として信仰されている八幡宮だ。
 足助八幡宮の創建は天武天皇白鳳2年(673年)と伝えられ、慶長17年(1612年)に奉納された「鉄砲扇的打図」は全国でも数枚しか現存していない、鉄砲を描いた古い絵馬であり、昭和39年(1964年)開催の第18回東京オリンピックのライフル射撃競技の手帳表紙図案に採用されており、愛知県の指定文化財である。
 また本堂は、室町時代の文正元年(1466年)11月の建立で、檜皮葺三間社流造。室町時代の建築様式を今に伝え、国の重要文化財に指定されている。

足助八幡宮のスギ 15:19

 境内には大杉が数本。樹高41m、幹回りは5.5mを誇る。樹皮は案内板によれば、厚さ5cnもあるらしい。
 社務所前のイチョウとともに、豊田市指定の天然記念物である。

寒々しい香嵐渓 15:23

 巴橋に戻り、上流方向の香嵐渓を望む。
 香嵐渓は、矢作川支流巴川がつくる渓谷で、、香積寺11世の三栄和尚が、江戸時代の寛永11年にモミジを植樹したことが始まりとされ、現在、モミジは約4000本以上あるとされ、全国有数の紅葉の名所として有名だ。
 しかし、当然ながら、この時期、葉は全て落ち、寒々しい光景が広がっていた。

マンリン小路 15:30

 標識を見て、見どころの一つである「マンリン小路」を見逃していたので、再び新町へ戻る。
 「マンリン小路」は、足助の町並みのなかでも、最も美しいといわれている小路で、黒い板壁と白い漆喰のコントラストが美しい。
 名の由来は、旧街道筋に面し、「マンリン小路」を形成する本屋さんの屋号「マンリン書店」から来ている。

マンリン書店 15:34

 「マンリン」という名は、お店の屋号が萬林商店で、当主は代々林右衛門を名乗ったことから、名付けられた。
 書店では書籍などを取り扱っており、特に書籍については自然や町づくりに関する本が豊富に取り揃えてある。喫茶店も併設している。

足助の町並み(新町) 15:35

 あらためて、新町の町並みを見渡す。
 駆け足だったが、足助は良い町でした。ようやく、本日のねぐらに決めた豊田市内中心部へ移動する。
 駐車場は色々と悩んだ末、名鉄豊田市駅から少し東側に離れた、NPC24H豊田元城町1丁目パーキングに止めた。24時間900円とまずますの料金。

「とんぼ にしまち店」さんで孤独宴@! 16:46

 昨日に引き続き、17時前という微妙な時間だが、我慢できず、呑める店を探して駅前をフラついていたら、「とんぼ にしまち店」さんが16時から営業していた。
 既にほぼ満席のところ、「1時間半以内でしたら…」と言われ、「余裕でOKです」と何とか店内へ。
 今日は1日歩き回ったので、ビールが染みる… 旨い!  集団の宴会客がほとんどで、大いに盛り上がっており、孤独感MAX(笑)

「とんぼ にしまち店」さんで孤独宴A! 16:53

 ド定番のとりの唐揚!

「とんぼ にしまち店」さんで孤独宴B! 16:53

 カワハギの刺し! キモ付きですが、サイズが小さい…

「とんぼ にしまち店」さんで孤独宴C! 16:59

 ホタテカニミソ焼! これは珍しい。

「とんぼ にしまち店」さんで孤独宴D! 17:15

 食欲暴走! 鉄火巻でフィニッシュ! 1時間半きっちりで退散…

イルミネーション 18:05

 豊田市駅と新豊田駅の間にあるペデストリアンデッキに設置されたイルミネーション… 年末ムード一色で、さらに孤独感が高まる…
 風呂に入りたかったので、愛知環状鉄道で一駅先にある「豊田 挙母温泉 おいでんの湯」へ向かう。

「豊田 挙母温泉 おいでんの湯」さんへ 18:18

 風呂は超満員だった。サウナも長居できず、そそくさと風呂を上がる。
 豊田市駅に戻り、車に戻るが、呑み足りず、途中見つけた店に吸い込まれる私…

「味彩屋 いっぽ」さんをハシゴ@! 20:16

 「味彩屋 いっぽ」さんへ。基本、天ぷらのお店みたいだが、なぜか韓国のりを発注(笑)

「味彩屋 いっぽ」さんをハシゴA! 20:26

 うずら卵と長芋!

「味彩屋 いっぽ」さんをハシゴA! 20:28

 ラストはエビ! ご馳走様でした!

桜城址公園 21:08

 フラフラと車に戻る途中、公園内に石垣を見つけたので、立ち寄ってみる。
 調べてみると、江戸期にこの辺りを治めていた挙母(ころも)藩2万石の居城として築かれた城で、佐久良城(桜が多かったので桜城と呼ばれることが多い)という。
 寛延2年(1749年)に挙母藩に内藤政苗(まさみつ)が入封し、宝暦6年(1756年)には、それまで陣屋程度の規模であった佐久良城の大改築に着手し、三重の本丸櫓、二重の隅櫓、周囲720mの濠を巡らした総面積32haの本格的城郭計画であったが、改築中の明和4年(1767年)、矢作川の大洪水に見舞われ、その後も度重なる洪水の被害を受けたため、改築を断念し、代わりに挙母城(七州(しちしゅう)城)が築かれることになり、佐久良城は廃城になった。
 現在は、隅櫓の石垣が残るのみとなり、公園として利用されている。
 車に戻り、この日も爆睡… 盛り沢山な2日目でした。

 






   

 12/31 曇り

 大晦日は昨日より1時間早い4時起床! 寒い(笑) この日も車のガラスはバキバキ(笑)
 気合で着替えを済ませ、猿投山の登山口である猿投神社を目指すが、この日も途中の牛丼屋に吸い込まれる(笑)…

朝から「なか卯」で親子丼(笑) 4:33

 昨日の吉野家に続き、この日はなか卯(笑) 蟹あんかけ塩だし親子丼で朝からパワーチャージ!
 無事に猿投神社に到着。登山口に近い登山者用第1駐車場は、神社の横を抜け、猿投川を少し遡ったところにある。
 トイレもあり、50台ほど止められるが、私が5時半頃に到着してから5分ほどで満車になってしまった。昨日の本宮山に匹敵する凄い人気の山のようだ。団体が多い印象。登山口から少し遠くなるが、猿投神社の東方に第2駐車場も用意されていて、こちらは100台以上止められるようだ。
 車道終点の御門杉までの路肩スペースなどにも駐車できるので、そこに止めるのが最短ルートとなるが、やめといた方が無難かと…
 ゆっくりと準備を進め、いざ猿投山攻略戦へ。

 猿投山山行記へ

 昨日に引き続き、この日も10時前に下山(笑) まずは猿投神社に参拝だ。数百m下流の猿投神社すぐ横の参拝者用駐車場へ移動し、参拝する。

猿投神社社殿 9:51

 猿投神社の創祀は社伝によれば仲哀天皇元年勅願により現在の地に祀るとあるが、不詳。国史の初見は、「文徳実録」仁壽元年(851年)十月七日の條で、「従五位下の叙された」とあり、平安期から続く相当の古社である。三河國三宮に当たる。
 主祭神は、大碓命(おおうすのみこと)。古墳時代の第12代景行天皇の息子で、小碓命(おうすのみこと:日本武尊)の双子の兄にあたる。
 大碓命はこの地の開拓に尽くしたとされ、猿投山で毒ヘビのために亡くなったとされており、猿投神社の主祭神である。猿投神社では古くから左鎌を奉納して祈願する風習があるが、大碓命が左利きであったことから、左鎌を用いて開拓されたことを慕ったことが縁起ではないかと言われている。

猿投神社三の鳥居と四方殿(奥) 9:53

 猿投神社は、猿投まつりの舞台としても有名で、毎年10月の第2土曜に試楽祭、翌日曜に本楽祭が執り行われます。試楽祭では、幻想的な神輿渡御と、力強い棒の手の奉納などが、本楽祭では、棒の手や巫女舞などの奉納が行われる。

 この日と明日は、さすがに車中泊は空しすぎるということで、名古屋の今池にカプセルサウナを予約していたので、今日は昼呑みするつもりで名古屋市街に直行する。
 11時前に今池に到着。チェックインは14時からなので、まずは提携駐車場に車を止め、昼呑みへ出撃。しかし、大晦日のせいか、適当な店は全て閉まっており、難民と化した…
 今池を離れて、大須観音辺りにでも行くかと思ったが、偶然空いている店を発見したので、とにかく突入。

「やぶ屋 今池本店」さんで背徳の大晦日昼呑み@! 11:11

 今池駅近くの路地に「やぶ屋 今池本店」さんが営業していた。何と24時間営業! 素晴らしい!
 サッポロの赤星でスタート!

「やぶ屋 今池本店」さんで背徳の大晦日昼呑みA! 11:22

 七輪焼きのやぶ屋名物「塩とんちゃん」! ビールが進む…

「やぶ屋 今池本店」さんで背徳の大晦日昼呑みB! 11:22

 鶏せせりの塩焼き! ハイボールにチェンジし、杯が進む…

「やぶ屋 今池本店」さんで背徳の大晦日昼呑みC! 11:29

 篠島産の生タコチョイ炙り! 昼から止まらない…

「やぶ屋 今池本店」さんで背徳の大晦日昼呑みD! 11:43

 最後はホッピー! 昼からベロベロ…
 何とか無事にチェックインし、サウナと水風呂で整え、マッサージという至福のひと時を過ごす。
 あっと言う間に夕方となり、名古屋駅へ出撃する。この日は今年頑張った?自分へのご褒美として、寿司屋さんを予約していたのだ。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑み@! 17:53

 豪華ウニの食べ比べと季節の握り・逸品料理のフルコースを予約していた。17000円也!
 こじゃれた前菜料理でスタート!

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みA! 18:02

 答志島のサワラ! 脂ノリノリ〜

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みB! 18:08

 本マグロの中トロで、握りスタート! 一瞬で溶けた〜

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みC! 18:09

 三重県産平目! 歯ごたえが凄い!

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みD! 18:10

 本マグロの赤身! ねっとりもっちり!

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みE! 18:11

 真鯛を竹炭塩で。塩ですが甘味を感じる逸品。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みF! 18:13

 5貫目はブリ! これも脂ノリノリです。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みG! 18:14

 コースの目玉である、ウニの3種食べ比べ! 左から、バフン、ムラサキの塩水、ムラサキウニ! バフンが一番甘かったです。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みG! 18:22

 寿司は日本酒でしょう! 地元の知多郡阿久比町で、創業100年以上を誇る丸一酒造さんの「ほしいずみ」の純米大吟醸!
 濃厚フルーティ!

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みH! 18:31

 イクラと白エビの小丼!

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みI! 18:36

 サワラの幽庵焼き! 味が染みてます。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みJ! 18:44

 ボタンエビにキャビア乗せ!

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みK! 18:48

 茶碗蒸し! カニの身が大量に格納… 出汁も旨い!

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みL! 18:56

 ハマチ! これもプリップリ! ブリよりはあっさりしてます。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みM! 18:56

 福井の永平寺町で、創業文化元年(1804年)! 200年以上の歴史を誇る黒龍酒造さんの「九頭竜」の純米酒!
 これもフルーティ! 一瞬、白ワインかと思いました。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みN! 19:05

 出ました! 金目鯛! 色が美しすぎる。クセのない甘味が染みる〜

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みO! 19:08

 アナゴ来ました〜 タレは甘すぎず、私好みでした。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みO! 19:14

 巻き物が来た〜 トロタクですね。

「鮨 さわ田」さんで極上の大晦日呑みP! 19:17

 ラスト10貫目は釧路の赤ウニでフィニッシュ!
 大満足でした〜

「きっちょううどん 今池店」さんで〆! 20:24

 フラフラと今池に戻りカプセルサウナに戻るつもりが、うどん屋さんに吸い込まれてしまう… 年越しそばならぬ年越しうどんだ…
 とろろうどんと生ビール! 帰宅してから調べたら、何と宮崎県のチェーン店でした。店のこだわりとして、
 @手作り麺
 A粉雪のような天かす
 B伊予産いりこだし
 C利尻こんぶ
 D青とうがらし
 E無添加 らしいです。韓国推しの紅白歌合戦に毒づきながら、食べました…
 3日目終了〜 こんな年越しで良いんでしょうか?

 






   

 1/1 晴れ時々曇り

 令和5年が明けた。カプセルだが、さすがに車中泊とは寝心地が雲泥の差(笑)で、寝過ごしてしまう(笑) 6時過ぎの起床。
 この日は名古屋市街を軽く散歩して、昼呑みに移行するという、正月から怠惰極まりないプラン。
 散歩コースは、近鉄の「てくてくマップ」を参考にした。と言う訳で発着地の名古屋駅へ地下鉄で向かう。

朝食は3日連続の牛丼チェーン(笑) 7:09

 太閤通口側に向かい、「吉野家」に吸い込まれ、Wハムエッグ牛小鉢定食で朝から満腹(笑)
 反対側の桜通口へ向かい、歩行スタート!

 名古屋市街散策記へ

 さぁ、この日も呑むか(笑) しかし、元旦の10時前から空いている店など当然なく、昨日昼呑みした、24時間営業の「やぶ屋 今池本店」さんに一縷の望みをかけて、地下鉄で今池に戻ったが、閉まってた… そりゃそうですよね…

またもや牛丼チェーン(笑) 10:19

 「すき家」へ突入(笑) 牛皿と炭火焼きほろほろチキンをアテに呑み始めるが、ビール中瓶の注文は一人2本まで…
 本年初パチスロで時間をつぶし(収支15000円プラス)、ランチタイムになったので、大須観音へ移動する。

大須観音 13:46

 お店を物色するが、せっかくなので、大須観音に参拝しようと思ったが、何と大行列で1時間待ちとのことで、あっさり諦め、商店街へ。

「大寿喜」さんで昼呑み@! 13:52

 「大寿喜」さんの唯一空いていたカウンター席に潜り込むことに成功!
 付き出しはサツマイモのポテサラ。生が染みる…

「大寿喜」さんで昼呑みA! 14:05

 しめ鯖! めっちゃ肉厚です!

「大寿喜」さんで昼呑みB! 14:12

 モヤシとニンニク芽炒め!

「大寿喜」さんで昼呑みC! 14:16

 ボタン海老の刺し!

「大寿喜」さんで昼呑みD! 14:25

 どぶろくまで手を出してしまい、すっかりヨロヨロに…

この日3軒目の牛丼チェーン(笑)! 15:46

 今池に戻って、サウナに入ろうと思ったが、何故か「なか卯」に吸い込まれてしまった(笑) 本日3軒目の牛丼チェーン(笑) 元旦から何を考えているのか(笑) ロクでもない年明けだ。
 カツとじ皿と鶏唐に生中の追撃戦!
 フラフラになってカプセルサウナに帰還。この日もサウナと水風呂からのマッサージという勝利の方程式で、すっかり転寝…
 気が付けば、21時過ぎになっていた…

サウナ併設の食堂で寝酒! 21:14

 ソーセージ盛り合わせとホルモン鉄板焼きで、元旦終了〜 人生一怠惰な元旦だったと思う(笑)…

 






   

 1/2 晴れ

 カプセルが快適で、この日も寝過ごした… 6時半起床… この日は犬山市南部の尾張富士と尾張大宮山に登るつもり。いずれも300mもいかない低山で、コースタイムも短いが、今日は帰宅する予定だったので、あまり遅くなると、高速の渋滞が気になる。
 と言う訳で、若干焦り気味で出発。朝食もいつもの牛丼ではなく、コンビニで適当に済ませ、尾張富士登山口の大宮浅間神社の駐車場へ。境内から一段下がった駐車場に止めたが、境内にある駐車場の方が近かった。止めてから気付いた…

 尾張富士・尾張大宮山山行記へ

 あとは枚方まで帰るだけ。何ともお気楽な年末年始山行だった。





諸国名山探訪

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