黒河道(橋本〜高野山奥之院)

−世界遺産の黒河(くろこ)道を辿る。高野山上の紅葉は絶品でした−

   

山行概要

日 程
2022年11月5日(土)
山 域
高野山
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
東家4丁目=0:20=定福寺=0:20=岩掛観音展望所=0:35=明神ヶ田和=0:35=市平橋=0:40=美砂子峠=0:30=くどやま森の童話館=0:45=雪池峠=0:15=雪池山=0:20=楊柳山=0:30=奥之院(弘法大師廟所)=0:10=中の橋=0:35=壇上伽藍=0:20=女人堂=0:30=南海極楽橋駅【6:25】

記録文(写真はクリックで拡大)

 一昨日に磯長の里を歩き回ったばかりだが、次の土日も好天が見込まれた。行くしかない(笑)
 紅葉が見頃になっている高野山を目指すか。となれば未踏の黒河道の一択になった…
 金曜夕の組合交渉を何とか終え、早々に就寝、3時に起床し、出撃する。途中、奈良市内の吉野家で、ネギ玉牛丼アタマの大盛でパワーチャージし、京奈和自動車道で橋本ICから、橋本を拠点にする際には、いつも利用しているJR橋本駅近くのタイムズ橋本東家駐車場へ。24時間440円で止められるコスパ良好の駐車場だ。
 暗闇の中、発進! 橋本橋で紀ノ川を渡り、橋の南詰を右折、しばらく川沿いに西に進み、「賢堂(かしこど)」という交差点で左折し、集落の中を山手に登る。何もなければ分かりにくいところだが、所々、「世界遺産 高野参詣道 黒河道」というのぼりが立っているので、問題なく定福寺へ。ここが黒河道の実質のスタート地点である。

定福寺 5:55

 当然ながら、誰もいない境内でしばし周囲を探索。
 定福寺の創建は不詳だが、16世紀の永禄年間(1558−70年)の建立との伝承がある。
 本尊の木造阿弥陀如来坐像は平安時代中期、10世紀から11世紀の作とみられ、境内にある石造九重塔は銘記から弘安8年(1285年)の建立であり、橋本市指定の有形文化財である。この他、鬼瓦に宝暦11年(1761年)の銘がある庫裏を有し、国の登録有形文化財である。

岩掛観音展望所からの金剛山脈 6:22

 定福寺のすぐ先に祠があり、その横から黒河道の山道が始まる。「どばい坂」と呼ばれる急登だが、すぐに車道に合流し、民家の間を登って行く。
 岩掛観音が立つ辺りは、展望台として整備されていて、朝焼けの金剛山脈が一望できる。

明神ヶ田和手前の参詣道 6:45

 山道と舗装路を繰り返しながら進む。途中、鉢伏弘法井戸の横を通過。この辺りは山深さを感じるものの、すぐ下に車道を見下ろしながらの行程。
 最後は車道を淡々と進み、明神ヶ田和へ。

明神ヶ田和 6:55

 明神ヶ田和の「田和」とは、たわみのことで、要は峠のことだ。民家があった。
 ここは五差路になっていて、一番右に行けば紀伊清水駅、中央の道は国城山、左の道は黒河道でわらん谷から市平橋、一番左も黒河道の別ルートのようで、青渕へと続いている。
 私は世界遺産に登録されている、わらん谷ルートを進む。細いコンクリ道を一気に下る。橋本の標高90mから、440mまで登ってきたのに勿体ない…

わらん谷を行く 7:08

 谷筋に降り立ち、山道に変わる。さらに谷に沿って下って行く、けっこう足場の悪いところもあるので、注意が必要。
 嫌になるほど下って、県道102号線に飛び出した。標高170mまで下がってしまった…

市平橋 7:28

 すぐ目の前に市平(いちたいら)橋があり、これで丹生川を渡る。
 細い車道で非情の登り返し。

市平集落から再び山道へ 7:37

 10分弱ほどの登りで民家が現れ、この横から山道へ。獣除けフェンスを抜け、古いお堂を2つ見ながら登って行く。

桂の木を見上げる 7:41

 森の中に入ると、すぐに左手に春日神社の石段が現れ、見上げると、桂の大木が…
 高さ35m、胸高直径8mにある巨木で、九度山町の文化財に指定されている。
 早春に淡紅色の花を枝一面に咲かせるらしい。
 ここから一気の急登となる。植林帯の中の単調な登りで、ここは耐える時だ。尾根を乗り越えると、ルートはなだらかになり、一息つく。林道が左から合流するところが美砂子峠。ここで戦場山ルートと太閤坂ルートが分かれるが、私は左手の太閤坂ルートへ。

太閤坂を下る 8:11

 美砂子峠は、標高約520m。せっかくここまで登ったのに、また下り… 黒河道はメンタル的になかなかキツいコースです…
 ただ、下り一辺倒ということもなく、平坦なトラヴァースが続く箇所もあり、最終的には、ほぼ高度を下げることなく、車道に合流。

くどやま森の童話館 8:40

 しばらく車道を進むと、くどやま森の童話館に到着。平成18年以降休校となっていた旧久保小学校の木造校舎を改装したもの。
 こんな奥地に小学校があったのが凄い。木や森に関する絵本や童話、高野山関連の専門書等が揃っているらしい。
 ここで、黒河谷ルートと、粉憧(つきこ)峠コースが分かれるが、黒河谷ルートは水害で通行止めだったので、粉憧峠コースの一択だ。
 ここまで、峠を2つ越えてきたが、いよいよ高野山上への最後の登りが始まる。

雪池峠 9:25

 登り始めてすぐに子継峠を通過。延々と登りが続く。標高差400m以上を稼がないといけないので、けっこうキツい。
 ルートの途中には、高野豆腐の製造所跡もあったようだが、登り疲れのせいか、気付かなかった…
 ぐんぐん高度を上げ、一気に、高野山上の一角である雪池峠に到達。東郷集落へのルートが分かれている
 ここからは、尾根伝いに雪池山(せっちさん)へのルートも分かれるので、未踏だったことから、黒河道をここで離れ、雪池山に向かう。

展望0の雪池山 9:40

 雪池山へは、いきなり物凄い急登で幕を開ける。5分ほどで921.2mの三角点に登り着くが、雪池山の最高点はまだ先だ。
 いったん緩やかに下るが、ピークへは再び超急登に晒される。ヒーヒー言いながら雪池山山頂に到着するが、展望0… 速攻先へ進む。
 稜線沿いに南へ進み、楊柳山の手前で右手に分岐するルートを辿って奥之院に下ろうと思ったら、倒木で通行止めだったので、やむなく稜線を直進、楊柳山への登りに取り掛かる。

同じく展望0の楊柳山 10:01

 楊柳山は、何と30年振りの登頂(笑) ここも展望0なので早々に下る。
 稜線沿いに南へ少し下ったところからも奥之院への下降路が分かれており、こちらは通行可だったので、下っていく。
 沢沿いにくだり、車道に合流すると、後は奥之院の弘法大師廟所まで車道を歩くのみ。

奥之院御供所 10:40

 弘法大師廟所の前に御供所(ごくしょ)が建っており、御朱印はここで頂戴する。
 弘法大師御廟に奉仕するため、小さな庵を建てたのが始まりいわれる。現在でも、弘法大師に供える日々の供物をここで作り、毎日午前6時と午前10時半の2回、僧侶が御廟に運んでいる。

嘗試地蔵 10:41

 御供所の北側には嘗試地蔵(あじみじぞう)が建つ。
 この地蔵のもとは、愛漫、愛語と呼ばれる弘法大師の食事の世話をした二人の弟子が、御廟橋の傍に「御厨明神(みくりやみょうじん)」として祀られていたものらしい。
 御供所で調理された弘法大師の食事は、維那(ゆいな)と行法師(ぎょうぼうし)と呼ばれる僧侶が、嘗試地蔵前に供えた後に、御廟前の燈籠堂まで運ばれる。
 これは、現在も御廟で空海が永遠の禅定に入って後世の人々を見守っているという「弘法大師信仰」に基づくものである。

弘法大師廟所へ 10:45

 御廟橋を渡り、大師御廟への霊域に入る。ここを越えるといよいよ聖域に足を踏み入れることになるため、橋の前で服装を正し、礼拝してから渡るのが参拝の作法とされている。撮影も禁止されている。
 弘法大師御廟の拝殿にあたる燈籠堂に入る。堂内は燈籠で埋め尽くされており、壮観だ。

豊臣家墓所 10:52

 弘法大師廟所の参拝を終え、参道を南へ進む。
 この辺りは、皇室、公家、諸大名の墓所が立ち並んでおり、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。特に戦国大名の6割以上の墓所があるらしい。
 和歌山県指定史跡の豊臣家墓所がまず目に入る。この墓所には、秀吉とその母、秀吉の弟である大納言秀長と夫人など豊臣一族の墓があり、現在、石塔が11基並んでいる。

松平秀康及び同母霊屋 10:54

 次に目に入ったのが、松平秀康及び同母霊屋で、家康の側室の、「お万の方」と、その子、秀康を祀っている。
 柱の刻銘から、慶長12年(1607年)、秀康の嫡男、忠直の造立であることが分かる。
 国指定の重要文化財であり、世界遺産の構成資産でもある。

奥之院の大杉林 10:57

 あらためて気付いたが、参道両側の大杉林が凄い。
 奥之院参道2kmに点在する杉林で、樹齢約500年程の大杉を代表に、総数1300本を越える大杉群であり、和歌山県指定の天然記念物である。

紅葉も最高潮! 10:59

 参道を東に外れ、英霊殿辺りでは、紅葉が輝いていた。
 小腹が空いたので、奥の院口バス停付近にある食堂で、鍋焼きうどんを食してから、壇上伽藍目指して再び参道を歩き出す。

武田信玄・武田勝頼墓地 11:46

 武田信玄・武田勝頼墓地があり、これも和歌山県指定の史跡である。

薩摩島津家墓所 11:51

 参道の入口近く、一の橋の手前に、薩摩島津家墓所がある。
 五輪塔が立ち並ぶが、第3代藩主の綱貴、第4代吉貴、第5代継豊、第6代宗信、第7代重年の5人を祀っている。

苅萱堂 11:57

 参道の終点から、車道を西に進んで行くと、南側に苅萱堂が建つ。
 苅萱堂は、宿坊「密厳院」に属するお堂で、平安後期の天承2年(1132年)に新義真言宗の開祖・興教大師覚鑁上人が修行の場として創建したと伝わる。「生きるものを善に導き、亡者を極楽に導く」という「引導地蔵尊」が祀られるほか、歌舞伎や浄瑠璃で有名な「石童丸伝説」が伝わることでも有名で、高野聖によって全国に語られ、古くから多くの人々の涙を誘ったといわれている。

壇上伽藍入口の紅葉 12:13

 金剛峰寺の参拝は割愛し、大勢の観光客で溢れる壇上伽藍に到着。
 見事な紅葉のカエデの木が迎えてくれた。

根本大塔 12:21

 奥之院とともに高野山の二大聖地である壇上伽藍内部へ。
 真言密教の根本道場におけるシンボル、根本大塔(こんぽんだいとう)へ。空海、そして真然大徳と2代にわたり、弘仁7年(816年)から仁和3年(887年)ごろに完成したとされ、西塔と同様に多宝塔様式としては日本最初のものと伝わる。
 本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅として構成されている。

国宝不動堂 12:23

 壇上伽藍は、4年前に京大坂道をやった際に、じっくり見ているので、今回は端折っているが、それでも国宝不動堂は外せない。高野山内で2つしかない国宝建造物である。
 鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王が発願され、行勝上人によって建久9年(1198年)に建立されたという。もともと一心院谷(徳川家霊台の建つ辺り)に建てられたが、後世になって壇上伽藍へ移築された。
 現在の建物は14世紀前半に再建されたもので、外観は、平安貴族の邸宅風で優美な趣を湛え、また四方から見た建物や屋根の形態がそれぞれ異なるが、これは、四人の工匠がそれぞれ随意に造ったためと伝えられている。

女人堂 12:46

 壇上伽藍を後に、東に戻ってから北に向かい、女人堂へ。
 高野山は古来から女人禁制で、それは明治5年(1872年)まで続いた。このため高野山に通じる主要な道には、女人堂が建てられ、女性はそのお堂までしか立ち入ることができず、女人堂へ籠り、奥之院の弘法大師御廟へ向かい、祈りを捧げたという。

極楽橋 13:18

 女人堂から、京大坂道の不動坂を下る。4年前に登っているので、勝手知ったる道だ。
 鼻歌混じりで下ること30分ほどで、南海極楽橋駅に到着。本日はけっこう歩きました。
 ちょうど13時10分発の電車が行ったばっかりで、次発は14時2分… 新装なった極楽橋駅をフラフラして時間を潰す。
 橋本へは爆睡してワープ状態(笑) 車に戻り、和歌山市内へ向かい、1箇月前にも車中泊した、ぶらくり丁近くのタイムズ駐車場に車を止め、街中へ出撃する。

半年振りの「くろしお」さんで宴@! 17:00

 今年の5月末に行った「くろしお」さんの予約が運良く取れたので、始業と同時に突撃!

半年振りの「くろしお」さんで宴A! 17:06

 ゴージャスなメニューにテンション爆上がり(笑)

半年振りの「くろしお」さんで宴B! 17:11

 サワラの叩きでスタート!

半年振りの「くろしお」さんで宴C! 17:24

 穴子天卵とじ!

半年振りの「くろしお」さんで宴D! 17:31

 桃山ケンカ鶏のモモ焼き! 皮がパリッパリです!
 〆のラーメンに行きたかったので、とりあえずはここまで。

「ラーメンまるイ 十二番丁店」さんで〆@! 20:03

 フラフラとパチスロに吸い込まれ、2万ほど溶かしてから(笑)、「ラーメンまるイ 十二番丁店」さんへ。
 キムチとビールでスタート!

「ラーメンまるイ 十二番丁店」さんで〆A! 20:05

 ノーマルのラーメンを頼んだが、ネギで麺が見えない(笑)
 旨かった〜
 和歌山遠征1日目終了〜 明日は久しぶりに紀州龍門山に登ろうか。

参考タイム

11/5東家4丁目 5:355:55 定福寺 6:006:20 岩掛観音展望所 6:206:55 明神ヶ田和 6:557:30 市平橋 7:308:10 美砂子峠 8:108:40 くどやま森の童話館 8:409:25 雪池峠 9:259:40 雪池山 9:4010:00 楊柳山 10:1010:40 奥之院(弘法大師廟所) 10:5011:05 中の橋 11:4012:15 壇上伽藍 12:2512:45 女人堂 12:5013:20 南海極楽橋駅

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諸国名山探訪

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