熊野古道中辺路(発心門王子〜熊野本宮大社)

−久しぶりに熊野古道のラスト区間を歩く。それ以外にも南紀グルメを堪能した3日間−

   

山行概要

日 程
2022年12月24日(土)
山 域
熊野古道中辺路
天 気
曇り
メンバー
F、私
コースタイム
発心門王子バス停=0:05=発心門王子社=0:35=伏拝王子跡=0:15=三軒茶屋跡=0:40=祓殿王子跡=0:05=熊野本宮大社【1:40】

記録文(写真はクリックで拡大)

 12/23 曇り時々晴れ(一時雪)

 年末に有給取得で3連休を確保する。連れを誘って、久し振りに熊野に行くか。以前に行って旨かった店にも久し振りに行きたいし…

 京都を早朝に発進、最強寒波が来ているらしく、京都も雪かと思っていたが、以外にも快晴… しかし、身を切り裂くような寒さ…
 南紀へは普段、高速代をケチって、R168か169で向かうのだが、山間部を通るので、念のため、第二名神から、伊勢道、紀勢道を通るルートで行くことにした(結果、大正解だった…)
 伊勢道に入り、津市くらいまでは曇り空だったが、松阪市に入った辺りから、天候が激変、雪が舞うようになってきた。「京都で雪じゃないのに、南で降るか?」と思いながら進んで行くと、勢和多気JCTで紀勢道に入ってからは完全に吹雪になり、路面も雪で覆われてきた… これから完全に山間部となるので、スタッドレスやチェーンもない私は「これは立往生か?」と覚悟したが、NEXCO中日本の雪氷作業車が事態を救ってくれた。
 速度は50〜60km/hしか出ないが、この車の後ろを走行すれば、路面の雪はほとんど除去されるので、安全に走行できる。結局、吹雪が一番激しかったのは、大宮大台IC前後で、紀勢大内山IC以降は一転、青空が広がり出し、作業車も退出していった… 事なきを得て、ホッとする。以降は快調に走行し、最後は熊野尾鷲道路の熊野大泊ICでR42に合流、熊野市に到着。

まずは鬼ヶ城へ 9:03

 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産巡りのスタートは、「熊野の鬼ヶ城附獅子巖」から。
 つい30分ほど前は吹雪に遭っていたのが嘘のような快晴(笑)… しかし、風が強い…

七里御浜 9:20

 続いての登録資産は、「七里御浜」。熊野古道伊勢路の参詣道である。
 伊勢路を踏破した際は、砂浜歩きがウザ過ぎて、R42を歩きました…

花の窟 9:29

 そして、「花の窟」。この地で、伊勢路は熊野本宮大社に向かう「本宮道」と、熊野速玉大社に向かう「浜街道」の2つに分かれる。
 「本宮道」を歩んで以来、約4年振りの参拝。

道の駅「パーク七里御浜」さんで休憩 9:57

 「花の窟」からR42で新宮方面に向かうが、国道沿いにある道の駅「パーク七里御浜」へ。
 みかんジュースを季節に合わせて何種類も売っており、「サマーフレッシュ」、「セミノール」、「不知火」の3種飲み比べをチョイス。  爽やかな酸味とさっぱりとした甘味の「サマーフレッシュ」、クエン酸たっぷりで超すっぱい「セミノール」、濃厚な甘みと酸味のバランスが絶妙な「不知火」。私は「不知火」が一番美味しかったです。

「勝浦漁港にぎわい市場」でランチ 11:12

 今日止まる予定の新宮をいったん通過し、勝浦漁港へ。
 漁港の一角に「勝浦漁港にぎわい市場」があり、様々な店舗とイートインスペースがあるので、ここで昼食とする。
 以前に年末に訪れた時は、超混雑していたが、平日のこの日はガラガラだった。
 寿司屋の「まるぐろ」さんで、大トロ、中トロ、赤身の握りを発注! びんとろ握りもサービスしてくれた。
 ノンアルで乾杯!

熊野那智大社 12:11

 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産巡りを再開。「熊野那智大社」へ。
 中辺路の大雲取越をやって以来、3年振りの参拝だ。
 熊野那智大社は、西暦紀元前662年、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の一行は那智の浜に上陸され、光り輝く山を見つけ、その山を目指したところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴神(おおなむちのかみ)の現れたる御神体としてお祀りされたのに始まる。
 その後、神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により、無事大和の橿原の地にたどり着き、紀元前660年2月11日に神武天皇として即位した。
 先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は烏石に姿を変えて休んでいるといわれている。
 その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御瀧本にお祀りしていたが、仁徳天皇5年(317年)、山の中腹へ改めて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷し、現在に至る。
 本堂はじめ、計8棟が国指定の重要文化財である。

大樟 12:16

 境内には樟の大木がある。
 樟霊社として、祀られており、樹齢850年と推定され、樹高27m、幹回り約8.5mを誇り、平重盛の御手植と伝わる。
 幹が空洞化しており、通り抜けるとご利益があるとのことで、我々も通り抜ける。

青岸渡寺本堂 12:18

 続いての世界遺産は、熊野那智大社のすぐ隣に建つ「青岸渡寺本堂」。
 青岸渡寺は、約3年間の滝篭りをされた花山法皇が永延2年(988年)に御幸され、西国三十三所第1番札所として定めたとされ、 現在の本堂は天正18年(1590年)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残し、国の重要文化財に指定されている。

青岸渡寺三重塔と那智瀧 12:22

 定番のショット。三重塔 は、天正9年(1581年)に戦乱で焼失したが、昭和47年(1972年)に再建された。
 車に戻り、那智瀧に近い駐車場へ移動。

那智瀧 12:41

 参道を下って、瀧の直下へ。冬場でもけっこうな水量がある。
 那智瀧は、石英斑岩のほぼ垂直の断崖に沿って落下し、落ち口の幅13m、滝壺までの落差は133mに達し、総合落差では日本12位だが、一段の滝としては落差日本1位を誇る。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産の一つであり、国の名勝にも指定されている。
 那智の探索終了。時間があるし、体も冷えたので、温泉でも行くか。以前に入浴して印象の良かった「ゆりのやま温泉」へ向かう。

ゆりのやま温泉 13:21

 平日のせいか、浴室を独占。温めの源泉掛け流し湯で、長時間沈みました…

神倉神社 14:44

 新宮に戻る。時間があるので、さらに世界遺産を巡る。
 神々が降臨した熊野信仰の発祥地である、神倉神社へ。
 天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にあり、熊野古道の一部である538段の急峻な石段を登らなければならない。連れはあまりの急登に腰が引けていた…
 登り切ると、ご神体のゴトビキ岩が鎮座。

ゴトビキ岩からの展望 14:45

 新宮市街と熊野灘が一望だ。

熊野速玉大社 15:07

 さらに車を走らせ、熊野速玉大社へ。
 熊野速玉大社は、神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、第12台景行天皇の時代(71−130年)に社殿を造営したと伝えられている。主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神で、それぞれ。伊邪那岐神と伊邪那美神と同義とされている。

新宮城跡からの熊野川 15:27

 最後に新宮城跡へ。
 石段を登ると、新宮市街や熊野川が一望だ。
 熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた城跡で、元々は源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれる。
 元和5年(1619年)にそれまでこの地を治めていた浅野氏に代わり、紀州徳川家が入封し、初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。その後10代にわたり長い統治が続き、新宮は城下町として栄えた。
 かつては城内で旅館が営業しており、天守台に向かう坂道にはその名残のケーブルカー軌道跡も残っている。
 「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されているほか、続日本100名城にも選定されている。

新宮ナイトは「東宝茶屋」さんで宴@! 17:16

 新宮駅近くのホテルにチェックインし、予約していた「東宝茶屋」さんへ。去年の10月にも訪れて、かなりの好印象を持ったお店である。
 バイ貝(つぶ貝)の付き出しでスタート!

新宮ナイトは「東宝茶屋」さんで宴A! 17:19

 続いて、アジの刺し! 身がコリコリです。

新宮ナイトは「東宝茶屋」さんで宴B! 17:33

 クジラ刺しの盛り合わせ! イルカの刺しもサービスしてくれました。これが日本の食文化です!

新宮ナイトは「東宝茶屋」さんで宴C! 17:46

 ガシラの唐揚げ!

新宮ナイトは「東宝茶屋」さんで宴D! 17:58

 天使の海老塩焼き! 頭から全部イケますが、いつものように口の中切りました(笑)…

新宮ナイトは「東宝茶屋」さんで宴E! 18:08

 佳境に入ってきました。アマゴのなれずしが登場!
 なれずしは、魚を保存するためにごはんの発酵作用を利用した保存食で、和歌山のなれずしは日本三大なれずしの一つといわれ、約800年以上の歴史を誇る。
 「東宝茶屋」さんには、さんまを始め、さば、あゆ、あまごのなれずしが常時用意されており、今回はあまごをチョイス!
 この辺りで唯一の酒蔵で、創業明治13年、140年以上の歴史を誇る尾崎酒造さんの銘酒「太平洋」が止まらない…

新宮ナイトは「東宝茶屋」さんで宴F! 18:16

 ラスボス登場! 30年ものの、さんまのなれずし(笑)… ほぼ液体になっており、超絶濃厚〜 昨年度衝撃を受けた逸品だが、今回もディープインパクト絶大!
 2人とも日本酒呑み過ぎで酩酊(笑)… どうやって宿に帰ったのか覚えてない(笑)… 1日目強制終了〜

 






   

 12/24 曇り時々晴れ

 この日は中辺路を歩く。本宮大社前8時20分発の発心門王子行きバスに乗り込むため、新宮を7時に発進。
 本宮の駐車場には、7時30分頃に到着。ガラガラだ。しかし、今日も寒い。時折小雪が舞っている。

朝食は「徐福寿司 駅前店」さんのテイクアウトで@! 7:38

 バスの時間まで、車内で朝食を取る。
 昨日のうちに調達していた「徐福寿司 駅前店」さんの熊野牛のり巻寿司と熊野牛昆布巻寿司のセット!

朝食は「徐福寿司 駅前店」さんのテイクアウトでA! 7:38

 そして、さんま寿司! 朝から豪勢だ〜
 無事にバスに乗り込み、発心門王子行きバス停へ。
 いったん発心門王子社へ戻る。

発心門王子社 8:44

 発心門王子は、熊野九十九王子の中でも最も格式の高い五体王子の一つに数えられた、王子の中でも屈指の存在である。
 発心門とは、山岳信仰における四門修行に由来する。四門修行においては、山上の聖地に至る間に発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれた。このとき、発心とは発菩提心、すなわち仏道に入り、修行への志を固めることを意味する。すなわち、発心門とは聖域への入口を意味している。
 6年振りの参拝。ここから熊野本宮大社まで約7kmの古道歩きのスタート。

果無山脈 9:36

 しばらく車道のゆるやかな下り道が続き、小学校の分校跡が現れ、この敷地の一角に水呑王子跡の碑が立っている。
 中世には、大門王子付近に「水飲」があったので、それと区別するために「内水飲」と呼ばれていたが、「発心門の内の水飲」という意味だと推測されている。
 熊野詣が廃れると、この王子も廃れ、江戸時代には廃絶し、跡地のみとなり、王子跡を後世に伝えるために享保8年(1723年)に紀州藩主徳川宗直が緑泥片岩の碑を寄進した。
 水呑王子跡から山道となり、林の中をさらに下る。目の前が開けると集落に出、見通しが利くようになり、果無山脈の百前森山が確認できるが、果無山脈の主稜線は雪雲に覆われていた…

伏拝王子跡から大斎原方面を見下ろす 9:40

 集落から少し進むと伏拝王子跡。大斎原(おおゆのはら)方面の眺望が開ける。
 ここで初めて大斎原(旧社地)を遠望できたことから、ここから本宮の森を伏し拝んだといわれている。
 中世の記録に伏拝王子の名はなく、江戸期になり享保15年(1730年)の「九十九王子記」にようやく記載が見られる。
 伏拝王子には石祠と平安中期の女流歌人、和泉式部の供養塔と伝わる卒塔婆がある。

 伏拝王子に和泉式部の供養塔が立っている理由として、伝説が残っており、和泉式部が熊野詣の際、この辺りまで来た時、にわかに月の障りとなってしまい、これでは本宮参拝はできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、次の歌を1首、詠んだという。
 「晴れやらぬ 身のうき雲の たなびきて 月のさわりと なるぞかなしき」
 すると、その夜、式部の夢に熊野権現が現われ、
 「もろともに 塵にまじはる 神なれば 月のさわりも なにかくるしき」
 そう返歌したので、和泉式部はそのまま参詣することができたという。
 かつての日本では女性の生理が不浄なものだとされていたが、この和泉式部と熊野権現の歌のやり取りは、熊野はそんなことは気にしないのだということを示している。
 平安時代中期に編纂された法令集「延喜式」では、死や出産や月経などが国家的に不浄なものとされて謹慎が求められていたが、「熊野はそんなことなど気にしない」と、中央とは異なる価値観を熊野は有しているのだということを堂々と示すエピソードである。

三軒茶屋跡 9:55

 伏拝王子跡から静かな山道を下って行くと、車道と交差する橋が架かっており、橋を渡ると小平地がある。ここが三軒茶屋跡で、名の通りかつて三軒の茶屋があった場所だ。ここで東側から小辺路が合流してくることもあり、往時は相当賑わったと伝わる
 現在は、茶屋を模した休憩所・トイレと、江戸時代にあった「九鬼ヶ口関所」が再建されている。関所の前には「右かうや、左きみい寺(右高野山、左紀三井寺)」と石に刻まれた江戸時代の道標が残っている。
 4年ほど前に小辺路をスルーハイクした際に、高野山から歩いて、はるばるここに着いた時の感動が蘇ってきた。

祓殿王子跡 10:35

 時折、石段も現れる古道を登り降りすると、団地に降り立ち、すぐに祓殿王子跡が現れる。
 祓殿王子跡(祓戸王子とも)は、現在の本宮まで50mほどに位置し、かつての本宮(大斎原)まででも15分ほどの場所に位置し、本宮を目前にして旅の汚れを祓い清める潔斎所的な場所であったと考えられている。
 祓殿王子跡から、すぐに熊野本宮大社の裏鳥居がある。

黒い八咫烏ポスト 10:40

 社務所前にある、多羅葉(たらよう)のご神木の下に、黒い八咫烏ポストが設置されている。
 黒は全ての色を合わせた尊い色であり、神の遣いである八咫烏の色、本宮の大地を象徴する神聖な色であるため、珍しく黒色のポストになっている。
 また、多羅葉は、先の尖ったもので葉の裏側に文字を書くと黒く跡が残るため、爪などで文字を書いていたことから、葉書の語源となり「葉書の木」「手紙の木」とも呼ばれているので、多羅葉の木の下にポストが置かれたものである。

熊野本宮大社 10:45

 熊野本宮大社の社殿前に建つ。初詣の準備が進められていた。大雲取越・小雲取越以来、3年振りの参拝。 今旅で熊野三山をコンプ!
 熊野本宮大社は、かつては「熊野坐神社」と呼ばれた神社で、家都御子神(素戔嗚尊)を主祭神とする。古代の創祠以来、熊野川の中州(大斎原)に鎮座したが、明治22年(1889年)、水害に罹災した後、流失を免れた上四社3棟を明治24年(1891年)に現在地に移築・再建したものであり、3棟は国指定の重要文化財である。
 言うまでもなく、熊野本宮大社は熊野三山の中心で、全国で約3000あると言われる、熊野神社の総本宮で、「日本第一大霊験所根本熊野三所権現」の称号を得た、誠に霊験あらたかな神社である。

「とりそば下地橋」さんでランチ 11:12

 ここでいったん、3kmほど南の請川にある人気ラーメン店の「とりそば下地橋」さんの始業時間が迫ってきたので、車で向かう。
 10時55分に着いたので、駐車場も空いていて、無事に1回転目に入店。店はすぐに満員に… ちなみに店の庭には鶏が放し飼い(笑)
 私は定番の「塩とりそば」を、連れは「鴨醤油とりそば」を注文する。
 スープは鶏ベースの塩味。麺は細ストレート麺。具は豚肩ロース肉と鶏ムネ肉のチャーシュー、ネギ、アーリーレッド、揚げゴボウ、煮玉子、柚子と多彩。昆布の水だしに丸鶏を引いたスープは、適度の油分を加え、爽やかな柚子風味をアクセントに、口あたりのよい塩タレでまろやかな味わいで、鶏の旨みをよく引き出したコクと深みのある仕上がり。
 紀州石清水豚を使った大ぶりの焼豚と小ぶりの鶏ムネ肉が1枚ずつ入っていて、焼豚は柔らかく肉の旨みが十分。特製塩ニラ、ホタテごま塩、ぶどう山椒の七味で味変も楽しめ、何とも旨いラーメンでした。

産田社 11:38

 また本宮に戻り、大斎原を目指す。途中に本宮の末社の産田(うぶた)社があるので、立ち寄る。
 産田社は、伊邪那美命を祀っており、伊邪那美命は火の神の迦具土神を生んだ後に火傷で亡くなるが、亡くなったのがこの地で、葬ったとされるのが、昨日参拝した花の窟神社だと伝わっている。
 生みの神として知られ、子授け、安産などのご利益があるという。

大斎原の大鳥居 11:41

 大鳥居を目指す。この鳥居は、平成12年(2000年)に建てられ、高さ約34m、横幅42mと、日本一巨大な大鳥居である。

大斎原の中4社・下4社を祀る石祠 11:50

 鳥居をくぐり、神が舞い降りたという大斎原へ。木々に囲まれ、まさにパワースポットという感じ。
 明治22年(1889年)8月の水害時まで、かつての本宮大社は、この地のおよそ1万1千坪の境内に5棟12社の社殿が立ち並び、幾棟もの摂末社もあり、楼門がそびえ、神楽殿や能舞台、文庫、宝蔵、社務所、神馬舎などもあり、現在の8倍もの規模を誇っていた。
 流出を免れた上4社は、現在の本宮大社の地に移され、流出した中4社・下4社は、大斎原に2基の石祠を立てて祀られている。

湯の峰温泉公衆浴場 12:45

 大斎原から本宮の駐車場へ戻り、和歌山県世界遺産センターを見学後、熊野本宮大社に参拝したら、いつも寄ってる湯の峰温泉へ。つぼ湯は世界遺産に登録されている。
 公衆浴場はこの4月にリニューアルされたばかり。何度も湯の峰温泉には来ているが、リニューアル後は初めてだ。家族湯が新設されたが、その分、くすり湯は改装前と比べ、少し狭くなった印象。

湯の峰温泉公衆浴場の「くすり湯」 13:17

 土曜日だったが、貸し切りだった(笑) 湯舟は3人も入ればいっぱいの大きさ。新しいので檜の香りが気持ち良い。
 「くすり湯」とは、湯の峰温泉の92℃の源泉を加水することなく、自然に適温に冷ましたお湯に入れるようにしていることから、こう呼ばれている。石鹸、シャンプーの利用も禁止で、カランは一切なく、徹底している。体を洗いたい方は一般湯に行くしかない。
 泉質は、含硫黄−Na−炭酸水素塩泉で、硫黄臭が漂う。1時間近く出たり入ったりを繰り返し、のんびりしました。

滝尻王子社 14:32

 入浴後、本日の宿泊地である田辺に向かう。途中、滝尻王子社があるので、立ち寄る。
 滝尻王子は、熊野九十九王子社のうち五体王子社にも数えられ、かつては熊野三山の霊域のはじまりとされた。
 中世に熊野御幸が盛んであった頃には、皇族貴族により奉幣や読経の他、法楽のための里神楽や歌会が盛大に催されたという。
 平安時代後期には藤原秀衡の寄進により、四町歩(12000u)の境内に七堂伽藍が建立されていたらしい。

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴@! 17:00

 田辺のホテルにチェックイン後、田辺の行きつけのお店の「からかさ」さんへ。2年振りの訪問。大将も覚えてくれていた。
 クエの煮凝りに山かけとイクラのトッピングでスタート! 料理は全てお任せだ。

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴A! 17:04

 南紀名物、ウツボの内臓に山かけトッピング! コラーゲンがヤバ過ぎる…

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴B! 17:04

 「からかさ」名物の卵黄醤油でいただくマグロ中トロとイクラ!

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴C! 17:20

 ウツボの唐揚げ! これもコラーゲンが… プルップルッ!

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴D! 17:33

 自家製の玉子豆腐! 優しい出汁です。

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴6E! 17:47

 猪肉焼き! シンプルな塩のみの味付け。さっぱり、ジューシー!

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴6F! 18:02

 肝和えアワビ焼き! 濃厚です! 素晴らしい品々の波状攻撃! 「からかさ」さん、サイコー

田辺ナイトは「からかさ」さんで宴6G! 18:21

 ラストは、これも「からかさ」名物のオムぞう!
 クエ出汁雑炊に玉子焼きを乗せ、クエ出汁のあんをたっぷりとかけたもの。
 もうけっこうお腹いっぱいだったが、ペロッといけました。旨い!
 「からかさ」の大将、ごちそうさまでした! また必ず来ます!
 ホテルで2次会して寝ました〜

 






   

 12/25 曇り時々晴れ

 最終日。偏向コント番組のサンモニを見てディスりながら、のんびり9時過ぎの出発。
 この日は帰るだけだが、箕嶋漁港に寄り道し、有田箕島漁業協同組合直営の「浜のうたせ」で朝食と土産物を物色することに。

「浜のうたせ」の食堂で朝食 10:13

 紀州しらす丼をチョイス。こぼれてます(笑) このままでは食べられないので、ほねく天(この辺りの名物で、太刀魚を骨ごとさつま揚げにしたもの)が入っていた皿に、しらすを半分移してから食べました(笑)
 後は高速道路で帰洛するだけ。大満足の南紀3日間でした。

参考タイム

12/24発心門王子バス停 8:358:40 発心門王子 8:459:05 水呑王子跡 9:059:40 伏拝王子跡 9:409:55 三軒茶屋跡 9:5510:35 >祓殿王子跡 10:3510:40 >熊野本宮大社

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