熊野古道大辺路その5−2(紀伊田原〜八郎山〜太地)

−太地町の燈明崎で完璧な初日の出を拝んでからの元旦山行−

   

 白線が今回のルート。
 (赤線は2017.3.18のルート緑色は2017.3.19のルート青色は一昨日のルート)

山行概要

日 程
2018年1月1日(祝)
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
JR紀伊田原駅=0:30=秀田地蔵=0:15=八郎峠登り口=0:45=八郎峠=0:05=八郎山=0:05=八郎峠=0:20=子抱き地蔵=0:25=中里=0:40=JR太地駅【3:05】

記録文(写真はクリックで拡大)

 12月29日の熊野古道中辺路潮見峠越え、30日の熊野古道大辺路(紀伊姫〜重畳山〜紀伊田原)、そしてグダグダだった前日の中の島に続く、恒例の年末年始熊野古道集中歩行の4日目、最終日である
 この日は、一昨日歩いた大辺路の複線区間の内陸コースの続きをやることに。天気は完全に回復し、快晴の見込み。こうなると初日の出を見たいが、ゴール予定ポイントのJR太地駅の下りの始発は7時28分発で、この時期の日の出は7時前後であり、時間の余裕が少ない。太地駅近くの日の出スポットを探すと、駅から車で10分程の燈明崎が見つかったので、勝浦から急行する。
 岬の駐車場は、ほぼ満杯だったが、何とか空いたスペースに潜り込み、岬の突端まで行き、待機する。この日は風もなく助かった

太地町燈明崎からの2018年初日の出! 7:08

 燈明崎は、熊野層群の砂岩層が作る絶壁が熊野灘に向かって突き出した岬で、背後には海岸段丘が広がっている。遣唐副使だった吉備真備が漂流した地とも伝わっている。古式捕鯨の船団を指揮した「山見」の一つ。
 古式捕鯨は、慶長11年(1606年)にこの辺りの郷士であった和田忠兵衛頼元が始めた捕鯨法で、それまでの個人プレーによる捕鯨法から、縄をつけた銛を用い、刺手組五組(突5隻を1組とする5組)による組織的な捕鯨法である。捕鯨が水産業として発展していくきっかけとなり、太地町が古式捕鯨発祥の地と言われる理由である。
 頼元は又、その運営に当って一組を村方の持ち分とし、利益を村に還元した。その相互扶助の精神は、現在の水産共同組合設立の礎となっている。

復元された燈明灯台 7:09

 燈明崎は、その昔「室崎(ムロザキ)」と呼ばれていたが、いつしか「太地崎」に変わり、寛永13年(1636年)10月13日、新宮藩の藩士が常駐する日本で最初の「鯨油を使った行灯式灯台」である燈明灯台が設置されてからは「燈明崎」となった。
 28分の電車に乗るために、急いでJR太地駅へ。駅前のR42を挟んだ真ん前に駐車場あり。
 何とか電車に間に合ったのだが、串本付近で起きた事故のため、電車は徐行運転を続ける…

秀田(しゅんで)地蔵 8:45

 7時44分に着くはずの電車は30分近く遅れた…
 この1年で何度来たか分からないくらいになった紀伊田原駅を後に、去年の3月一昨日もたどった道を北へ。堂道橋の交差点でR42と別れ、一昨日たどった田原川沿いの県道234号線をさらに北へ。
 佐部城址が目の前の一昨日たどった県道227号線を左に分け、新規トレースとなり、さらに北へ。
 秀田地蔵を横目にさらに進んで上田原の集落。右折するとすぐに民家の横に八郎峠登り口があり、階段で山道へ導かれる。

気持ちの良い自然林が続く 9:01

 一昨日辿ったルートがけっこう荒れていたので、その続きである八郎峠道も同様かと思ったが、杞憂であった。南紀特有の常緑の照葉樹の中、古道が伸びていく。
 正式な「官道」としての大辺路は、昨年3月に辿った、串本町田原から清水峠を越えて那智勝浦町浦神へ抜ける海沿いルートだとされているが、この八郎峠越えの古道も、地元では「代官道」と呼ばれ、新宮の水野藩の役人などが公用で使ったことがうかがうことができ、また、上田原には「なちみち」と書かれた道標地蔵があることから、那智山参詣道としても使われた主要道であったと言える。

「段築」の跡がはっきりと… 9:18

 さらに登っていくと「段築」と呼ばれる尾根上に盛土をして、歩きやすいように整地した土手が残っており、同じ大辺路の長井坂のものが有名であるが、こちらのもなかなか立派であった。

八郎山が見える 9:21

 基本は樹林の中で展望は利かないが、送電線鉄塔からは、目指す八郎山が見渡せる。

八郎峠 9:45

 写真の左奥にお地蔵さん(兄が亡くなった妹を思い建立したらしく、その名が付いたようで「おふき地蔵」の名がある)が、石のブロックに囲まれて鎮座している。雰囲気のある峠らしい峠である。
 ここから八郎山をピストンする。

八郎山の展望@ 9:51

 標高250mなので、完全に舐めてかかっていたが、どうしてどうして、ヤセ尾根にトラロープが架かってたりと、結構な難路だった。
 画像は南東方向の展望。逆光だが熊野灘が望める。

八郎山の展望A 10:04

 山頂から北側の展望。あまりの山深さから「熊野3千6百峰」と称された山並みが果てしなく広がる。
 慎重に引き返し、八郎峠へ戻る。
 峠から中里へ下る。5分ほど下った「野葉ノ木」という標識が立つ三叉路で、庄集落への分岐が分かれるが、そのまま中里への代官道を下る。

子抱き地蔵 10:30

 登りと同様の自然林の中の古道を下る。整備が行き届いているので、スピードが上がり、あっという間に谷間の林道に降り立つ。
 ここには「子抱き地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが佇んでいた。

吉里の和田神社 10:55

 後は車道を淡々と北に進み、吉里公民館を過ぎると、和田神社の建つ交差点で、県道45号線に合流。
 東へ進み、大泰寺の建つ庄という集落に来ると、昨年3月に歩いた紀伊浦神から休平峠を越えてくる大辺路の正規ルートに合流し、県道と別れ左折し、諏訪神社の先で太田川を渡り、県道235号線に合流。

JR太地駅に到着 11:35

 昨年3月の時は、すぐに左折して市屋の集落に入り、市屋峠越えの古道に入っていったが、この日は県道をそのまま進み、最後は市屋交差点で交通量の多いR42に合流し、車に気を付けながらJR太地駅に到着した。

湯の峰温泉 15:10

 さぁ、枚方までの長い帰路が待っている。
 とりあえずは、湯の峰温泉で体をほぐすことに。温泉卵を作る人たちで、新年早々温泉は大賑わい。無料駐車場に止めるまでに30分くらい待ちました。
 そして、源泉掛け流しの「くすり湯」を堪能。いつもながら良いお湯です。

聖地、熊野本宮大社 15:53

 そして、これまたいつものように聖地へ。3年連続の正月参拝である。
 何とか駐車場の空きスペースに潜り込み、石段を登り始めるが、みな正式なお作法で参拝しようとしていて、石段下から長蛇の列が…
 まともに並んだら2時間くらい待つらしい。あまりにアホらしいので、遥か大阪天満橋から熊野古道を辿ってきた聖者(笑)の私は、並ぶことなく本殿までささっと進み、横手から参拝して、サクっと帰った。
 後は枚方までの長いドライブ。今年もまた年末年始の熊野詣が終わった。

参考タイム

1/1 JR紀伊田原駅 8:158:45 秀田地蔵 8:459:00 八郎峠登り口 9:009:45 八郎峠 9:459:50 八郎山 10:0510:10 八郎峠 10:1010:30 子抱き地蔵 10:3010:55 中里 10:5511:35 JR太地駅

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