学能堂山〜三峰山縦走

学能堂山〜三峰山縦走


【日 程】1987年3月25日(水)〜26日(木)
【人 数】男6人
【コース】
 25日 近鉄名張駅=bus=杉平〜学能堂山〜小須磨峠〜三峰山〜八丁平C.S.
 26日 C.S.〜三畝峠〜五本杉〜神末上村〜神末〜敷津バス停

【記録文】
 25日 曇り時々晴れ
 高校卒業後、皆それぞれの進路に進む前の、大阪府立寝屋川高校W・V部としては最後のクラブ山行。全員参加と言っても、総勢6人(卒業生3人、新3年生3人)というこじんまりとしたグループである。(それ故に結束は非常に固かったが…)
 春近しと言うことで、みな軽装での登場。名張からバスに揺られる。バスは大洞山と倶留尊山の間を抜け、杉平へ。どんよりとした曇天の下、まずはゆるやかに山間に延びる林道を登っていく。道標に従い、山道へ。植林の杉木立のヒヤッとした感覚が心地よい。再び現れる林道を横切ると、かなりの急坂が始まり、勉強漬けの毎日を過ごしてきた我々卒業生組の足取りが急に覚束なくなる。後輩に叱咤されながら頑張ると、三重県側が杉の植林で奈良県側がカヤトの原というツートンの稜線に出る。ブッシュが少々うるさいが、まだ春先なのでほとんど気にならない。三角点のあるピークにはひょっこりと飛び出した。ガイドが言うほどには展望は良くなかったが、室生火山群の馴染みの面々がカヤト越しに見渡せた。
 風が強いので、長居はできず、目の前に屏風のように立ちはだかる三峰山に向かって稜線を急降下する。相変わらずツートンの稜線が続く中、何度もアップダウンを繰り返す。すれ違う人は誰もいない、静かな縦走路である。小須磨峠で神末上村への下降路を右手に分け、樹林の中の仏来山までは順調に来たが、ここからルートがかなり不明瞭になる。それでも稜線沿いの道なので、迷うことは無いだろうとなめていたら、何時の間にか三重県側の枝尾根に誘導されていた。それからも二度、同じ事を繰り返し、気がつけば日は大きく西に傾き、疲労は相当に蓄積されてきた。地図でササノタワの表記がある鞍部を過ぎると、三峰山への標高差400mの直登となる。最後は壁のような急登を泣きながら登りきり、もう薄暗くなったピークに飛び出した。疲労困憊とは正にこのこと。私はガックリと腰を下ろすと、後続を待つ間、ピラミダルな高見山をただボーッと眺めていた。
 サイト場の八丁平は南へすぐ下ったところ。速攻でテントを設営し、食事も手早く済ませると、後は各自が持参した酒の試飲会? これまでの思い出話に花を咲かせる。酔っ払った奴から寝ていったが、酒の切れた午前2時頃から猛烈に寒くなってきた。小便のため、外に出ると周囲の木々は霧氷で真っ白。みな夏用シュラフと春山用の薄着のため、各所で「寒い〜」のうめき声があがる。その声は外が白むまで途切れることはなかった…

 26日 晴れ時々曇り
 待望の朝がやってきた。凍りついたテントを無理やり撤収し、(軍手も持ってきていないバカ者(私もその一人)も何人かいて、凍傷寸前になっていた)山頂部から避難する。計画では西へ稜線づたいに三畝峠から高見山までもう1泊して縦走するという遠大なものであったが、全員一致で撤退を決定し、北側の神末へ下ることにする。途中の造林小屋でやっと一心地つく。シュラフを広げて二度寝を始める大バカ者(私ももちろんその一人)も現れる始末で怠惰な雰囲気は最後までそのままだった。

造林小屋から望む室生火山群(左:住塚山・国見山、右:古光山)造林小屋から望む室生火山群(左:住塚山・国見山、右:古光山)

 神末川に降り立った所では、近所の奥宇陀青少年旅行村の職員の方に声を掛けられ、旅行村の宣伝ビデオのモデルとして登場することになった。撮影中は笑いをこらえつつ真顔で隊列を組んで歩いたのだが、結局クラブ山行で一番真面目に歩いたのはこの時だけだっただろう。
 後は神末川に沿って、のんびりと車道を歩くのみ。神末のバス停は本数も少なく、まだ少し歩き足りなかったので、佐田峠を越えて、さらに敷津までダベりながら歩んだ。

 最後のクラブ山行に相応しく、どこか間の抜けた、非常に我々らしい山行だった。


      

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