熊野古道中辺路その1(紀伊田辺〜滝尻)

−いよいよ中辺路へ。海辺から山へ分け入る−

   

 青線が今回のルート。(赤線は近世以降の潮見峠越えルート(2017年12月29日踏破!))

山行概要

日 程
2015年12月30日(水)
山 域
熊野古道中辺路
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
JR紀伊田辺駅=0:15=高山寺=0:20=秋津王子跡=0:40=万呂王子跡=0:10=三栖廃寺塔跡=0:15=三栖王子跡=0:25=八上神社=0:10=田中神社=0:30=稲葉根王子宮=0:30=一ノ瀬王子跡=0:40=鮎川王子跡=0:10=住吉神社=0:15=御所平=0:45=北郡橋=0:10=清姫の墓=0:25=滝尻王子社【5:40】

記録文(写真はクリックで拡大)

 11月末に紀伊田辺まで到達、紀伊路をコンプリートし、いよいよ中辺路へ。大阪天満橋から熊野本宮大社まで、240キロの長い旅路も残り3日行程を残すのみとなった。
 もっと穏やかな時期にしようかと思ったが、これから超繁忙期を迎えるし、はやる気持ちを抑えられず、年末年始の休暇でケリをつけることに(結果的には、3日間とも好天に恵まれ、また、極寒の時期だけに、世界遺産による喧噪も避けることができ、大正解だった)。

 前日に枚方の実家に泊まり、4時に発進。途中、買い出しを済ましながら、今日のゴール地点である滝尻には6時過ぎに到着。ゴールに先に車を止めるのは、少々興ざめで、できればやりたくないのだけれど、バスの本数が少なく、時間を気にせず歩くことができるので、こちらにした。
 熊野古道館の駐車場に車を止め、7時7分発のバスを待つ。本日快晴の故の激しい放射冷却で、めっちゃ寒い。おまけにバスは5分ほど遅れて到着。凍え死ぬかと思った…

 1箇月振りの紀伊田辺駅へ到着。8時ちょうどに歩き出す。滝尻まで7時間弱あり、気ははやるが、3日連続でそれなりの距離を歩かなければならないので、足を痛めないように、スローペースに努める。
 駅から北に向かい、すぐにJRを踏切で渡り、さらに北へ。はるか果無山脈を源とする会津川に突き当たる。架けられた歩行者専用の橋を渡り始めると、前方に立派な山門が現れ、高山寺に到着。

高山寺多宝塔 8:21

 高山寺は、弘法大師が開創したとされているお寺で、「弘法さん」の名で親しまれている。
 多宝塔は1816年に建造されたもの。多宝塔は真言宗寺院の根本的な中心となる建造物で、一般には大日如来を祀っているが、ここ高山寺では聖徳太子を祀り、その名も上宮閣という。
 境内の石段を使って、地元の田辺高校の野球部がトレーニング中だった。
 高山寺を後に、会津川、そして右会津川に沿って遡る。秋津橋を渡り、紀伊民報の社屋横から住宅地に入っていく。

秋津王子跡 8:45

 秋津王子跡は、マンションの前にぽつりと石碑が立つのみである。
 会津川の水害のため転々としたらしく、近くの竜神橋北側にも石碑がある。
 後鳥羽院の熊野御幸に随行した歌人、藤原定家が書き残した日記「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「参秋津王子」と記述が見られる。
 南東へ進み、今度は左会津川に沿って進む。須佐神社の前で県道に合流し、しばらく車に注意しながら進むと、大谷橋で再び左会津川に出合い、車の少ない左岸の地道沿いに進む。

万呂王子跡 9:25

 次の万呂(まろ)王子跡もまた、県道の傍ら、王子屋敷と呼ばれる広々とした田圃の前に標識が立つのみである。
 「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「秋津王子を過ぎて、次に山を超え、丸王子に参る」と記載があるが、ここまで山を越えてないので、どちらかの王子跡が、現在と違うようだ。

三栖廃寺塔跡 9:38

 三栖廃寺塔跡の標識のある所で、県道を離れ、集落内の細道を辿ると、礎石の並ぶ塔跡が現れる。
 三栖寺は、白鳳時代(8世紀頃)の創建といわれ、一町四方に法隆寺様式の伽藍をもつ、牟婁郡豪族の大寺院だったらしく、三重塔が建っていたといわれる。

三栖王子跡 9:55

 下三栖のバス停で県道に合流するが、すぐに右折し、左会津川を渡る。報恩寺の前で地道の急坂を登り、しばらく気持ちの良い歩道を進む。
 三栖王子跡は、この歩道の終点の丘の上に石碑が立つ。「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「ミス山王子」と記載があるが、潮見峠越えが中辺路のメインルートとなって以降、廃れという。現在は、上三栖の珠簾神社に合祀されている。
 次の八上王子跡のある八上神社へは岡坂と呼ばれる山越えとなるが、ルート不良により通行止めとなっていたので、止む無く、新岡坂トンネルを抜ける味気ないコースをとる。

八上神社 10:25

 排気ガスに耐え、トンネルから坂道を下り、標識のところで右に折れると、熊野古道用に超美麗に整備されたトイレが現れ、八上神社はその横の鎮守の森に建つ。
 「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「ヤカミ王子」と記載がある。また、西行法師が「熊野へまゐりけるに八上の王子の花おもしろかりければ、社に書きつける」と題し、「待ちきつる八上の桜さきにけり 荒くおろすな三栖の山風」と詠んだ名高い王子社である。

田中神社の森 10:35

 さらに長閑な集落を通過すると、目の前にこんもりとした小さな森が見えてくる。これが八上神社の摂社の田中神社。
 大正4年(1915)に八上神社に合祀されたが、南方熊楠が「合祀されても神林だけは残しておけ」と助言し、氏子住民たちは神社林を伐採せずに守ったところ、その価値が認められ、昭和311年に田中神社の森は県の天然記念物の第一号として指定された。この神社の森は全体を藤で覆われており、この藤は、南方熊楠の命名により「オカフジ」と名付けられた。

 そして、神社の森の裏手にあるハス田では、大賀ハス(おおがはす)の花を見ることができる。大賀ハスは、昭和26年に千葉市検見川の地下6mにあった2000年前の縄文遺跡から、東京大学農学部教授であった大賀一郎博士がハスの種を発見し、発芽生育開花に成功させたものとのこと。
 藤やハスの適期にまた来たいと思わせる神社だった。

富田川に出た! 10:59

 次の稲葉根王子宮へは、山越えとなるが、王子谷を詰めるルートは荒廃しているということで、旧R311号をたどる。寂し気な山中の車道を越えると、上岩田の集落へ出、さらにゆるやかに下ると、ついに富田川に出合う。
 富田川は、かつて岩田川と呼ばれ、現世の不浄を清めると考えられ、旅人は何度も渡りながら遡ったといわれ、それを証明するかのように、この先、中辺路は王子社が川の北側・南側と交互に現れる。

稲葉根王子宮 11:08

 さらに川沿いに進むと、稲葉根王子宮に出た。
 稲葉根王子は、藤原宗忠(藤原北家中御門流の権大納言藤原宗俊の長男。従一位・右大臣)が摂関政治から院政への過渡期の政治上の要事を克明に書き留めた「中右記」天仁2年(1109年)10月22日条に「伊奈波禰王子社」とあるのが史料上の初見で、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条にも「准五体王子」と記載があるほか、鎌倉時代末期の「熊野縁起」(仁和寺蔵、正中3年(1326年))には五体王子として祀られていたとある。
 さすがに腹が減ってきたので、すぐ先のローソンで燃料補給する。ローソンの向かいには河川敷の広場があり、この日はポカポカ陽気で、のんびりと昼食をとった。

市ノ瀬橋からの富田川 12:15

 歩行を再開。市ノ瀬橋で富田川左岸に渡る。本当に今日は良い天気だなぁ〜 年末とは思えないポカポカ陽気だ。

辿って来た畦道 12:29

 そして、しばらく畦道を朗々と進む。あまりの気持ち良さにテンションは最高潮↑
 しばらく集落の中の細道を辿ると、一ノ瀬王子跡が現れる。

一ノ瀬王子跡 12:30

 一ノ瀬王子は、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「一ノ瀬王子」とある。
 近世初頭に既に廃絶していたらしく、位置もながらく不明なままであったが、紀州藩の調査で旧社地が確定され、再興された際の棟札が伝えられている。
 明治40年(1907年)、対岸の春日神社に合祀された。
 しばらく左岸を進み、加茂橋で再び右岸に渡り、急な坂道を登り、高台の住宅地を進む。

富田川を見下ろしながら進む 12:56

 かなり歩いてきたので、坂を登るのはウザかったが、富田川を見下ろしながらの快適ハイクが楽しめる。

鮎川王子跡 13:10

 ゆるやかに下って国道に再合流すると、鮎川新橋の手前に鮎川王子跡がある。「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「次参アイカ王子」の記載が見られる。
 明治7年(1874年)に対岸の住吉神社に合祀された際、18世紀前期に建立された本殿も移設されたが、その後の道路改修により旧社地周辺の往時の面影は完全に失われてしまっている。

住吉神社 13:20

 鮎川新橋を渡り、田辺市の大塔行政局前を通過する。この地は、大塔宮護良親王が元弘の乱で敗北ののち、大塔山中に落ちのびたとする落人伝説の地である。
 住吉神社で、合祀された鮎川王子の祠を確認した後、川沿いの細道を進む。 後白河上皇の最初の熊野詣の頓宮があったという御所平を通過し、藤原定家の歌碑を過ぎると、ついに山道となる。
 富田川の水面すれすれに進んだり、路肩が危ういところもあるので、登山が本職の私はホームグラウンドに戻ってきた感じだが、普通の一般ハイカーは少々不安に感じるのではないだろうか。

吊橋の北郡橋を渡る 14:20

 国道の蕨尾橋の下をくぐり、なおも山道は続く。人気は全くなく、私も少々不安になるころ、下地の集落に飛び出しホッとする。
 のんびり下り、北郡(ほくそぎ)バス停のあるところで国道に出合い、これを横断すると、北郡橋。100m超の大吊橋だ。
 富田川河床まで25mほどらしいが、欄干がけっこうスカスカなので、かなりの高度感が味わえる。高所恐怖症の人は辛いかも。
 だいぶ日が傾いてきて、薄暗い車道を進む。

清姫の墓と薬師堂 14:32

 支流の西谷川に架かる橋を渡ると、清姫の墓。安珍清姫の物語であまりに有名。この熊野古道歩きでは何度も遺構が現れた。
 隣には薬師堂が建つ。耳の病に霊験あらたからしく、耳の病をもつ人が祈願して完治したときに供える「耳石」という穴のあいた石がたくさん吊り下げられていた。

滝尻王子社 15:00

 さあ、いよいよ本日のゴールである滝尻へは、もう少し。日の当たらない箇所の方が多くなった国道を進むと、朝に見た熊野古道館の12角形の印象的な建物が現れた(残念ながら年末年始は休館だった…)。
 明日も行くのだが、滝尻王子社にお参りして、今日の歩みは終了。25キロほどの充実ハイクだった。
 明日のことを考えると、この辺りで過ごしたら良いのだが、やっぱりここまで来たら、魚を喰らいたいということで、車で田辺へ戻る。無料大駐車場のある「弁慶のさと湯」が駅から20分ほどのところにあったので、まずは、ここに車を止め、駅前の「味光路」へ。

「きさく」さんのカワハギ肝和えに昇天! 17:22

 予約で一杯だったが、開店と同時だったので、何とかカウンターの隅に入れてもらい、写真のカワハギやセッタエビの塩ゆで、そして、ウツボの小鍋を堪能し、すっかり良い調子で「弁慶のさと湯」に戻り、温泉に沈没…(危ない)
 明日(滝尻王子社〜野中一方杉)は大丈夫か?

参考タイム

12/30JR紀伊田辺駅 8:008:15 高山寺 8:258:45 秋津王子跡 8:459:25 万呂王子跡 9:259:35 三栖廃寺塔跡 9:409:55 三栖王子跡 9:5510:20 八上神社 10:2510:35 田中神社 10:3511:05 稲葉根王子宮 11:1011:15 昼食(ローソン) 12:0512:30 一ノ瀬王子跡 12:3013:10 鮎川王子跡 13:1013:20 住吉神社 13:2013:35 御所平 13:3514:20 北郡橋 14:2014:30 清姫の墓 14:3515:00 滝尻王子社

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