開聞岳

開聞岳


【日 程】1989年3月28日(火)
【人 数】男2人
【天 気】雨
【コース】JR開聞駅=0:25=二合目=0:40=五合目=1:00=開聞岳=1:35=JR開聞駅【3:40】

【記録文】
 薩摩硫黄島の島旅を終え、鹿児島に再上陸した我々は、休む間もなく、その日の終電で山川駅に向かう。駅舎の中でシュラフを広げていると、駅長さんから退去命令がでたので、泣く泣く駅舎の軒下で寝た。
 翌朝、寝ぼけ眼で始発列車に乗り込み、開聞駅で下車。我々の目指す先には開聞岳がまだ夜も明けぬ空にどっしりとした重厚感を漂わせて鎮座していた。頂上付近で時折稲妻が走る様はなかなか壮観だが、それと反比例するように登行意欲は失われてゆく。
 駅から真っ直ぐに開聞岳に伸びる道を進む。二合目の駐車場を過ぎると本格的な山道が始まる。ルートは富士山型の山体に螺旋を描いて登るという他に例のないもので、晴れていれば登るごとに変化する眺望を楽しめるはずなのだが今日は生憎の小雨模様、その楽しみは3年後の再登まで待たねばならなかった。
 それでもこの螺旋のルートはずっと適度な傾斜の登りが続くので中々登りやすい。次々と合目を表す表示が現れ、あっと言う間に九合目まで登ってしまった。すると、先ほどの雷雲がまだ居座っているのか、頭上からゴロゴロという音が聞こえ始め、傘をさしていた右手もビリビリとしだした。これはシャレにならんということで、しばしの間樹林帯に逃げ込み、様子を見ることにする。
涙、涙の開聞山頂涙、涙の開聞山頂
 10分ほど待つと、何とか雷鳴は収まったので、この隙にピークを強襲、途中、山頂周遊道に迷い込むという失態はあったが、何とか登頂を果たした。が、それだけのことだった。証拠写真だけ撮って、すごすごと退散した。下山途中で雨は本降りに変わり、全身びしょ濡れで開聞駅に帰着した。
 駅近くのうどん屋で一心地ついてから、バスで山川駅に戻り、デポしておいた荷物を回収し、西鹿児島に反転した。さらに、今度はえびの高原行きのバスに乗り込み、高原のバンガローで寝た。この夜は思いっきり冷え込み、高原は霧氷で装飾された。
 明日は霧島の縦走。天気はどうなるか。


   

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