久重山群

久重山群


 大学1回の春合宿。4パーティに分かれ、坊ガツル集中山行を行った。

【日 程】1988年3月18日(金)〜21日(月)
【人 数】16人
【コース】
 18日 別府港=TAXI=長者原=1:35=雨ヶ池越=0:45=坊ガツルB.C.【2:20】
 19日 B.C.=1:15=大船山避難小屋=0:20=大船山=1:20=風穴=1:20=大戸越(平治岳往復60分)=0:35=B.C.【5:50】
 20日 B.C.=1:00=すがもり越(三俣山往復75分)=0:45=久住分れ=0:20=久住山=0:45=中岳=1:10=B.C.【5:15】
 21日 B.C.=1:10=雨ヶ池越=1:10=長者原【2:20】

【記録文】
 18日 曇り後晴れ
 大阪天保山からフェリーで別府到着。九州とは思えない肌寒さの中、タクシーで一気に長者原に入る。途中のやまなみハイウェイでは、凍結した路面でひっくり返った車が数台見かけられ、寒さを増長させていた。
 湿原を抜け、林の中の自然観察路へ。樹氷が出迎えてくれる。それにしてもベースキャンプ山行のせいか、無駄なもの(ラジカセ等)をかなり担いでいるので、道はなだらかだが、呼吸は乱れまくっている。それでも今日の登りは雨ヶ池越でほぼ終了。後は、草原を憧れの坊ガツル目指して、てくてくと歩くのみ。3泊する予定なので、入念な設営を行った。

 19日 晴れ後曇り
 5時起床、6時発。大船山目指し、直登を続ける。所々で残雪が残っており、慎重に登る。ミヤマキリシマに埋もれた避難小屋で全パーティが一旦集合した後、大船山アタックに向かう。稜線のルートは凍り付き、風も強く転倒注意。大船山のピークでは素晴らしい展望が得られた。
大船山頂にて大船山頂にて
 避難小屋に戻り、今度は裏側の風穴に向かう。この時期のミヤマキリシマはただのうっとおしいブッシュの一つに過ぎず、みなスパッツの紐を解かれて、ブーブー言っている。米窪の縁を時計回りに進み、途中、大戸越に直接向かうルートを分けると、風穴への下降が始まる。これが無茶苦茶急で、ぬかるんでいることもあり、かなり難渋する。
 風穴前で昼食をとった後、アイゼンを付け、風穴の探勝に向かう。中は全てが凍り付いていた。
 風穴から黒岳の山麓を巡り、大戸越へゆるやかに登り返す。大戸越は気持ちの良い草原。正面の三俣山が絶品である。いいかげん疲れてきたが、最後の力を振り絞って平治岳をピストン。最後はのんびりと「我が家」まで下った。

 20日 晴れ後曇り
 今日も5時起床。法華院温泉の前を通り、すがもり越への登りにかかる。ここから三俣山の急登に取り掛かるが、名の通り、複数のピークからなる山なので、何度もニセピークに騙される。苦労して登った三俣の主峰は久重の大展望台。笹原の頂稜は、寝そべるのにもってこいだ。
三俣山から久住山、北千里浜を望む三俣山から久住山、北千里浜を望む
 すがもり越に転げ落ち、北千里浜へ。岩と砂の荒涼とした景色と噴煙を上げる硫黄山のセットは、まさにここならでは。浜が尽きると、久住分れへの急登。主峰、久住山が間近に迫る。久住山頂は連休のせいかやたらと人が多かった。阿蘇のいわゆる寝観音が春霞の中に浮かぶ。
久住山から三俣山を望む久住山から三俣山を望む
 早々にピークを辞し、御池経由で最高峰、中岳に向かう。途中御池畔でのんびりと昼食をとった後、少しの登りで九州本土の最高峰に立つ。さっきまでの人影はどこやら、不遇なピークである。
 だんだん天気が怪しくなってきた。サイト場まで滑りやすい道を一気に下る。
 夕方からついに降り出した雨は、夜半から雪に変わった。

 21日 雨
 余りの寒さに目覚めてみると、辺りは一面の銀世界と変貌していた。これだから春山は怖い。降り続くみぞれの中、泣きながらテントを撤収し、ほうほうの体で長者原まで撤退した。

 最後はえらい目にあったが、ほぼ予定通りのコースを消化することができ、充実した合宿であった。
 長者原で、簡単な解散式を行った後、仲間達はそれぞれの予定に従い、九州各方面に散っていった。屋久島を目指す我々3人は宮地駅、熊本を経由し、その日のうちに西鹿児島まで南下した。


         

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